私の別のブログ『人生についてのひとりごと』に、『仏陀の真意』の感想を書いていただきましたので、こちらにも載せます。
マグノリアさん、おはようございます。
『仏陀の真意』、読んでくださり本当にありがとうございます!
そうなんです。
「一切の形成されたものは苦である」
この言葉が、仏陀の理法の要諦であり、最初の一歩で最後の一歩でもある、極めて重要な言葉です。
この「苦」=dukkhaは、時代を経るうちに説かれなくなっていきます。
部派仏教では、「dukkaというのは苦しみという意味ではない。無意味とか空しいとか言う意味である。」というようになっていきます。
大乗仏教では、「苦」に替わって、「空」が仏教の根本理念とされていきます。
仏陀在世中や直弟子の時代はほとんどの弟子たちが理解していましたが、後世の人類は、仏陀の説いた「苦=dukkha」を理解できなかったために、仏教が歴史上の仏陀の真意からかけ離れたものになっているのではないか、というのが私の考えです。
それほどまでに、仏陀の説いた「苦」は、深遠で微妙な言葉です。
私が死んだ後にでも、すべての仏教権威や宗祖や宗派に囚われず、歴史上の仏陀の真意とはどういうものだったのかを見つめ直す機運が盛り上がることを期待しつつ、本という形に残しました。
原始仏教から導き出された仏陀の真意から、大乗仏典を解釈すると、とても活き活きとした光り輝くものになると思っています。
その一例として、おっしゃっている法華経自我偈の解釈を書きました。
読んでいただき、そして感想を書いていただき、誠にありがとうございました、感謝いたします。
まりさん、こんばんは。
『仏陀の真意』、読んでくださりまことにありがとうございます!
おっしゃるように、日本が仏教から学んだことは数多いです。
というより、日本にとって、仏教は、文明、文化のすべてといっていいくらいでした。
言葉や慣用句(四苦八苦や縁起がいいなど)、そして地名(八王子や祇園など)に至るまで、仏教由来のものは無数にあります。
あまりにも仏教関連の慣用句が多いので、歴史上の仏陀が本当に言ったこと、言いたかったことは埋もれてしまっているように私には見えます。
北枕が悪いなどと言うのも、間違って伝わってきたものです。
インドでは北に頭を向けて寝るのがいいとされていて、お釈迦様はいつもどおり北に頭を向けて寝てそのまま入滅したので、縁起が悪いと言われるようになりました。
『縁起が悪い』という使い方も全く間違った使い方です。
歴史上の仏陀が本当に言いたかったことがどこにあるのは極めて分かりづらい状況です。
そういうことから、どうしても、本の形にして残しておきたかったのです。
私の生前は誰にも読まれなくても、と思っていましたので、読んでいただいてとても感謝しています。
書かれていた、金塊の袋を持っていた男の話、あのように、意志の力で捨てようと思うと余計しがみつくことになります。
ここは、価値がない、または害になるということを見極めることが、仏陀の法の要諦だと感じています。
感想を書いてくださり、とても感謝しています。
ダリアさん、おはようございます。
読んでいただきましてありがとうございます!
そうなんですよね。
仏教といえば、お葬式、法事、墓参りでしか接することがないのがほとんどの人だろうと思います。
それもほとんどが鎌倉仏教、そして真言宗や天台宗の平安仏教で、各宗祖は尊敬されていますが、仏陀は忘れ去られています。
しかし、本当は、歴史上の仏陀が説いたことは、とても活き活きとしていて、人間の精神を苦のないところへと連れて行ってくれるものでした。
仏陀の理法は人類の至宝なのに、いまは歴史の堆積物に埋もれてしまっています。
私が死んで何十年か後に、『歴史上の仏陀は本当は何を言いたかったのだろう』ということを見直す機運が出てくるように思えます。
その、ほんの小さなきっかけになればいいと思っています。
おっしゃるように、第7章はこの本の眼目です。
世の中には仏教に何の興味もない人、仏教が嫌いな人も数多いと思いますが、この第7章だけでも立ち読みでも読んでほしいと思っている箇所です。
感想を書いていただき、本当にありがとうございました。