仏教についてのひとりごと 90

そうだと思います。
歴史上の仏陀は、縁起だから空だとか、縁起だから実体がない、などとは一言も言っていません。
仏陀は、生じたものは必ず滅する、泡のようなものだ、という意味で、『空』と言ったのです。
『世界を空と観じよ』というのは、世界は無常で泡のように滅する、堅固なものなどどこにもない、ということを観じなさい、ということです。

それを龍樹が、あらゆるものはあらゆるものとの相依性、関係性で成り立っているものだから自性がない、実体がない、空である、という理論を作り上げたのです。

これにより、形成されたものだけでなく、形成されざるものにも実体がない、ということになってしまいました。
死後の世界もない、輪廻転生もない、という仏教者ばかりになりました。

瀬戸内寂聴もくだらないことばかり言ってないで、ちゃんと仏陀の言葉を読めばいいのに、と思いますね。
仏陀は死後の世界も輪廻転生も繰り返し説いています。
そして、それからの解脱を目指し成功したのです。
すべての人には、死後の世界もあるし輪廻転生もあります。
自我という迷いの中心がある限り、迷いの世界を輪廻します。
その全体を苦、と見極めたのです。

死後の世界もなく、輪廻転生もない、つまり死ねば何もない、というのは断見といって常見とともに二大邪見です。

 

 

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pipitさん、こんばんは。
1か月くらい前にやっと十二縁起が自分なりに納得できるようになりました。
昨日か一昨日、pipitさんが言われたビク・ボディの解説を読みましたが
かなり共通部分が多いのでびっくりしてます。

原始仏典を調べてみると、四諦と十二縁起が極めて重要であり、鍵となるものだと思っています。
歴史上の仏陀が成道したときに瞑想していたのが、四諦の三転十二行相と十二縁起です。
四諦の三転十二行相と十二縁起こそが、仏陀の残した筏なので、どうしても解明したいと思っていました。

無明⇒行 を過去生
識⇒名色⇒六入⇒触⇒受⇒愛⇒取⇒有  を今生
生⇒老死 を来世

と捉える説はかなり有力な説で、というか、そうでしか、あの順番は説明できません。

しかし、仏陀は今生で無明を滅ぼし解脱に至ったのですから
無明⇒行 を過去生にしてしまうのは私には抵抗がありました。

また、相応部経典『分別』の存在があり、この経典の説明通りだとどうしても解明できないというジレンマがありました。

最も問題なのが、十二縁起はそれを瞑想して究極の境地に達する筏ですから
その内容は無明を滅ぼすのに有効な、極めて高度なものでなければいけないはずです。

このため、非常にハードルが高いものでしたが、pipitさんから教えていただいたパーリ語原典サイトのおかげで、いつでも原語を見ることができたのが大きかったです。

 

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<<やはり、どのように理解されたのかなという興味を持ってしまうのですが>>

学生の時に読んだ本に『最初に、開かれた空間がある』という言葉があってそれがずっと心に残っています。
なぜ、人は開かれた空間で生きることができないのか、です。
私の理解では、十二縁起とは、開かれた空間が無明により中心を持ち限られた空間となって苦の集積に向かう過程を俯瞰したものなのです。
解読した十二縁起を瞑想することで中心を消滅させることができるか、これを実験してみます。
どこにも行き着かなければ、今の解釈は間違いということです。

 

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