サンスクリット語で説かない戒律

2、仏陀はサンスクリット語では教えを説いてはならないと言っているのに、大乗経典がサンスクリット語で書かれているのは何故か


禁止してるんですか?典拠は?私が読んだのは、バラモン出身の弟子が教団内の用語を格調高いサンスクリットに統一しようと提案したとき「無理して背伸びせず、日常使い慣れているプラークリットを使え」じゃなかった?
「ブッダとサンガは敵対する」パーリ経典は「反」仏説。私は基本的にパーリは信用してない。

 

 

仏教の戒律(律蔵 Vinaya)には、経をサンスクリット語(chandas=梵語・韻文言語)で誦読してはならないという規定があります。これは「チャンダス(梵語・ヴェーダ語)に載せてはならない」という戒めで、最もはっきり書かれているのは、パーリ律(ヴィナヤ・ピタカ)小品(Cullavagga)です。

 

Vinaya Piṭaka, Cullavagga(小品)V.33

“na chandaso āropetabbaṃ, yo āropeti, āpatti dukkaṭassa.”

(PTS ed. Vinaya II 139)

  • na chandaso āropetabbaṃ
     「経をチャンダス(=サンスクリット・ヴェーダ風の韻文語)に載せてはならない」

  • yo āropeti, āpatti dukkaṭassa
     「もしそれをする者がいれば、悪作(罪)を犯す」

初期仏教の僧団は、教えを在地の方言(プラークリット)で伝えることを重視しており、ヴェーダ祭官の言語だったchandas(韻文=サンスクリット/ヴェーダ語)を用いることを禁じたとされています。

実際、この箇所には、弟子たちが経をサンスクリット風に“整えた”ことを問題視した仏陀が、「私は方言(sakāya niruttiyā)で教えを語るようにと説いた」

と述べ、サンスクリット化を禁じる文脈が記されています。

 

【出典】

  • I. B. Horner (trans.), The Book of Discipline, Vol. V, p. 364

  • Oldenberg (ed.), Vinaya Piṭaka, Vol. II, p. 139

 

以上のように、戒律に定められています。

『罪となる』と言っているのです。

ですから、サンスクリット語で経典が書かれるのは、かなり後世になってからと考えられます。