中部経典の第40は、『小アッサプラ経』です。
ここでも、一切の悪しき不善の法を断つことから〈沙門の正しい実践〉が説かれます。
不善の法の浄化⇒満足⇒喜び⇒身体が軽やかになる⇒楽を感じる⇒心が統一される
という一連の流れが説かれます。
七覚支は、
念⇒択法⇒精進⇒喜⇒軽安⇒定⇒捨
です。
択法、喜、軽安、定はほぼそのままです。
この経典の大きな特徴は、
不善の法の浄化⇒満足⇒喜び⇒身体が軽やかになる⇒楽を感じる⇒心が統一される
の後に、四無量心が説かれることです。
慈しみのある心をもって、一つの方向を、同じく二つの方向を、同じく第三の方向を、同じく第四の方向を、満たし、住みます。
このようにして、上を、下を、横を、一切処を、一切を自己のこととして、すべてを含む世界を、慈しみのある、広い、大なる、無量の、恨みのない、害意のない心をもって、満たし、住みます。
憐れみのある心をもって、一つの方向を、同じく二つの方向を、同じく第三の方向を、同じく第四の方向を、満たし、住みます。
このようにして、上を、下を、横を、一切処を、一切を自己のこととして、すべてを含む世界を、憐れみのある、広い、大なる、無量の、恨みのない、害意のない心をもって、満たし、住みます。
喜びのある心をもって、一つの方向を、同じく二つの方向を、同じく第三の方向を、同じく第四の方向を、満たし、住みます。
このようにして、上を、下を、横を、一切処を、一切を自己のこととして、すべてを含む世界を、喜びのある、広い、大なる、無量の、恨みのない、害意のない心をもって、満たし、住みます。
平静のある心をもって、一つの方向を、同じく二つの方向を、同じく第三の方向を、同じく第四の方向を、満たし、住みます。
このようにして、上を、下を、横を、一切処を、一切を自己のこととして、すべてを含む世界を、平静のある、広い、大なる、無量の、恨みのない、害意のない心をもって、満たし、住みます。
この経典を見ると、七覚支の【捨】は四無量心の完成と解釈してもいいかもしれません。