マニカナで、凡人さんという私は初めてお見かけした人が、私の著書『仏陀の真意』を紹介してくださっています。
もちろん、とても有り難いことなのですけど、実は私は、実社会でも、自分が仏教の本を出版したことはほとんど言っていません。
仏教に興味のない人、仏教をほとんど知らない人にはわざわざ言わないのです。
ですから、実生活で私が本を出したことを知っている人はほんの十数人くらいです。
顧問弁護士や顧問税理士は出版社との出版契約の時に相談したところ、『出版されたら必ず買いますのでその本にサインください。』などと冗談言われたので、仕方なく本ができたときに送りましたが、どちらも仏教には全く興味のない人たちですので、本来なら、知らせることもありませんでした。
私はマニカナでも自分から『出版する』ということは一度も書きませんでしたが、わざわざ私のブログすべてを読んで出版することを知ったらしく、『出版する本を宣伝しようとしている』と言われたので、本を出版した後にはマニカナには書き込みしないと決めました。
と同時に、石飛先生がされている商業出版と違い、自費出版などどんなくだらない内容のものでも誰でも出せるものなのに、そこに抵抗を感じる人がいるのが驚きでした。
ちょっと、承認欲求、自己重要感が枯渇している人が多すぎです。
仏教もキリスト教もそのような枯渇を解消するのが大前提のはずですが、実際には宗教に全く興味がなく世俗の成功を一生懸命追い求めている人の方が、枯渇した人が少ないですね。
凡人さんという人がああいうことを書いたら、地獄掲示板の人たちが騒ぎ出すだろうとおもっていましたが、やはり、まず最初にメッターという人、そしてミチオくんという特に枯渇がひどい人たちが反応してます。
よほど自分に自信がないのでしょう。
自分でホームページやブログを作って発信することもせず、サイト主から嫌がられてもそのサイトに住み着いて他者を貶すことばかりしています。
自分が住み着いているサイトの主催者に対しても貶しや悪口、罵詈雑言を浴びせています。
もはや、人間として終わっています。
もし本当に能力があるのであれば、もっと建設的に、自分でホームページを作って、発信していけばいいのにと思います。
本当に内容があるのであれば、多くの人が自然に集まって来て賛同してくれるでしょう。
それをせず、悪口の対象としているサイト主のサイトに寄生しているのは、本当には自分に自信がないからです。
サイト主に嫌がられてもそのサイトにしがみついて、自分の枯渇した自己重要感を必死で上げようとして他者への貶し、罵詈雑言ばかりしているのは、哀れを感じます。
他者を貶すことでしか自我が保てないのは、実社会や家庭生活で自分が認められてないという強烈な不満が潜在的にあるのです。
凡人さん、私の著書を紹介していだだくのは大変有り難いのですが、私には読んでいただきたい人の条件があります。
一つには仏教に詳しい人です。
その上で、何かの宗派や教えを頑なに信じ込んでいる人でなく、今までの仏教解釈に納得できない人たちです。
それでないとあまり意味がないと考えています。
そもそも仏教に詳しくないと、今までの仏教解釈に疑問は生じないでしょう。
そして、何かの宗派を頑なに信じ込んでいる人は、その教義に疑いを持つことなど思いもしません。
また、それとは別に、石飛先生と私では見解が正反対です。
私は、仏陀が説いた本当の意味が変遷していったと考えますが、石飛先生は仏陀から龍樹に100%忠実に受け継がれて来たという立場です。
石飛先生に私の本を振るのは、返答のしようがなく気の毒のように思えます。