くりさん、こんばんは。
『人間の肉体は美しいものである』
これは現代においては世界共通の見方になっています。
人間の肉体は美しいがゆえに、その美しさを努力して維持していくべきとして、世界中の人々が必死になっています。
くりさんおっしゃるように、仏陀は、『肉体は穢いものである』と言います。
これは、人間の価値観とは全く正反対の見解です。
衝撃的な考えです。
厭世的に感じる人もいるでしょうし、そこまでネガティブに考えなくてもいいんじゃないかと思う人も多いでしょうし、それは仏陀が欲望を抑えるために仮に方便として言ったことに過ぎないと主張する人もいるでしょう。
しかし、四念処の最初は、肉体不浄観、白骨観です。
墓場(日本の墓場と違って死体がごろごろしていました)で、死体が腐っていって白骨になるまで観察し続けるという行法です。
あまりにも極端すぎるやり方のようにも思えるでしょう。
さて、肉体が美しいというのと汚いというのと、どちらが本当でしょうか。
もちろん、大乗仏教をかじった人は、浄も不浄も不二だなどと、その人の精神にとってほとんど意味がないことを言うかも知れません。
なぜ意味がないかというと、浄不浄不二など観念的なことをいくらいっても、それはただ自分のこころの中を見たことがないだけであるからです。
肉体は美しいという幻想が世界中に確固とした価値観になっているため、巷では、あれほどヌード写真が溢れ、高値でよく売れているのです。
肉体をありのままに観察すると、生まれたときから老いと死に向かっています。どのような美人であれ、むしろ美人であればあるほど、30を越えたあたりから、その衰えにとまどうことも多いでしょう。
化粧品業界が巨大な産業となっているのは、人類の幻想に根ざしているからです。
肉体というのは絶えず、汚いものを生み出していっています。
尿、糞、汗、よだれ、たん、耳くそ、鼻くそ、目くそ、いたるところから汚いものが絶えず出ています。
ただ、肉体は美しいというのは、人類が作り上げてきたとんでもなく強固な幻想なので、ここをありのままに見ることができる人はあまりいないでしょう。
私も無理でしたが、『性的唯幻論』という本でやっとそれが人類の幻想だと理解できました。
仏陀は、20代のときにそれを幻想だと見抜いたのですから、やはり天才と言わざるを得ません。