高原 (126.42.33.248)
マニカナの過去ログを読んでいました。
10年以上前からのログが保存されてあって見やすくて美しい素晴らしい過去ログのデザインだと思いました。
石飛さんは幼い頃、神秘体験をされています。
生まれて6ヶ月くらいからの記憶があって、しゃべれないだけで意識も智慧もあったとおっしゃっています。年齢を経て大きくなるにつれて石飛さんは知能が次第に低下しく感覚があり、生まれてすぐが最高の頭脳で「どんどん馬鹿になっていって」(原文ママ)このままでは白痴になるのではないかと恐怖を感じて仏教にすがったのが仏教との出会いだったそうです。
そういう神秘体験に裏付けされてか、石飛さんは「輪廻はある」と断言されています。
他の方は大概、輪廻の存在をぼやかすのですが、「ある」とはっきり言われたことに感服いたしました。
過去ログでは、Istlanさんとテルゼさんを追いかけて読んでいました。
Istlanさんは既に亡くなっている人らしいのですが、「私は生まれてきたくない」と仏陀の出家した時の究極の命題を投稿されていたので興味を持って読んでいたのですが、とても不思議な人で仏教を勉強されているのですが信仰があるのかよく分からない、赤旗共同平和幻想のある人で、そこにはぼくは異を唱えるますが、発言は鋭くて明晰で面白い。このIstlanさんが「アドバイダと禅宗は同じ」とおっしゃっていて、ぼくも「そういわれればそうなな」とも思いますが、ショーシャンクさんはどう思いますか?
テルゼさんはキリスト教徒で、読ませる文章を書ける人で聡明でお茶目で可愛らしい。
面白いのが、ぼくもスッパニパータの三乗論に異和を感じましたが、Istlanさんは石飛さんの「龍樹論」「仏教論」を厳しく批判をしてて、テルゼさんも石飛さんを批判なさっています。 「センセが『センセだけの法』を握りしめて、センセの手の中で曲げてませんこと?私だけがブッダの正法を伝える役目を担っていると、その慢心のもとに、ご自分の中で都合よく」とテルゼさんが石飛さんに言っておられて、テルゼさんは石飛さんの著書を何冊を読んだ後の発言だけに、これだけ皆さんから非難を浴びるということは、石飛さんの「龍樹観」「仏教論」には決定的な破綻(ほころび)があるのではないかと思いました。
私も輪廻はあると思っていますよ。
そして、死後の世界も確実にあるでしょうね。
仏陀の理法が分かってくるとそれは実感せざるを得ないでしょう。
つまり、今の身体も環境も想いでつくられています。
瞬瞬刻刻、出している想いが潜在的な形成力となってすべてを作り上げていっています。
それが実感できない人は、仏陀の理法は全く分からないでしょう。
人生を変えることもできない、仏教をただの虚無思想としかとらえられない人が多すぎるのです。
仏陀が悟った時の様子は具体的に語られています。
四禅定の後、
自分の過去の生存をありありと見ます。
今の人生の過去の様々な事、意識はそれをもっとさかのぼって、過去生のことも思い出します。
今生といい過去生といい、ただの記憶です。
この、自分の過去をありありと観ずることによって、何が原因で苦の集積へと向かったのか、それをいかに繰り返し繰り返ししてきたのか、それがはっきりと見通せたのでしょう。
このことが十二縁起の理法へと導きます。
これが宿住智です。
次に、様々な衆生のこれから行くところを見ます。
善い想いを持った人間は善い世界へと行き、悪い想いの者は悪い世界へと行きます。
自らの想いが自らの世界を形作っていっていることがはっきりとわかります。
これが天眼智です。
そして、四諦の法を観ずることによって、煩悩の滅に至ります。
これが漏尽智です。
これにより、仏陀は成道します。
そして7日間、解脱の楽しみに浸ります。
7日後、過去生のあり方から導いた十二縁起の理法を、徹底的に順逆観じます。
そして、縁の滅を知ったので、すべての疑念はなくなり、太陽が輝くように、悪魔の軍勢を破って立ちます。
仏陀は何を悟ったのか。
想いは因であり、それに従って現象という果があること、
そして十二縁起と四諦の法を悟り、それによって、縁の滅、苦の滅を成し遂げたのです。
想いが形成力だとわかれば、死んで何もなくなるわけではないことが実感できます。輪廻もあるし、死後の世界もあるのです。
しかし、解脱した人は『この世もかの世もともに捨て去る』のです。