仏教の岐路

最近、日本の仏教は崩壊の危機にあるのじゃないかと憂慮しています。

ちょうど、仏教がインドで滅びた時のように。

 

日本の仏教には大きく二つの勢力があります。

ひとつは、伝統的な既成仏教です。

いま、日本には、7万寺以上のお寺があります。

コンビニよりも多い数字です。

これは、江戸時代の檀家制度に守られてきました。

檀家制度というのは、つまり寺に市役所の戸籍係の役目を負わせて、江戸幕府がすべての人を管理する制度です。

ですから、どの家もどこかの寺に属することが強制されました。

これがびっくりすることに、現代まで受け継がれています。

寺の収入の主なものは、檀家による葬式や法事、そしてお布施によるものでした。

葬式仏教と言われる所以です。

しかし、近年、少子化により檀家の数が減っています。特に地方は都会に出て帰ってこない家も多くなりました。

加えて、葬式の簡素化や法事の数を減らす傾向が出てきました。

コロナ禍で特にそれが顕著となっています。

そういうことで、7万寺以上もあるお寺の中でも修繕など維持管理できないところが激増しています。

 

もうひとつの勢力は、仏教系新興宗教です。

強引な勧誘を行っていたので、かなりの勢いで拡大していきましたが、オウム事件以来、『新興宗教は怖い』というイメージがついて失速していきます。

去年、巨大教団のトップが相次いで亡くなりました。

これにより、ますます会員数は減っていくと思われます。

巨大教団はどこもお金にまかせて日本全国、または海外にも立派な会館を建てまくっていました。

この、夥しい数の会館という建物の維持管理費は極めて重くのし掛かってきます。

 

こう見ていると、既成仏教も仏教系新興宗教も、同じ道を辿っているように思えます。

寺や会館という建物が仏教の中心となっているため、信者数が減ればその維持管理が出来なくなってきているのです。

建物の維持管理費は膨大にかかります。

 

これはちょうど、インドで仏教が滅びた道のりのような気がします。

仏陀の死後、部派仏教の時代になると特に出家者は僧院に閉じ籠ることになります。

お布施や寄進は潤沢にあるので、毎日托鉢する必要はなく、僧院で煩瑣な理論をひたすら構築していきます。

ここで、仏教教団は世間と遊離していくことになります。

逆に、世間の人たちとふらふら交際していく者たちも出てきます。

仏教は僧院という建物によって運営されるようになっていったので、イスラム教が僧院を破壊することで、仏教はインドからなくなっていきました。

 

仏教に限らず、宗教は、最初期は極めて美しい。理想に燃えています。

しかし、団体になり、お金も集まって、建物をどんどん建てはじめていくと、経営というものをしなくてはいけなくなるのです。

信者や会員集めに奔走したり、権力に近づいたりします。

 

どの宗教も団体になったときから堕落が始まると思っています。

維持費、つまりお金が何より必要となるからです。