肉体が美しいという幻想

 くり (58.188.137.2)  
ショーシャンクさま こんばんは。
ショーシャンクさまのmoha(痴・迷妄)に関するお話、恐ろしくお聞きしました。
身の毛もよだつていう感じですが、仰るようにこれがわたしたちの住んでいる現実社会の姿ですよね。
同時に感じましたのは、ショーシャンクさまが そのように具体的に描写される時の力づよさです。このようにとてもネガティブなことを書き連ねても決して虚無感が漂わない!
やはり、ブッダの智慧の光で物事を見てられる方なのだなぁっていう思いが強くいたしました。
 
>mohaを消滅させるには、顛倒した見解から180度転回し『正見解』になることしかないように思えます。
 
わたしなんかは「人間の身体は美しい(清浄なる)もの」という刷り込みで長く生きてきましたので、「四念処」でまづ説かれる「身体は不浄である」というブッダの教えを始めて目にした時、強い拒否感がありました。
{これは?何言ってんだ!?}っていう感じで、本当に訳の分からないものでした。
これがmohaなのですね。 このように、大きな顛倒の上に自分も、どこか社会も乗っかっている、苦が生まれてくるのも当たり前ですよね。
そんなことを思いながら、今回のエントリーを読ませて頂きました。
有難うございました。

 

 

 

 

くりさん、こんばんは。

 

『人間の肉体は美しいものである』

これは現代においては世界共通の見方になっています。

 

人間の肉体は美しいがゆえに、その美しさを努力して維持していくべきとして、世界中の人々が必死になっています。

 

くりさんおっしゃるように、仏陀は、『肉体は穢いものである』と言います。

 

これは、人間の価値観とは全く正反対の見解です。

衝撃的な考えです。

厭世的に感じる人もいるでしょうし、そこまでネガティブに考えなくてもいいんじゃないかと思う人も多いでしょうし、それは仏陀が欲望を抑えるために仮に方便として言ったことに過ぎないと主張する人もいるでしょう。

 

しかし、四念処の最初は、肉体不浄観、白骨観です。

 

墓場(日本の墓場と違って死体がごろごろしていました)で、死体が腐っていって白骨になるまで観察し続けるという行法です。

 

あまりにも極端すぎるやり方のようにも思えるでしょう。

 

さて、肉体が美しいというのと汚いというのと、どちらが本当でしょうか。

もちろん、大乗仏教をかじった人は、浄も不浄も不二だなどと、その人の精神にとってほとんど意味がないことを言うかも知れません。

なぜ意味がないかというと、浄不浄不二など観念的なことをいくらいっても、それはただ自分のこころの中を見たことがないだけであるからです。

 

肉体は美しいという幻想が世界中に確固とした価値観になっているため、巷では、あれほどヌード写真が溢れ、高値でよく売れているのです。

 

肉体をありのままに観察すると、生まれたときから老いと死に向かっています。どのような美人であれ、むしろ美人であればあるほど、30を越えたあたりから、その衰えにとまどうことも多いでしょう。

化粧品業界が巨大な産業となっているのは、人類の幻想に根ざしているからです。

 

肉体というのは絶えず、汚いものを生み出していっています。

尿、糞、汗、よだれ、たん、耳くそ、鼻くそ、目くそ、いたるところから汚いものが絶えず出ています。

 

ただ、肉体は美しいというのは、人類が作り上げてきたとんでもなく強固な幻想なので、ここをありのままに見ることができる人はあまりいないでしょう。

私も無理でしたが、『性的唯幻論』という本でやっとそれが人類の幻想だと理解できました。

仏陀は、20代のときにそれを幻想だと見抜いたのですから、やはり天才と言わざるを得ません。