Satyaさん、ありがとうございます。
最近特に強く感じるのは、歴史上の仏陀は後世の私たちが考えるよりももっと具体的にその悟りを明かしてきたことです。
大乗仏教の国でそれに飼い慣らされた私たちの頭では、『釈尊の悟りはいわく言いがたい』『言葉では言い表わすことが出来ない』というイメージがありました。
悟りへと向かう道についても、歴史上の仏陀は何も言及していないものと思っていました。
しかし、実際は、かなり具体的に成道の時のことを話しています。
歴史上の仏陀が本当はどのような気持ちですべてを捨てて修行に出たのか、そしてどのような修行をし、どうしてそれをやめて、乳粥をもらい、瞑想に打ち込んだのか、そしてどのような道筋を辿って何を悟ったのか、丹念に辿ると見えてくるものがあります。
その見えてきたものは、今まで仏教と言われてきたものとは似ても似つかないものでした。ある部分では真逆でもありました。
歴史上の仏陀の肉声に最も近い経典はどれかも次第に明らかになってきています。
これから先、どんどん、今まで明かされなかった仏陀の真意が明らかになってくるはずです。
それは、今からでなければ絶対に明かされなかったことです。
歴史の堆積物に埋もれていたからです。
グレゴリー・ショペンの考察も今までの仏教史を覆すものでした。
いろいろな謎が氷解したようにも思えました。
これからの時代ではじめて、歴史上の仏陀の真意に迫ることが出来ると考えています。
少しずつ明らかになってくる仏陀の理法は、まさしく人類の至宝だと思います。
このような至宝が埋もれていたことがわかりはじめて愕然としている感じです。
そのような仏陀の真意を探求する運動がこれから徐々に盛り上がってくる時代になると考えています。