宗教は大きくなれば腐敗する

すべての宗教は、その組織が大きくなればなるほど腐敗します。

ほとんどの宗教の最初期はほぼ例外なく美しい。

しかし、組織がきっちり出来上がり、規模が大きくなり、資産が増えてくると、その組織を維持しなくてはいけないという宗教の本来とは正反対の自己保身、自己拡張の方に進んでいきます。

そして、組織、教団の正当性、優越性をアピールするのに必死になります。

ここにおいて、最初期の宗祖の真意からどんどんかけ離れていく。

仏陀とその直弟子の時代の原始仏教と根本分裂以降の部派仏教もかなりかけ離れていきます。

現代の部派仏教の代表は上座部仏教で、日本における中心人物はスマナサーラですが、スマナサーラの上座部仏教シャム派はカースト上位しか出家できません。女性の出家は認められていません。

仏陀のサンガにはどのカーストの人も所属していました。また、出家も在家も悟れる一乗法を仏陀は説きました。

これだけ見ても、仏陀の真意とはかけ離れています。

 

キリスト教も、教会の権威が大きくなるに従い、神学が発展し、キリストの真意とはかけ離れていきました。

三位一体というのがキリスト神学の中心ですが、神である、父と子と聖霊の中に人間、大衆は入っていません。

神はすべてであり唯一であるならば、除外されるものはあるはずがない、分離されるものがあるはずはないのです。

しかし、神学によると、神と人間の間には分離があることになります。

 

聖職者を特別なものとして絶対の権威を与えてしまったために、腐敗の温床になっていきました。

映画『スポットライト』を見るとそのほんの一端がわかります。


www.youtube.com

 

 

既成宗教に限らず、新興宗教も大きくなればなるほど組織、教団の維持拡張に血眼になります。

ですから、すべての新興宗教は、お布施と信者の勧誘の2つが最も大事なこととされています。

つまり、お金です。

お布施と信者の勧誘の2つを全く勧めていない新興宗教団体がもしあれば、それは素晴らしいかもしれませんが、まずないと断言できます。

 

既成宗教特に既成仏教はお布施の強要はあるけれども信者の勧誘がないのは、今まで檀家制度に守られてきたからにすぎません。