仏教についてのひとりごと 136

<<前に、徹底的な思考型瞑想してるっておっしゃってたと記憶してるのですが、
どのような感じで瞑想されるのかお聞きしてもいいですか?例えば七覚支なら、各項目はどのようなことについて述べてるのかを、具体的に考えながら、自分に現象を起せるなら起こしてみるかんじとか??十二因縁なら、各項目と、自分に起こる現象を照らし合わせて考察するとか??どんなふうに実践されてるのかなぁと思いまして、もし教えていただけるなら、教えていただけたら嬉しいなぁと思いました。>>

 

四念処・四正勤・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の七科三十七菩提分法は重なっている項目が非常に多いですね。
特に、念・精進・定は七科のほとんどに出てきます。

私は、四諦の集諦滅諦は十二縁起の順観逆観だと思っていますので、四諦十二縁起は一体です。

七覚支は、念⇒択法⇒精進⇒喜⇒軽安⇒定⇒捨 です。
私は、念は四念処、精進は四正勤、定は四神足、捨は四無量心の完成と捉えて瞑想しています。

ですから、実際の瞑想の順番は
四諦十二縁起⇒四念処⇒択法⇒四正勤⇒喜⇒軽安⇒四神足⇒四無量心 です。
この瞑想を繰り返すことによって初めて正見解(sammā‑diṭṭhi)が生じる。
そのsammā‑diṭṭhiを基に日常生活で八正道を行なう、という順番です。

このうち、喜と軽安は、四念処・択法・四正勤の結果として身心に生じるものと考えています。
つまり、喜(pīti)が生じて、心も身体も軽くなる感じですね。
軽くなったときにsamādhiが生じる。

 

 

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続きですが
十二縁起の瞑想にしても三十七菩提分法にしてもすべて私独自の解釈ですので
役には立たないとは思いますが、一応。

十二縁起に関しては、無明から五蘊を集めようとする潜在力というか意志がはたらき
実際に五蘊を仮合させ感覚器官が生じ、外物に触れることによって感覚が生じ
それが好き嫌いなどを生じて自我が形成されることを解き明かしたものだと考えていますので
そのありさまをまざまざと観じます。
それは抽象的な観法ですることもあり、自らの実際の自我の成立過程を観じる観法ですることもあって、その両方をしています。

大まかに言えば以上です。
ネットの掲示板で書けるのはここまでです。
これ以上は自費出版で書きます。

また、これはpipitさんの質問に答えたものですので横から質問は遠慮ください。

 

 

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もし、歴史上の仏陀の真意を知りたいのであれば、
今まで2500年積み上げられてきた『仏教』なるものをいったん白紙にして
最古層の仏典から歴史上の仏陀を捉え直すことが必要でしょうね。

それほど、仏教なるものは仏陀の真意とかけ離れていったと思っています。
ある意味、真逆になってしまったということです。

教師に握り拳はないのです。
熱意さえあれば辿り着けると思いますよ。

 

 

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oyaさん
こんばんは。

誰にも依存せず自分で探求していく姿勢こそ道を開くものです。
仏陀がそうでした。
安易な精神は必ず誰かに依存し従属しそれをよしとします。

アインシュタイン ロマン』という番組がありました。
アインシュタインが死の直前に残した「私は神のパズルを全て解いてしまった」と書かれたメモが発見され、バレリー・デュポンという女性がその言葉の謎を解こうと旅に出ます。
そして、中国の山奥でアインシュタインと話をしたという老人を発見します。
その老人にアインシュタインの写真を見せると、老人は幼い頃、確かにその人に会った事があると答えた。
「その時彼とどんな話しをしたの?」という彼女の問いかけに、老人はおぼろげな記憶をゆっくりと辿っていった。
「そう、確か石の話しをした。」「石は何故下に落ちるのかと聞かれたような気がする。」
「重力の話しをしているに違いない。」そう思った彼女は続けて問いかけた。
「何て答えたの?」と。
すると老人はそばで遊んでいた子供を指さし、言った。「ワシの孫に聞いてくれ。」と。
「あなたに聞きたいのです。」と言うと、「誰に聞いても答えは同じだよ。」と言いながら、老人は去っていった。
 デュポンは、少年に聞いてみた。「どうして石は下に落ちるのかしら?」
 すると少年は答えた。「石が落ちたがっているからだよ。」
 「まるで石が生きているみたいね。」思わずそう言ったデュポンに、少年は「生き物だとかそうでないとかそういう区別はあまりしたことがないな。石は石でいたいから石なんだよ。」
「羊たちも山々もそうさ。」
「羊は羊でいたいから羊なんだし、山は山でいたいから山なんだよ。」と答えた。
「人はどうなの?」「人だって同じさ。」

石は石でいたいから石なんだ
山は山でいたいから山なんだ

最後にこの話をoyaさんに贈ります。

 

 

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今年いっぱいで、株式以外の掲示板はすべて消滅するのですね。
私の立てたスレッドですと
『映画についてのひとりごと』『仏教についてのひとりごと』『法律についてのひとりごと』がすべて消えるということですね。

この3つのスレッドに投稿してくださった皆さん、そして読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

 

 

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<<大事なトピックの大事な投稿は、ブログなどに移したらどうでしょうか。まだ年末まで時間ありますし、ご検討下さい。>>

しまとりさん、ありがとうございます。

私が立てたスレッドのうち、特に『法律についてのひとりごと』は、読んで日常の金銭トラブルの解決に役立つ人がいると思いますので、そのまま残しておいてほしいとは思っています。
あれは、閲覧者の少ないサイトに書き込んでいたものですが、訪問者の少ないサイトであっても私の書き込みを見て救われたとか役に立ったといわれた人が何人もおられましたから。

今年いっぱいで消滅する『映画についてのひとりごと』『仏教についてのひとりごと』『法律についてのひとりごと』の3つのスレッドのどれも見ていただいている人がおられるようですので
しまとりさんの提案されるようにどのような形でも閲覧できるようにはしたいと思います。

ありがとうございました。

 

 

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高原へ行らっしゃい。 さん
おはようございます。

<<ショーシャンクさんには教えてもらうことばっかりで、本当に感謝しています。
ショーシャンクさんのお話を聞くのも楽しかったし、このトピは、サンガのように大切に思っていたので。ありがとうございました。>>

こちらこそ、ありがとうございました。
このスレッドの最初のころは、micとh2さんの罵詈雑言の大量投稿ばかりでしたが、高原さんのようにちゃんと聞いていただける人がおられてここまで続けることができました。
ヤフー掲示板は、悪意のあるアラシを防御することに脆弱でそのために株式版でも数多くの良質なスレッドが閉鎖に追い込まれました。
株式版で有名人と言われる人たちは全員、Twitterに移っていきました。(私のニセモノもTwitterに登場してます(笑))
そういう脆弱性は変わっていませんから、株式版がヤフーファイナンスに移行してもアラシを防ぐことはできないでしょうけど、とりあえず、株式版に新しいスレッドを立ち上げて、そちらに避難しそれでも荒らされるようであればブログに移行します。

 

 

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しまとりさん
おはようございます。

<<しかし、ショーシャンクさんの言われるように、それが釈尊の真意に叶うものだったかどうかは、よくわかりません。釈尊は、仏様のお名前をとなえる念仏や、仏界を湧現するための唱題に邁進するようにとは言われてはいないように感じます。>>

 

今までの仏教なるものを全否定して歴史上の仏陀の真意を探求してきましたが、その探求が終わって今は仏教の全肯定へと進んでいます。
仏教史全体は、絶対精神の自己展開であったと考えています。
大乗仏教は失われた仏陀の真意の復興運動であったとも考えます。

仏陀の教えの中で最も重要なのは『筏』という考えです。
仏陀の教えの核心である四諦十二縁起であっても彼岸に渡る筏にしか過ぎず
激流を超え彼岸に渡ってしまったら筏を担ぐ必要はないと言っていることです。
筏を絶対視してしまうと、moha(迷妄=痴)になってしまいます。
それが今のあらゆる宗教のありさまです。

激流を渡ることができる筏であれば、どのような筏でもいいですし
その人その人に合った筏があるはずです。
立派そうに見える筏でもすぐ沈んでしまったら何にもなりません。
要は自分に合った筏を見つければいいのだと思います。

 

 

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