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あなたの天敵は渡辺照宏・グレゴリーショペンの天敵はスタニスラフシャイエル。
あなたの知らない仏教がある・あなたの知らない仏教【学】がある。
佐伯真光「明治仏教百年の錯誤 -根本仏教神話を非神話化しようー」『大法輪』昭和43年4月号
日本仏教は堕落した仏教か
明治以後今日[追記:昭和43年、1968、明治維新100年]まで、日本の仏教界には一つの神話がおこなわれてきた。それは仏教が本来合理的、理性的、科学的な宗教であり、かつてインドには純粋で明澄な原始仏教なるものが実在したという神話である。姉崎正治はこのような理想的な仏教を<根本仏教>と名づけた。この神話を信ずる立場からみれば、仏教史は仏教堕落の歴史にほかならぬことになる。根本仏教は部派仏教に堕落し、小乗仏教という動脈硬化におちいった、この弊をすくうべく現れた大乗仏教も、インドの俗信に埋没して、右道・左道の密教となり、堕落の極、ついに仏陀の真精神はインドの地から失われた ー 巷間に行なわれる仏教概説書には大なり小なりこのような仏教史の図式がのべられている。この図式を信ずるかぎり、日本の仏教各宗派はいかに弁明しようとも、結局は本来の仏教から見れば異質的なものであり、堕落した一形態にすぎぬことになる。
中略
日本の仏教学者は「日本仏教は仏説にあらず。故に仏教なり」という無理な論式を証明しようと躍起になっていたのである。このような偏見を除き去って、仏教徒が自分自身で考えることをはじめるならば、我々は「日本仏教は仏説にあらず」という命題の背後にある「根本仏教は合理的宗教なり」という前提が実は単なる神話にすぎなかったことに気づくのである。
理性的宗教としての仏教
いわゆる合理的宗教としての仏教と言う神話がつくりだされたのは、十九世紀のヨーロッパにおいてだった。ヨーロッパの学者が本格的に仏教に接触し、その研究をはじめたとき、彼等は、十九世紀合理主義の立場に立って、パーリ語文献のなかから好みに合う部分だけをひろい出し、まったく頭の中
だけで純粋・明澄な原始仏教なるものを、虚構したのである。十九世紀といえば、近代ヨーロッパ思想の主潮流だった合理主義がその完成期に達した時であったし、またその立場からするキリスト教批判が最も盛んにおこなわれた時期にもあたっていた。この時に紹介されたパーリ語仏教はヨーロッパ人の目に驚くべき合理性をもった、新鮮な宗教体系として映じたのである。彼等はこの中に、ヨーロッパの<非合理的な>宗教には見出されないユニークな法則化認識を求めて、四諦・八正道・三法印・十二縁起などという教義をひろい出し、このような<近代的思惟>をうみ出した古代の東洋の智慧に随喜した。今からみると、オルデンベルク、ノイマン、ガイガー、ヴィンテルニッツ、初期のリス・ディヴィズ等によって描かれた原始仏教の世界は、彼等自身の先入観の無意識的な投影だったのである。彼等はパーリ仏典を彼等自身の思想的立場から勝手に<解釈>していたにすぎない。
こうした事情は、十八世紀にヴォルテールなどの啓蒙思想家やアンシクロペディストたちが、中国の古代儒教のなかに理想的な合理主義・道徳主義的宗教の典型を見出して随喜したのと、極めて類似している。合理的宗教としてのパーリ仏教の発見は、それの十九世紀版だといってよい。両者に共通しているのは、古代の東洋にユートピアが存在したという、ヨーロッパ人の東方憧憬のロマンティシズムである。未知の文化にはじめて接触したとき、そのなかの美点だけが拡大されて目にうつるという過ちから十九世紀の合理主義者たちも自由であることはできなかった。
しかし、このような先入見にみちたヨーロッパ人の仏教観は半世紀も続かなかった。パーリ文献から、サンスクリット、チベット語文献へ、さらにシナ、日本の仏教へと欧米人の視野が拡大し、欧米の学者が漢訳大蔵経を読みこなすようになると、事情は一変した。これはまたヨーロッパ仏教学の主流が、ドイツ・イギリス系学者の手から、フランス・イタリア・ポーランド系学者の手へ ー すなわちプロテスタント系からカトリック系へ ー と移った事情とも平行している。今世紀に入ってからは、仏教をインド思想の流れの一環として、あるがままの姿でとらえようとする立場がヨーロッパの学界では確立した。パーリ文献を虚心に読むならば、そこには必ずしも倫理宗教としての仏教ばかりでなく、古代人ならば当然抱いたであろうような無知や俗信が混在していることがわかる。そして古代人の一人だった歴史的仏陀が十九世紀合理主義者と同じように思索し行動したと考えることのほうが、むしろ不合理だということがわかるだろう。
こうした仏教観を一番はっきりと打ちだしたのは、仏教学のポーランド学派の祖ともいうべきスタニスラフ・シャイエルであろう。彼は初期の著作『救済教としての大乗仏教』以来、『東方の諸宗教』におさめられた晩年の論文にいたるまで、一貫して、仏教は単なる倫理教であったことはなく、最初からそれ自身の神話と祭儀と救済の教義を持った宗教であったと主張してきた。彼の所論は要するに、小乗仏教のあとに大乗仏教がくるのではなく、多くの神秘的教義を含んだ大乗仏教こそ、最初期の仏教に直接由来するものだという点にある。彼は如来信仰が仏陀以前からインドに存在していたとする一方、いままで原始仏教の根本教義とされてきたような合理的教義、たとえば無常・無我・涅槃(ねはん)等は本来の仏教のものではなく、のちに仏教教団が現実の生活から遊離し、僧侶が僧院で孤独な冥想にふけるようになってから創作され、パーリ経典に付加されたのだと考える。すなわち、彼によると仏教史の順序は、小乗から大乗へ、ではなく、大乗から小乗へ、となる。ポーランドの生んだもう一人の偶像破壊者コペルニクスと同じように、シャイエルは仏教史の図式を逆立ちさせたのである。
追記:[Stanisław Schayer (1899-1941)]
シャイエルの個々の議論にはいろいろの問題があるのはたしかだが、彼によって代表される一群の学者の出現によって、原始仏教神話が完全にうちくだかれ、第二次世界大戦後には合理的宗教としての原始仏教を説くような「神がかり的」な学者はヨーロッパでは一人もみられなくなったことはたしかである。欧米仏教学の解説付綜合論文目録であるビブリオグラフィ・ブディクをみれば、そのことは極めて明瞭である。
そして文献研究の進展とともに、今まで最古層の仏教文献とされてきた法句経やスッタ・ニパータを仏陀金口(こんく)の直説とする考えも次第に根拠をうしない、歴史的仏陀の人間像は沙門文学の伝承中に解消していきつつある。非神話化から実存論的神学へと展開したキリスト教の場合と非常に類似した状況が仏教についても起こってきた。
ところがこのような欧米の学問の進展とくらべると、日本ではあいかわらず合理的宗教としての原始仏教という神話がおこなわれているのはなぜだろうか。それには、江戸時代から明治にかけて、日本の仏教がどのような状況におかれていたかをふりかえってみることが必要だろう。
中略
ヨーロッパに留学した姉崎正治は、パーリ語文献という新しい仏教研究の分野を紹介すると同時に、ヨーロッパ人が虚構した原始仏教観をも輸入して、これを根本仏教と名づけた。彼はこれによって錯雑した仏教発達史の根本に純粋な仏陀の人格と教説があったと主張し、仏教統一の夢を実現しようとした。彼およびその亜流はこの根本仏教を叫ぶことによって、仏教が現代人の思考に最も適した合理的宗教であり、国学・儒学・キリスト教の何れよりも近代的であることを証明しようとしたのである。その証拠は何よりも、ヨーロッパ人が原始仏教の教理に感嘆し、彼地に一種の<仏教ブーム>がおこっていることからも知られる、と彼等は暗示するのを忘れなかった。すなわち彼等は、自分自身の主体的な問題を自分で考えぬこうとはせず、借り物のヨーロッパ合理主義で解決しようとした。そしてそれを日本人一般の西洋崇拝によって巧みにすりかえて、平然としていたのである。そしてその合理的原始仏教なるものが、当時のヨーロッパ人の仏教理解の限界を示す神話にすぎなかったことには気がつかなかった。
以下略
『大法輪』昭和43年4月号、以外に単行本、
佐伯真光『アメリカ式人の死に方』自由国民社に再録。
日本の仏教学は佐々木閑と中村元を葬って60年前、渡辺照宏からやり直し。
娑婆世界の仏教はサンガとダルマを葬って2500年前、ブッダからやり直し。
意見の一部が違うからといって天敵というような考えは仏教ではないですね。
あなたは、仏教系の新興宗教団体の人のように思えます。
創価学会とか親鸞会のような。
特徴は、極めて攻撃的なところです。
自分の考え以外は全て、敵認定ですね。
そのような考えでは仏陀の真意を探求することはできないでしょう。
その団体が言ってることが絶対に正しいと思い込む精神活動があるだけですから、仏陀の真意など実は興味ないのでしょう。
今度は、昭和43年ですか。グレゴリー・ショペンの発見のかなり前ですね。
その後、今までの仏教史が覆るような発見があったのですから、最新のものが見たいですね。
文献学や考古学の発見によって揺らぐような理論であればそれは真実ではありません。
どのような科学的な発見があっても全く揺らがないものが真実です。
そのスタニスラフ・シャイエルという学者の言うことには正しいことも間違ってる点もありますね。
『仏教をインド思想の流れの一環として、あるがままの姿でとらえようとする立場』
これは、私は全面的に賛同します。
むしろ、あなたは、本当にこれに賛同していますか?
私が見る限り、大乗仏教側も上座部仏教などの部派仏教側も、仏教は全て、ヒンドゥー教(バラモン教)やジャイナ教の影響を認めようとはしません。
仏陀はヴェーダ宗教を否定してはいません。
仏陀はヴェーダの達人と言われていました。
しかし、教団は、仏教からヴェーダ的なもの、バラモン教的な要素、ジャイナ教の要素を排除していきました。
仏教は単なる倫理教であったことはなく、最初からそれ自身の神話と祭儀と救済の教義を持った宗教であったと主張してきた
これは、その指摘する具体的な内容を知る必要があります。祭儀とはどのことを言っているのか、救済とはどのようなことを言っているのか、です。
多くの神秘的教義を含んだ大乗仏教こそ、最初期の仏教に直接由来する
これはその通りだと思いますよ。
仏教は本来、神霊や神通力など神秘的な要素を多分に持っていた宗教だと思います。
『仏教は宗教ではない、科学だ』という上座部仏教の主張は違っていると思っています。
仏教は神秘的な要素を持った宗教なのです。
ただの哲学でも、ただの心理学でも、唯物論でもなく、宗教なのです。
いままで原始仏教の根本教義とされてきたような合理的教義、たとえば無常・無我・涅槃(ねはん)等は本来の仏教のものではなく、のちに仏教教団が現実の生活から遊離し、僧侶が僧院で孤独な冥想にふけるようになってから創作され、パーリ経典に付加されたのだと考える
これは全く馬鹿げた文章ですね。
原始仏典をちゃんと読みなさいと言いたいですね。
まあ、トンデモが7割、正しい部分が3割くらいですね。
ただ、どの学者も100%間違っているということはなく、どこかの箇所はいいこと言っている部分があるのでどれも有益です。
あなたのように、意見が違うからといって敵認定することはありません。
日本の仏教学は佐々木閑と中村元を葬って60年前、渡辺照宏からやり直し。
娑婆世界の仏教はサンガとダルマを葬って2500年前、ブッダからやり直し。
やはり、佐々木閑や中村元を憎んでいるようですね。
私は、佐々木閑にも中村元にも興味はありません。
中村元は訳者としての本は持っていますが。