<<四念処が「仏教の初歩」と紹介されていたそうで>>
四念処は、相応部経典などでも、涅槃に至る一乗道とまで言われています。
また、大般涅槃経や相応部経典『念処相応』の何ヶ所かでも、四念処が自帰依法帰依(自燈明法燈明)の内容と書かれています。
四念処観がいかに重要な瞑想と考えられてきたか、それは四念処観によって諸法非我を完全に悟ることができ、涅槃に至ることができるからだと思います。
それにしても、四諦にせよ、八正道にせよ、十二縁起にせよ、四正勤、四念処観、七覚支にせよ、仏教の解説書で読んだときはどれもぐったりと死んだものだったのに、直に原始仏典で仏陀の説いたところを読むと、どれも活き活きと躍動しているように見えます。
理解が進めば進むほど、本当に凄いシステムです。
最近は、四諦八正道⇒十二縁起⇒四念処観⇒七覚支 の順で瞑想してます。
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<<第一に、散文と詩の成立時期を考えると、散文で経典が成立し、その後、音韻を踏んで詩にしませんか?!>>
<<第二に、ですから、増谷文雄は、「阿含経典」の翻訳に、「ブッダの肉声である」旨、主張したのですよ。>>
<<文字に変えただけで、変える前の経典成立時期は、ほぼ同時でしょう?!>>
上記のように書かれていましたから、一応、増谷文雄『阿含経典』(筑摩書房)を確かめてみました。増谷文雄がそんな仏教の常識と違うことを書いていたかな、と思ったからです。
確かめた結果、増谷文雄もやはり次のようなことを書いています。
①小部経典の中の『スッタニパータ』『ダンマパダ』は原初的で、有力な資料とされる。一つにはそれらが偈(韻文)を中心に成っているからだ。韻文は古形を保存するのに適している。
②『スッタニパータ』『ダンマパダ』以外で考えると、
相応部経典⇒中部経典⇒長部経典⇒増支部経典 の順で出来たと考えられる。
漢訳の阿含経で言えば
雑阿含経⇒中阿含経⇒長阿含経⇒増一阿含経 の順番で、雑阿含経が一番古い。
③増一阿含経は、最も遅く出来た経典で、大衆部の所属と想定され大乗仏教の影響がみられる。
④遅く成立した経典になればなるほど、変化、増大、付加、再編集が行われていると想定される。
⑤故に、雑阿含経より中阿含経、中阿含経より長阿含経、長阿含経より増一阿含経の方が、変化や付加が多大になっている。
⑥しかし、古層である雑阿含経でも、成立時期はバラバラであり、変化、付加が大きいものもある。
以上のように、増谷文雄も仏教の常識を書いていますね。
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それは、中国浄土宗の善導の言った言葉ですよ。
善導の言葉を法然が書き記したものです。
親鸞は、龍樹・世親・曇鸞・道綽・善導・源信・法然を浄土教の7高僧と言いましたが
その中の一人です。
法然は、善導の『観経疏』の一節に出会って、口称念仏によって凡夫もすべて救われるということを確信し立宗しました。
法然は『偏依善導』、親鸞は『善導独明仏正意』というくらい心酔していました。
sanさんの書いている通り、善導は自殺します。
法然の最期は静かな往生でした。
また、法然は、衆生には限りなく優しい人でしたが、芯は強く信念の人でした。
修行時代は師匠にもズケズケ言って師匠からボコボコに殴られるようなこともあったくらい曲げない人でしたよ。
間違っても、弱々しい人ではありません。
私は歴史の評価では、親鸞・道元は過大評価、法然・栄西は過小評価されすぎていると思っているので
一応、法然の名誉のために。
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<<ということで、釈尊が発見された「此縁性の縁起」を身心において深めたいと、志を新たにしています。>>
それはそれで素晴らしいことではないでしょうか。
人間は自分が信じる道を行くのが一番ですし、そもそも自分が信じたいものしか信じないのが人間です。
私も、歴史上の仏陀が言おうとしたことがはっきりとわかるようになってきました。
そして、それは驚くほど、今の日本仏教というものとは真逆なものでした。
龍樹の解釈した【縁起】
これから、今の日本仏教が形作られてきました・・・
そう、瀬戸内寂聴などほとんどの僧侶が説法している、
『私たちは他のすべての存在に縁って生かされているの。だって、そうでしょ。食べている米も農家の人が作ったもの、着ている服もその素材を作った人がいる。それには空気も水もいる。人は自分一人では生きていけないの。周囲のものに生かされているのよ。それが縁起。縁起だから自分なんてないの。』
これが仏教の真髄とされていますね。
あなたもそこを極めようとされているのでしょう。
それはそれでいいと思います。
ただ、私は、歴史上の仏陀の言葉を追いかけていったために、仏陀の言った『苦』『激流』の本当の意味が頭でなく実感としてわかってきました。すべての人間は激流に押し流され、苦の集積へと向かっているのですが、それに全く気がついていない。その凄まじさを知ると日本の仏教者が語る悟りすましたような言葉の羅列では何の力もないように思えてきました。
私はそれをこの掲示板で語ろうとは思いません。
人間は信じたいものしか信じないものだからです。
あなたもつつがなくお過ごしください。
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oyaさん、こんばんは。
その通りですね。
その僧侶は偉いですね。
その僧侶が「そこで初めて気がつきましたね 仏教に関わる者として言葉で理解して説教もしていましたが 実はその真髄は体得できていなかったことを」と言う前は
他の僧侶と同じく、悟りすましたような観念論ばかり言っていたと思います。
言葉では、そして文章では、何とでも悟りすましたことは言えるのです。
はっきり言って、仏教は、そのような悟りすましたものたちの空虚な言葉で満ちています。
誰でも、悟りすました言葉などいくらでも言えるのです。
実際に、現実生活に対処できるのか、です。
今の私には、今までの仏教というものは馬鹿馬鹿しすぎて仕方ないです。
『災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候』と、自分が、そして自分が最も大切に思う人が災害に遭ったとき、死ぬような病に冒されているときに本当に言えるかどうか、です。
最近は特に地震が頻発しています。そのような災害に遭った方にそんなことが言えるのか、です。
自分の最愛の人が苦しんでいるのに『災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候』と言えたとしたら最悪の人格ですし、言えなかったとしたら嘘つきです。
日本人は有名人の権威に騙されすぎですね。
例え、宗祖であっても、歴史上の偉人であっても、権威づけられずにその真実を求めることが大切でしょうね。
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1828年の新潟三条の大地震で子どもを亡くした俳人・山田杜皐にあてた良寛の手紙の全文はこうです。
『地震は信に大変に候。野僧草庵は何事もなく、親類中死人もなくめでたく存じ候
うちつけにしなばしなずてながらへてかゝるうきめを見るがはびしさ
しかし災難に逢時節には災難に逢がよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候
是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ』
地震は大変だ、でも自分の草庵は何事もなく自分の親類はみんな無事でめでたいことだ。・・
と書いた後、地震で子供を亡くした人に『災難に逢時節には災難に逢がよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 』とあります。
もし、最愛の貞心尼が死の病で苦しんでいるところでも、『災難に逢時節には災難に逢がよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 』と貞心尼に向かって悟りすましたことを言えるかどうかです。
一生懸命看病して全快を願うでしょう。
『災難に逢時節には災難に逢がよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 』などというものは自分の心に刻み付けておけばいいのであって、地震で最愛の子供を亡くした人に向かって言う言葉ではありませんね。
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こんにちは。
自分が実行できないことは他人に言うべきではないと思っていますよ。
宗教家の最も悪いところは、自分ができもしないことを悟りすまして
他人に説教することが非常に多いことです。
信者からの布施で生きているのですから、宗教家は、ここは真摯にならなければいけないでしょうね。
山田杜皐は酒屋ですね。そして、夕方になると酒をもらいに良寛が現れるので、良寛を蛍と言ってたのですよね。
つまり布施をする信者と宗教家の関係です。
夕方になると酒をもらいに来るということでわずらわしいということも少しは感じていたようで、わずらわしいと思っていたけど来なくなると寂しいものだ、というような歌も残っています。
信者から布施をもらって生きている宗教家が、信者に『災難に遭うときは遭うがいい。死ぬときは死ぬがいい。』と言うときは、自分自身が同じ境遇になったときにそう思えると確信や覚悟がないと言ってはいけないと思っています。
もし、最愛の子供が地震で亡くなった人に『災難に遭うときは遭うがいい。死ぬときは死ぬがいい。』というのであれば、少なくとも、自分自身の最愛の人、良寛なら貞心尼でしょうけど、その人が重病や亡くなったときでもそう思える覚悟が必要ということです。
もっと根本的なことを言えば、禅の場合、『病気になっても日々是好日』というような善悪の二元対立を超越する志向がありますから、『すべての人が現象的にもよくなってほしい』という慈悲の心がおろそかになっていることがあり、その部分が弱点のような気はします。
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そうですね。
悟りすましたような説教をする宗教家が多すぎますね。
悟り目線での説教より
『ひでりのときはなみだをながし さむさのなつはオロオロあるき』のように役には立たなくてもみんなの苦しみを感じてくれる人の方がいいですね。
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まあ、好みの問題でしょうね(笑)
悟り目線で『干ばつや冷夏で作物ができなくてもどうってこたあない。起きたことは仕方ないじゃん。受け入れなさい。』と言われるのが好きか
役立たずでボーとした男がいっしょにオロオロしてくれるのが好きか、
究極の選択ですね(笑)
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もうこの問題も何度もあなたから質問されてはっきりと答えています。
このような繰り返しは時間がもったいないので、今度からは
『すでにはっきりと答えています。過去投稿を読んでください。』とだけ言うことにします。
私はあなたの考えを変えたいというような気は全くなく、あなたはあなたなりの考えで自分のスレッドに書き込んでいたらいいではないですか。
本当に煩わしい限りですが、もう一度だけ書きましょう。
私は、今までの仏教解釈は仏陀の真意からかけ離れていると思っています。
どのような仏教学者も歴史上の仏陀の真意を把握してない、というところから出発しています。
ですから、中村元も思想家ではなく、優れたパーリ語の翻訳家として見ています。
中村元を教祖とする宗教に入っているわけではありませんから、中村元がどのような思想を持っていても何の興味もありません。イスラム教徒でも問題ないですよ、パーリ語を的確に訳してくれれば。
一番いいのは、自分がパーリ語で原始仏典を解読すればいいのですが、人生が3回あっても時間が足らないでしょうね。
ですから日本語訳を読んで、気になるところをパーリ語で確認するということをしています。
中村元のパーリ語の翻訳は他の人よりずっと優れていますが、私から見てこの訳は違うという箇所もいくつもあって鵜呑みにしているわけではありません。
誰かが挙げていた
『この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は、行き着く先は無明にのみ存する。この無明とは大いなる迷いであり、それによって永いあいだこのように輪廻してきた。しかし明知に達した生けるものどもは、再び迷いの生存に戻ることはない。』――スッタニパータ
の言葉で、歴史上の仏陀が輪廻転生に関してどう見ていたかははっきりとわかりませんか?
この言葉を見て、「釈尊は輪廻転生を否定した」と考える人もいるようですから、人それぞれです。
そして、そう思いたい人はそう思っていればいいと思いますよ。
それを変えたいとは全く思いませんね。
人間は信じたいものだけを信じますからね。
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