仏教の根幹

大きな気付きがありました。

 

仏教は根幹がすべてであり、これがわからなければ、原始仏教もわからず大乗仏教もわからないこと。

 

根幹とは、仏陀の理法のこと。

仏陀の理法を心に受持すること。

受持とは、心に記憶し繰り返し観ずること。

satiとは、記憶のこと。

 

あれほど、ちんぷんかんぷんだった法華経の全貌がやっと現れようとしている。

 

なぜ、わざわざ新しい経典を作らなければならなかったのか。

授記とは何か。

なぜ、法華経を仏陀の滅度後において説かなければならないのか。

 

なぜ、地面の下に空があるのか。

なぜ、地面の下から菩薩たちは涌いて出るのか。

 

なぜ文殊菩薩は海中で法華経を説いたのか。

そもそも海とは何か。

 

常不軽菩薩は、すべての人の中にある仏性を礼拝、讃歎したと解釈されているけれど、経典では『比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷』の四衆に対して『汝らは皆な菩薩の道を行じて、まさに作仏することを得べし』と言ったのです。なぜ、四衆という仏教信徒ばかりにそう言ったのか。

すべての人の仏性を礼拝するのであれば、仏教信徒以外にも言うべきでしょう。

また、喜ばしいことを言っているはずなのに、なぜ、四衆は、常不軽菩薩に石や土塊を投げつけたのか。

 

 

(続きます)