紀元後の社会描写

1、大乗経典には紀元後の社会描写があるが何故か


イスラム教徒に仏教の僧院が破壊された。と書いてありますか?玄奘というシナ人のビクがナーランダーで唯識を学んだ。と書いてありますか?E=mc² と書いてありますか?
大乗経典には仏像が出てくるものもあるようです、未だ考古学的に確認されませんが「釈尊時代には仏像はなかったと論理的に証明」できますか?金持ちの「長者」が出てきますが釈尊時代から「長者」はいます。

 

大乗経典には、以下のようなガンジス中下流域の都市化が進んだ後の社会(紀元1世紀以降に顕著)の描写が見られます。

多数の商人(śreṣṭhin, 商主)が登場したり、巨大な集落=城邑(pura / nagara)の描写があったり、貨幣経済(特に銀貨・金貨の流通)を前提とした施しの描写があったりします。

特に『維摩経』では、在家者維摩詰が大富豪の長者として描かれ、商業都市ヴァイシャリーの活況を背景にしている点が、明確に紀元後の社会像と一致します。

 

紀元後1~2世紀には、北西インド〜ガンダーラ地方を中心に僧院型仏教(ストゥーパを中心とした大僧院)が発達しました。

大乗仏典では、巨大な僧院組織や多人数の比丘・比丘尼の制度的な生活、大規模な布施の組織化といった、紀元後の仏教教団の実態を反映した描写が顕著です。

大乗経典には、大王(cakravartin)の徳を讃える政治思想が反映されます。

王が仏法を守護することで世界が安定することや国王に対する護国法(雨季や豊穣などの祈願)などです。

これはクシャーナ朝のカニシカ王など、大乗仏教を保護した王権の影響を示唆するとされ、紀元後の政治状況を反映していると理解できます。

また、大乗仏典には紀元後の高度に分化した社会階層が現れます。

医師、香料商、宝石商など専門職が登場し、貴族・バラモン・武士階級・富裕商人が明確に区分されます。

これらは「都市職能の細分化」が進んだ、紀元前後以降の社会に対応します。