仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか

  [No.22940] 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/15(Fri) 17:08:51

石飛先生、こんにちは。
前から、先生のお考えをお聞きしたいと思っていたことがあります。
私がずっと疑問に思っていたことでした。

仏陀は、五蘊非我を説きました。
そして、四念処の実践で、身・受・心・法 の4つがどれも無常であり(生じれば滅するということ)、苦であり、私ではない、と観じることを説きました。

病身の仏陀を見舞いに来た弟子に『このような老い朽ちていく私の肉体を見て何になろう。私の説いた法を見る者は私を見るのだよ。』と説きました。

仏陀の説いた理法からすると、当然、仏陀の肉体が仏陀なのではないはずですし、
まして、仏陀の遺体が仏陀であるはずがありません。

仏陀の遺骨を特別なものとすることは、仏陀の理法からはあり得ないと思うのです。

しかし、仏陀は入滅の前に、『私の遺体は、世界を支配する帝王のようなやり方で火葬し、ストゥ-パを作って遺骨をまつり拝むべきである』と言いました。

白骨観を説き、
『私の肉体はまさしくこのように朽ちていって白骨となるものであって私ではなく私のものでもない』と観ずることを教えた人が
なぜ、自分の遺骨を特別視して拝めと言ったのでしょうか?

仏陀が生涯をかけて説いた理法からは、『私の肉体は私ではない。遺体は私ではない。そのようなものにわずらわされることなくガンジス川に流しなさい。』と当然言うだろうと思えるのに、なぜなのでしょう?

親鸞は、自分が死んだら賀茂川に捨てて魚に与えよ、と言いました。

また、今でもそうかもしれませんが当時のインドでは遺体はガンジス川に流すことがほとんどでした。

しかし、仏陀はわざわざ、転輪王のようにして、自分の遺骨の塔を作るように言いました。

なぜ、『肉体は朽ち果てるもので私や私のものではない。そんなものにとらわれずにガンジス川に流し、お前たちは修行に励みなさい。』ではなく、
塔を作り礼拝するように言ったのでしょうか。

先生はどう思われますか?

 

 

  [No.22947] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/16(Sat) 13:27:50


> わたしが、ここで、ブッダについて読んでいることは、ブッダは最後の最後まで人々を指導し、又、指導する意志を持ち続けていることでした。
> 死の準備というのは、葬式費用はどこから出すかとか、そういう世間のことがらではなくて、ブッダ涅槃の後も、どうやって人々を救っていくか、ということだったと思います。
> テ-マが、全部それ1本にしぼられています。

確かにそうですね。仏陀は強烈に、自分の死後の弟子や在家の人たちのことを考えていますね。
仏陀の言葉には、それだけを考えている凄みがありますね。

> ア-ナンダは、ぼんやりで、「長生きしてください」と頼まないし、チェ-ティヤ(聖地)にいって「ヴェ-サ-リ-は楽しい」「ウデ-ナ霊樹は楽しい」と訪れる聖地を礼賛しているのに、ア-ナンダはブッダの気持に気づきません。

仏陀は、悟っていないア-ナンダに対し『大丈夫か?』という気持であったのではないでしょうか。
『お前、ここまで言っているのに気が付かないのか?このくらい匂わしたんだから気づいてくれよ。お前の成道のためにもう少し生きようかと思ってたのに』と考えたように思えるのですが。

> これは、死に近づいたブッダが感慨をもって言ったというより、ア-ナンダに心清らかにする聖地にいけば、聖者ブッダに思いが行って、ブッダに「長生きして、わたしに教えを説いてください」という思いが湧くのではないかと思ったような節があります。

ア-ナンダに対して、『いい加減、言葉の表面だけでなくその奥の気持ちを察するようにしてくれよ』という気持ちがあったように思えます。
他の高弟たちと比べ、いつも一緒にいて仏陀の言葉を最も聞いているのがア-ナンダなのに、なかなか一歩踏み込めていないと心残りだったのではないでしょうか。

> しかし、ア-ナンダは気づかず、ブッダは悪魔の誘いを受け容れ、三ヶ月後に涅槃に入ると約束してしまいます。
> 約束したら、ブッダは守りますから、もはや死へのカウントダウンが始まりました、というところかと思います。その後、しばらくして、ア-ナンダは号泣しますが、時すでに遅しです。

これは『悪魔の誘いを受け入れた』ように表現はされていますが、ア-ナンダの鈍さにがっかりして、無理やり寿命を延ばす気がなくなったことを、そのような表現にしたような気がします。


> ブッダは、ア-ナンダが号泣する前だったと思いますが、信仰心のあるまじめな人であれば、心清らかになる4つの場所がある、といって、今現在四大聖地になっている「生まれたところ」、「悟りを開いたところ」、「説法を開始したところ」、「亡くなったところ」を教えます。そこを聖地にすると、多くの人に利益になると考えてのことです。

これはなんとも凄いですね。仏陀が実業家になったら大成功しているような気がします。
仏教徒はほとんどいないインドですが、この仏陀の言葉のおかげで、海外の仏教徒の大観光地になって、インドは潤っています。

> こうして、転輪聖王のお葬式をしてストゥ-パを作るのも、すべて、聖者を頼りにして清らかな心をめざす人々の修行を進める手段として、ブッダが定めたことだと思っています。
> ア-ナンダに、「比丘たちは葬式には関わるな」と教えながらも、聞かれると、ちゃんとお葬式の仕方を教えているのは、ア-ナンダの中に、比丘ではありますが、在家者の要素も見てとって、ア-ナンダには在家者の意識で教えているのかもしれません。

転輪聖王の葬式にせよというのは、大変なことです。
火葬自体、その時代では、莫大な費用がかかるので一般的ではなく、ほとんどの人はしませんでした。
火葬だけでなく、それにきわめて高価なものを巻いたりするのですから、成し遂げた弟子たちも凄いですね。


> 仏舎利を分けてストゥ-パを作れば作るほど、お参りのチャンスも増えますので、人々は楽しみながら、聖者を偲んで、心を改めて清らかにするという行為を行っていけるというわけです。巡礼がさかんに行われるようになりますね。
> こうして仏塔崇拝がさかんに行われ、ヒンドゥ-教の側からは、仏教徒は変な土まんじゅうを作って拝んでいる、と揶揄されたりするようになります。
> また、比丘たちは修行に身を投じてブッダのお葬式や仏塔の崇拝とは関係しないかと思いきや、何の何の、その後、比丘や比丘尼達の寄進も多く、仏塔崇拝は、教団に関係していても、さかんに行われたことが知られます。
> つまり、ブッダを尊敬し慕う気持は、比丘や比丘尼達にはいっそう強かったのでしょうし、そういうブッダを頼みにする心は、在家の人々と変わらないということではないでしょうか。
> わたしは、仏塔崇拝は、すばらしいシステムだなあと感心しています。
> 経済の流通や、産業の促進にもつながりますし、世俗的な側面でも、聖者を敬う心の側面でも、よいことが起こるシステムである、と思って「さすが、ブッダ」と思っています。
> ガンジス河中流域は、栄えて行きましたね。争いも多かったかもしれませんが、聖地巡礼は、ある程度平和でないとさかんになりませんので、平和な社会を実現するもとにもなります。
> こういうことを考えると、死んでも、ただでは死なないのが、ブッダだな、って思います!

おっしゃるように、仏陀は仏陀を思い起こして浄心となるシステムを作り上げたと言えるかもしれません。
その通りだと思います。
それに加え、私は、最後の最後に仏陀が『自分の遺骨を入れた塔を作り礼拝せよ』と言ったことから、後世の大乗仏教が興ったのだと考えています。
仏陀が死後も衆生を導くという意志を示したと捉えた人たちが、大乗仏教を興したのだと思うのです。
ですから、法華経には、さかんに塔が出てきます。
方便品では子供が戯れに土で塔を作っても成道するとあり、見宝塔品では空中に巨大な塔が出現します。
塔が仏陀の説いたことの正しさを証明するという筋です。
これは、舎利塔から仏陀の意志をくみ取った人が書いたのだと思います。

死後も衆生を救おうとする意志、つまり久遠に衆生を救おうとする意志を仏陀の遺言から感じ取り、大乗仏教を興したのではないかと思えるのです。

私としては、肉体など自分ではないと言っていた仏陀は、遺体などにかかわらず川に流しなさいと言った方が自然だと考え、あんなに高価で盛大な葬式を指示したことに違和感を持っていましたが、仏陀は最後の最後になって久遠に通じる意志を表したと考えると、感慨深いものがあります。

 

 

 

  [No.22949] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/16(Sat) 18:48:06


> > 死後も衆生を救おうとする意志、つまり久遠に衆生を救おうとする意志を仏陀の遺言から感じ取り、大乗仏教を興したのではないかと思えるのです。
>
> 実は、わたしは、ブッダの死後ではなくて、もっと前から大乗への道筋は作られていっているような気がするのですが、ただ、詳細に関してアイディアがありません。


ここが先生の核心部分ですよね。
そうだと思います。

私も、大乗仏教は、仏陀の真意の復興運動だと思っているので、歴史上の仏陀の真意を甦らせようとしたわけですから
最初期の想いが打ち出されていると思います。
大乗仏教は部派仏教へのアンチテ-ゼとして興った面があります。
大乗仏教のメインテ-マは四無量心特に慈悲だと思います。
法華経でも浄土経典でも大日経でも、慈悲が強く打ち出されています。
部派以前の原始仏教でも慈経は極めて大切にされていたと思います。
部派仏教にも慈悲の瞑想はあるのですが、涅槃に至らないという経典の言葉があり、
時代を経るたびに四無量心の地位が下がっていった、少なくとも慈悲をメインとはしなかったように思えます。
大乗仏教はそれへの反発があったように感じます。
もちろん、これは私が考えているだけで、的外れかもしれませんが。

ただ、大乗仏教がいきなり興ったわけではなく、仏陀最初期からの道筋を打ち出したものだというのは
先生と同じ想いを持っています。



>やっぱり、人として亡くなったことを考えると、「人」とも理解できるなと思うのですが、やっていることは完全に人を超える偉業を成し遂げていますね。

仏陀の死の凄いところは、人間として何の変哲もない死が、仏陀の理法の根幹である、生じたものは必ず滅するという偉大なるメッセ-ジになっているということですね。
日本でも、沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわすとして謳われるくらいですから。


 

 

  [No.22951] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/17(Sun) 05:29:52


> > 仏陀の死の凄いところは、人間として何の変哲もない死が、仏陀の理法の根幹である、生じたものは必ず滅するという偉大なるメッセ-ジになっているということですね。
> > 日本でも、沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわすとして謳われるくらいですから。
>
> ブッダを見るものは法を見て、法を見たものはブッダを見てますね。日本でも、正しく仏教は伝わったのだなあと感慨深く思います。
> ナ-ガの道だなあ、と思います、ほんと。


大般涅槃経の仏陀の死の場面が日本人に与えた影響は大きいものがありますね。
例えば、頭を北にして亡くなったことから、北枕が悪いという言い伝えになります。
しかし、インドでは今でも、そして昔から北に頭を向けて寝るとよいとされているようで、
仏陀も慣習通り、普段通りに頭を北に向けて横になったのでしょうけど、
日本では縁起が悪いということになってしまいました。
私は頭の向く方向を気にしたことはないのですが、まだ北枕は悪いと思っている人もいるようです。

北に頭を向けて寝るといいというインドの風習はどこから来たのでしょう。
司馬遼太郎の小説で、高杉晋作が『高杉家では代々、頭を西に向けて寝るんだ』と新婦のお雅に言う場面があって
お雅は『北枕は聞いたことがありますが』と聞くと、
晋作は『江戸、つまり将軍に足を向けて寝るんだ』と答えてたことを思い出します。
この場合の西枕には意味があるのですが、北枕がいいというなにか理由があるのでしょうか。

仏陀の死は、大安、友引、仏滅として、最も悪い日という意味合いで使われてますね。
仏教国にとってはそれほど衝撃だったのでしょう。

ア-ナンダも気をきかせて、延命を頼めばよかったとは思います。
モ-ツァルトがせめてあと1年長く生きていれば、人類にとって大きな利益になったと思いますし
仏陀の延命はそれどころではないような気もします。
握り拳がないと言ったことから語りつくしたと考えられたのかもしれませんが。


 

  [No.22954] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/17(Sun) 09:47:13

> > ア-ナンダも気をきかせて、延命を頼めばよかったとは思います。
>
> いや、これこそが、「縁起」なんじゃないでしょうか。
> たぶん、ア-ナンダには、あらゆるできごとがバタバタと過ぎていって、本人は気づこうにも気づけない状態であったのではないかと思います。まさしく悪魔が取り憑いたと言われる状態に陥っていたのかな、と思っています。
> そう考えると、その後の展開も、何となく納得されます。
> 一人だけ覚れないア-ナンダは、仏典結集からはずされ、マハ-カッサパ主導で話しが進む中、ア-ナンダ必死の修行で何とかぎりぎり間に合って覚るという、劇的な展開を見ます。
> ア-ナンダは、出家者でありながら、出家者ではなく在家の如くであって、あらゆることがらがア-ナンダにとっては、在家的な世俗世界のできごととしてとらえられているのかなと思ったりもします。亡くなるとき、想受滅に入ったブッダを、亡くなったと誤解するのもア-ナンダです。ア-ナンダだけが、ちぐはぐですよね。


少しこれから出ますので、後で書きたいと思いますが、先生のこの部分を読んで、とっさに思い浮かんだことを書いておきます。忘れますので(笑)

ひょっとすると、キリスト教におけるペテロが仏教におけるア-ナンダなのではないかと、ふと思いました。
実際、あの、やらかしてばかりのおっちょこちょいのペテロを何故イエスは一番弟子にしたのか、とても不思議でした。
しかし、ペテロは、キリスト復活後に一変します。

ア-ナンダも仏陀在世中はぼんやりとして依頼心の強いひとだったのかもしれませんが、仏陀滅後に一変したのかもしれません。

思い付きですので、自分でもくだらないことを言っている感じはしますが。

 

 

  [No.22959] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/17(Sun) 15:17:29


> > 例えば、頭を北にして亡くなったことから、北枕が悪いという言い伝えになります。
> > しかし、インドでは今でも、そして昔から北に頭を向けて寝るとよいとされているようで、
> > 仏陀も慣習通り、普段通りに頭を北に向けて横になったのでしょうけど、
>
> それは、そうなんですか?
> 北を枕にして寝るとよい、というのは、実は、よく知りませんが、聖者は眠るとき、右脇腹を下にして寝るとは言われています。つまり、顔は西を向いていることになります。
> これは、現代では医学的に心臓の位置など、いろいろ言われていますが、詳しいことはわかりません。

> > 北に頭を向けて寝るといいというインドの風習はどこから来たのでしょう。
>
> いや、わからないですねえ。『大般涅槃経』の、仏陀の言葉「沙羅双樹の間に頭を北に向けてとこを用意してくれ」という言葉しか、思いつきません。ウパニシャッドとか他の文献でも見たことがありませんねえ。


私は、前に現代のインドについて書かれてあった本で知りました。
インドのホテルに泊まると、どこもベッドが北向きだったので、フロントに聞くと、インドでは北向きがいいとされているというような話でした。
本当かどうかはわかりません。

一応、ネットで調べてみたら、インドでは北の方角がいいという記事は複数ありました。どれも信ぴょう性には欠けますが。
理由は、次のようなものでした。

1,インドの北にヒマラヤがあり、それが須弥山のモデルだと考えられていて、神々がすむ神聖な場所とされ、北に足を向けてはならず、頭を北向きにするのがいいとされている

2,ア-ユルヴェ-ダでは、太陽は北東から上がるとされていて、北東の方角が最もエネルギ-をもらえる

3,地球は磁気が北極から南極に流れており、北向きに寝るのが身体によい


主にこのようなものがありました。

それに、よく考えれば、
四門出游では、
東門から出たときに、老人
南門から出たときに、病人
西門から出たときに、死人
北門から出たときに、沙門
と出会います。

これを見ても、西は死後の世界、北は神聖な世界を表すと言えるかもしれません。


 

 

  [No.22965] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/18(Mon) 19:44:52


> > ア-ナンダも気をきかせて、延命を頼めばよかったとは思います。

> いや、これこそが、「縁起」なんじゃないでしょうか。
> たぶん、ア-ナンダには、あらゆるできごとがバタバタと過ぎていって、本人は気づこうにも気づけない状態であったのではないかと思います。まさしく悪魔が取り憑いたと言われる状態に陥っていたのかな、と思っています。
> そう考えると、その後の展開も、何となく納得されます。
> 一人だけ覚れないア-ナンダは、仏典結集からはずされ、マハ-カッサパ主導で話しが進む中、ア-ナンダ必死の修行で何とかぎりぎり間に合って覚るという、劇的な展開を見ます。
> ア-ナンダは、出家者でありながら、出家者ではなく在家の如くであって、あらゆることがらがア-ナンダにとっては、在家的な世俗世界のできごととしてとらえられているのかなと思ったりもします。亡くなるとき、想受滅に入ったブッダを、亡くなったと誤解するのもア-ナンダです。ア-ナンダだけが、ちぐはぐですよね。
> でも、これは、仏教にとっては必要であったのだろうと思います。
> 心は在家に身を置きながら、経典を一番よく知っている心優しいア-ナンダ。
> その一方
> 厳しい頭陀行を一途に行い、心清浄を身をもって体現していたマハ-カッサパ。
> この二人が、ブッダの教えを守ったと言うことなのだな、と思っています。
> だから、二人合わせてブッダの大きさになるのではないかと思うのです。
> どちらも必要な要素として、阿羅漢と正等覚者の呼び名が、ブッダについて唱えられています。
> 阿羅漢は、マハ-カッサパに代表され、正等覚者は、多聞のア-ナンダが引き受けたということかと納得しているのです。


仏陀の葬儀において、マハ-カッサパが葬儀をとり仕切りました。
仏陀は、『自分はサンガを指導しようという気がない』として、教団について何も指示を出しませんでしたから、マハ-カッサパが後継者という指名もしてないですね。
なのになぜ、仏陀が亡くなった場にいたわけでもないマハ-カッサパが葬儀を取り仕切ったのでしょう?
仏陀がマハ-カッサパに半座を与えたということを読んだことがありますが、典拠が分かりません。
半座を与えたというのは本当でしょうか。

もちろん、人格面からしても、マハ-カッサパが後継者でよかったとは思いますが、仏陀が後継者に指名したことがあるとは思えないのです。
拈華微笑のエピソ-ドは作られましたが、史実ではないでしょうし。


あと、先生は、阿羅漢と正等覚者ということで、分けられていますが、どう違うのでしょうか?


 


 

  [No.22973] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/19(Tue) 11:11:44


> > 何かの本で、葬儀は初めからマハ-カッサパが取り仕切ったと書いてあったような気がしましたが。グレゴリ-・ショペンの本でしたか、うろ覚えです。勘違いかもしれません。
>
> いえ、だいたいよいように思います。
> パ-リ語聖典では、おっしゃるように、マハ-カッサパがしきったようには書いていないのですが、日本人のみなさんは、何となくカッサパ主導で、ことが行われたように感じているのではないでしょうか。


グレゴリ-・ショペンの本を確認しましたら、なんとも衝撃的な事が書いてありました。
根本説一切有部律の中に書かれてあるそうですが。
グレゴリ-・ショペンによると、
『マハ-カッサパがいかに裕福あったかは、彼が仏陀の死体のための供養を完全にやり直したという事実によってテキスト中に直接示されています。その供養の品物には、特に必要な特定の量の綿芯、五百セットの綿布、火葬に必要な香木とが含まれています。最初の折にはこれらの葬儀の用品を揃えるためにクシナ-ラ全村がそれにかかった・・・(後略)』
と書かれています。
私有財産を認められてない、サンガ共有財産しか認めてないはずですので、それを前提として、ショペンの私有財産説はいまは置いておくとして、この記述であれば、やはり、マハ-カッサパが葬儀委員長であったということですね。
ただ、やり直したという記述が、信じられないでいますが。
本当に、そんな記述が根本説一切有部律にあるのでしょうか。


> マハ-カッサパは、サンガの伝統を残そうと、また、仏教の教えを守ろうと、仏典の結集を呼びかけます。
> そこにア-ナンダも加わろうとしますが、マハ-カッサパは阿羅漢でないア-ナンダを拒んで許しません。この厳しさが、経典のためにはよかったと思います。
> そこで必死に覚ろうとするア-ナンダ、そして、それを見守るマハ-カッサパ。
> ぎりぎり間に合って仏典結集に参加できたア-ナンダ。けっこう、劇的ですよね。


はい。これは私も好きなエピソ-ドです。
ア-ナンダは美男子でしたので、女性のファンが多く、ア-ナンダもついつい甘い対応をしてしまうので、長老たちがア-ナンダに苦言を呈する場面はありますね。
長老たちの共通認識として、ア-ナンダはいまひとつ頼りない感じだったかもしれません。
マハ-カッサパのこの厳しさが、先生おっしゃるように、仏教のためにはよかったと思います。


> 『大智度論』では、マハ-カッサパが述べた大事な言葉が残されています。
> それは、「仏を思うならば仏恩に報いよ、涅槃に入ってはならない」(『大正蔵』25,p.67c)という言葉です。
> 多くの仏弟子たちが、ブッダの後を追って涅槃に入ろうとするのをとどめて、「仏恩に報いなさい」というのが、すごく印象的です。
> こういうことを考えると、カッサパが後継者で、その法燈は第二代目ア-ナンダに受け継がれたと言っても良いのかな、と思います。


マハ-カッサパは、第一結集が終わるとすぐ元のように精舎を離れ山か森に引っ込んで修行し、後のことはア-ナンダに任せたということを読んだことがあります。本当かどうかはわかりませんが、そうであれば、素晴らしいですね。


> 「拈華微笑」は『正法眼蔵』に載っていますが、すごくおもしろいと思っています。史実というのが何か、が問題ですよね。確かに、「拈華微笑」はあったかもしれないと思うようなことも見つけられるからです。これも、ア-ナンダがらみのお話しになってくるのですが、ここは、内容がずれるので、パスします。


パスされずに、是非教えてください(笑)


> > あと、先生は、阿羅漢と正等覚者ということで、分けられていますが、どう違うのでしょうか?
>
> 阿羅漢は、心清浄を達成した者で、サンガの伝統から生まれてきます。全員、阿羅漢なら、法を残すという作業はできなかったと思うのです。筏は捨てるのですから、阿羅漢になった者たちは、もはや必要ありません。
> ですから、「仏恩を報ずべし」と意識しないと、仏典は残せないのですが、それでも、自分が覚った法だけが法であるわけではないので、多くを聞いているア-ナンダの力が必要になるのだと思います。
>
> ア-ナンダは、どちらかと言うと教団の中では、在家的な仕事をしていた人で、みんなの世話役みたいな存在だったと思います。たくさん教えを聞いているのに、他人のためにばかり仕事をして、自分の事はそっちのけです。
>
> 正等覚者は、正しく覚った者であり、又、等覚の悟りを知る者です。
> 「正しく」というのは、八正道の中道に依っている者で、「等覚」というのは、他の仏陀の教えもわかる、ということです。ブッダが他にもいれば、「あ、ブッダだ」と分かり、その教えも了解できるということで、種々の法門を得ることになります。一切智者ですね。
>
> ブッダというのは、これら両方の特徴、阿羅漢と正等覚者の二つの特徴をもっていますから、マハ-カッサパとア-ナンダの両方が、それぞれブッダの役目を二分したと見てよいのではないかと思っています。
> ほんと、絶妙にぎりぎりの攻防で、法は伝わってきたという感じがいたします。


なるほど、そういう分け方であれば、阿羅漢と正等覚者の二つの特徴を持つ人は、仏陀の他にも舎利弗がそうではないでしょうか。
舎利弗は当然阿羅漢でもありましたが、仏陀が舎利弗に説法を任せる場面が結構あります。そしてそのどれもが理路整然としてわかりやすい説法になっています。
舎利弗はまさしく正等覚者だったでしょうね。
舎利弗が仏陀より先に亡くなって、仏陀が寂しがったのはわかる気がします。


 

 

  [No.22975] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/19(Tue) 20:19:38

石飛先生、こんばんは。


> 15.友よ、そこで、わたし(=マハ-カッサパ)は、別の時に、布の切れ端で大衣を作って、世の中で阿羅漢である人々を指定して(=目標にきめて)、髪とひげを剃って、袈裟衣をまとって、家から出て家なき者として出家をしました。


> 確かに、脇目もふらずにブッダのもとに向かっていて、「外道」の「外」の字もはいる余地がありません。余計な要素が一つもなく、ブッダの弟子に速攻でなってますよね。ブッダを知る前からブッダの弟子だった、と言ってもよさそうです。


確かにそうですね。
私は、このエピソ-ドは、マハ-カッサパが、在家の時から、仏陀の評判を聞いており、仏陀の弟子になろうと固く決めていたのだと思っています。
というのは、家を出る時、髪を剃っているからです。
髭を剃るのは、男ならだれでもしますが、髪を剃るのは仏教だけではないですか?
ジャイナ教でも髪を剃る習慣はなかったと思いますが。
つまり、髪を剃った時点では、仏陀の教えや仏陀の弟子が髪を剃ることなどを知っていたということかなと思っています。
ですから、カッサパも仏陀に会ったときに強引に、『尊者よ、わたしの師は尊師です。わたしは、声聞(弟子)です』と言ったのでしょうけど、それに対しての『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』の意味がいまいちわかりません。


> この花を拈る話は、曹洞宗の伝統にも依っていると思います。と言うのは、法を伝えるのは、眼横鼻直という法則があるからです。「眼は横についていて、鼻は真っ直ぐ」というのは、法のあり方を述べていると、わたしは思っています。嗣法(法を嗣ぐ方法)は二つ、鼻という感覚器官を使って直接師から弟子へと伝えるのです。だから、「拈華微笑」の話になります。
> このように、鼻から鼻へと嗣法するのが、禅の嗣法の仕方だということで、道元禅師も、「嗣書」の中で夢に祖師から梅の一枝をもらっています。
> 「鼻」というのは、一種の喩えのようなものであって、直接知覚すると言うことだと、わたしは見ています。経典では「見る」と書かれる言葉です。

そうなんですか。
私は『眼横鼻直』は、『柳は緑 花は紅』と同じ意味だと思っていました。
柳が緑ではなく花が紅ではない、すべてが一色の状態から還ってきて
何も記憶の束をはさまない、何のフィルタ-もない状態で観ることだと解釈しました。
嗣法のことだとは、凄い深読みですね。

> 30 友よ、正しく語っているならば、尊師の子、嫡子、口から生まれたもの、法から生まれたもの、法の化生者、法の相続者は、麻布の着古した糞掃衣を受け取ったのは、誰と語るでしょうか。正しく語っているものであれば、尊師の子、嫡子であって、口から生まれたもの、法から生まれたもの、法の化生である、法の相続者は、このわたしを、着古した麻布の糞掃衣を受け取ったものと語ることでしょう。
>
> これ、パ-リ語仏典にある言葉なんですよね。テ-ラワ-ダが禅宗のために書いた経典ではないんですが、なんでこうなるんだろう、って感じです。
> カッサパは法の継承者と言ってもよいと、この経典を読むと、みな思うのではないでしょうか。
> この経典を禅宗は、わが身に受けとめてきたのかな、とも思います。
> 道元禅師には、神秘や未曾有は当てはまらないような気がするのですが、この経典を読むと、いつも不思議な気持になります。

そういえば、六祖慧能も五祖弘忍から衣をもらって嗣法しますね。
この仏陀と魔訶迦葉の故事から来ているのでしょうか。
このマハ-カッサパの言葉からは法の相続者の自覚があったことがわかりますね。
確かに、これらのことから拈華微笑となったのもわかりますね。
ありがとうございます。

 

 

 

  [No.22980] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/20(Wed) 11:20:53


> > ですから、カッサパも仏陀に会ったときに強引に、『尊者よ、わたしの師は尊師です。わたしは、声聞(弟子)です』と言ったのでしょうけど、それに対しての『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』の意味がいまいちわかりません。
>
> これは、「見る」と「知る」について語っていますが、直接知覚と推論という二つの方法を指していると思います。ブッダは、よくこのように言います。また、虚偽の発言をしたら、「 頭が裂け落ちてしまう 」と言っていますが、これは、ウパニシャッドなどにでてくる表現で、討論等のとき、負けてしまう状態を言います。
> ほんとに裂けるかどうかは知りませんが、よくこのように言われ、哲人達は、自分の得た真実のみを語ることをモット-にしています。
> ですから、当時の知識人としては、真実のみ語り、決して自分の得てないことは語らないと宣言することは大事なことだったとも言えます。
> 客観的に見てわかる真理を語るわけではなく、自分だけが得た真理を語るので、これはとても大事なことだと思います。当時の沙門・バラモンたちは、おおよそ皆このようなことを守って対話していました。



ここは、どうもわからないですね。
マハ-カッサパが初めて会った仏陀に、『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』と強引とも思える言葉を投げかけます。
その言葉に対しての返答としてはあまりにもちぐはぐな感じがするのです。

初めて会った人に『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』と言われた場合、
『わかった。ついてきなさい。』とか『戒律は守れますか。』とかの返答ならわかりますが、
『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』と言う返答は一見的外れに見えます。

ひょっとすると十無記のようなことを想定したのでしょうか。
認識から外れた形而上のことは答えない、知っていること、見ていることのみを説くのであって、私が説かないものは説かないと受け取りなさい、ということを弟子入りに際して言ったとは考えられませんか。
つまり『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』に対し弟子とすることを前提として、弟子としてそれを心に留めておきなさいということのようにも思えてきました。違うかもしれませんが。



> > 私は『眼横鼻直』は、『柳は緑 花は紅』と同じ意味だと思っていました。
> > 柳が緑ではなく花が紅ではない、すべてが一色の状態から還ってきて
> > 何も記憶の束をはさまない、何のフィルタ-もない状態で観ることだと解釈しました。
> > 嗣法のことだとは、凄い深読みですね。
>
> 深読みと言われてしまいました(笑)
> この言葉は、中国から帰ってきた道元が、最初に説法した時に述べた言葉なので、大事なことが言われていると思っています。如浄和尚にであって、その時に即座に「眼横鼻直」を得ていますので、法について自分も受けとってきました、ということではないでしょうか。また、「空手還郷」と対になって語られるので、教えの根本に触れていると見てよいのではないでしょうか。「所以に一毫も仏法無し」も、見事なもので、決まった教えは受けとらなかったけれど、何を語っても、仏法を伝えているところがすごいなと思っています。


「山僧叢林を歴ること多からず。ただ是れ等閑に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず。すなわち空手還郷す。ゆえに一毫も仏法無し。任運に且く時を延ぶ。朝朝、日は東より出で、夜夜、月は西に沈む。雲収て山骨露れ、雨過ぎて四山低る。」

ここの『当下に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず』は、臨済の『但莫受人惑=ただ人惑を受けることなかれ』に通じるようにも思えます。
moha=迷妄 を差し挟まずに観よ、ということでしょうか。

 

 

  [No.22986] Re: マハ-カッサパ長老についての研究資料 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/20(Wed) 16:11:51

>
> (論文の目次)
http://www.sakya-muni.jp/monograph/09/8/
>
> のペ-ジにある、『本論文の概要』 だけでも、スト-リ-として把握できるかも?と思いました。
> わたしは論文読んでないですm(_ _)m


pipitさん、ありがとうございます。

※※※※※※
そしてその後に摩訶迦葉はその頃生れかけていた四住期(これもサンスクリット語ではāśramaという)という生活階梯にしたがって遊行生活に入った。これは妻と別れての生活である。摩訶迦葉が42歳のころのことであった。
ちょうどその頃釈尊も出家されてUruvelāにやって来られた。釈尊と摩訶迦葉はこのころに出会い、肝胆相照らすところとなって、もし阿羅漢になったら互いに師となり弟子となろうと約束しあった。釈尊はこの時29歳であったから、摩訶迦葉は13歳ほど年長であったことになる。
林住期から遊行期に進んで以来、摩訶迦葉は隠遁的な遊行生活をしていて、釈尊が成道されたことも、マガダを中心に活動されていることも知らなかった。しかしやがて王舎城を中心に釈尊のサンガが形成され、活発に活動されていることを知ることとなった。釈尊も摩訶迦葉の消息を知るに及んで、わざわざ王舎城から多子塔のところに赴かれて、久しぶりの再会を果たされた。そして以前の約束にしたがって、摩訶迦葉は「あなたが師、私が弟子」と宣言して釈尊の弟子となった。このような経歴が「もと外道」と呼ばれる原因となったのである。
この摩訶迦葉の帰仏は、おそらく白四羯磨具足戒法が制定された後のことで、釈尊が成道されてから10数年が経過していたと考えられる。したがって釈尊は50歳前後になっておられたが、摩訶迦葉はすでに60歳を越えていたのではないかと思われる。原始仏教聖典に登場する摩訶迦葉がすでに老齢に達しているのはそのためである。摩訶迦葉は釈尊の弟子にはなったもののサンガの生活にはなじめず、以前と同じような頭陀行の生活を続けた。そこで後に摩訶迦葉は頭陀行第一と称されるようになった。
しかし頭陀行は一人で林の中に住み、あるいは一人で遊行する生活であるがゆえに、摩訶迦葉の存在は阿難など釈尊の教化活動の比較的後期に弟子となり、サンガの生活しか知らない比丘たちには知られなかった。そこで釈尊は半座を分けるなどのパフォ-マンスをして、摩訶迦葉が自分と同等の存在であって、決して軽視してはならないことを知らせる必要があった。
※※※※※※


とてもよくわかりました。
仏陀とマハ-カッサパはもともと修行時代に知っていた仲だったのですね。
ですから、仏陀が成道して布教していると聞いて、髪を剃って一目散に仏陀に会いに行き、「あなたが師、私が弟子」と宣言することができたのですね。
半座のこともやはりあったのですね。
すべてすっきりしました。
ありがとうございます。


 

  [No.22988] 半座についての論文のご紹介 投稿者:pipit  投稿日:2021/10/20(Wed) 16:44:19

ショ-シャンクさん、こんにちは(*^▽^*)
返信ありがとうございます!

半座のエピソ-ドは、もしかしたらパ-リ文献には直接は出てこないのかも、と思いました。
私自身は全然詳しくなくてすみません。

論文のペ-ジなどを引用させていただきますね。



「中央学術研究所紀要」モノグラフ篇 No.9
【論文9】「半座を分かつ」伝承について 岩井昌悟

(論文の目次)
http://www.sakya-muni.jp/monograph/09/9/
(論文)
http://www.sakya-muni.jp/pdf/09_02.pdf

『本論文の概要』には以下の文言がありました。↓

『また摩訶迦葉が半座を分かたれる記事は漢訳経典には数多く存するにもかかわらず、パ-リ文献には見られない。北伝と南伝とで摩訶迦葉の教団内における位置づけに差異が存在した(北伝伝承が南伝伝承よりも摩訶迦葉を重視していた)といったことも予想されるが、このことについては南伝においてもアッタカタ-で摩訶迦葉が「ブッダに似た者」と呼ばれており、この呼称が「半座」が含意するものを一語で表現しているため、そのような見解が妥当ではないことを明らかにした。』

おつかれさまです、ありがとうございます(*^▽^*)♪

 

 

 

  [No.22989] Re: 半座についての論文のご紹介 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/20(Wed) 17:22:54

pipitさん、いつも貴重な資料ありがとうございます。

今回の半座の資料もいろいろ考えさせられます。

精舎など次々と寄進があった仏教教団では、頭陀行などに価値を見出さない新しい人たちが増えていったのかもしれませんね。
しかも、精舎で暮らさず、林で一人暮らしている魔訶迦葉は誰も知らず、
新しい人には、ただの汚い恰好をしたお爺さんに見えたかもしれません。
それを感じて、仏陀が魔訶迦葉に半座を与えたとすれば、仏陀の優しさに泣けてきますね。

とても貴重な資料、ありがとうございました。

 

 

 

  [No.22992] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/21(Thu) 01:32:03


> そこからすると、マハ-カッサパは尊師を見かけてすぐに「あなたが師で、わたしが弟子だ」と語っていますから、やはり相当の人物であったことがわかります。


pipitさんに教えていただいた資料によると、
仏陀が29歳の時、つまり出家して間もない修行時代に、仏陀とマハ-カッサパは出会って意気投合していたようです。
そして成道したら弟子になることも決めていたようです。
ですから、家を出る前に髪を剃って、そして出会ってすぐ『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』という言葉になったみたいです。初めて会う人にしては強引すぎるので、違和感がありました。



> 「説かないものを説かないものとして受けとれ」というようなことではなしに、すぐに学ぶべきことを教えていますね。やはり、カッサパに向けた必要事項であったのではないでしょうか。わたし自身は、そんなにおかしくないと思っています。「見る」と「知る」は認識の重要な根拠になりますので、それを明らかにするのは、大前提であろうと思います。
> 自分は、師として、あなたカッサパに教えるだけの能力はありますよ、と告げているような感じがします。そして、すぐ教えを説きます。
>
> =================
> 19.それ故に、カッサパよ、あなたはこのように学ばなければなりません。年長者たち、若い者たち、その間の(年の)人たちに対して、深い慚愧の心を起こしていましょう。カッサパよ、このようにあなたは学ばなければなりません。
>
> 20. それ故に、カッサパよ、あなたは、このように学ばなければなりません。わたしが聞く、どんな法も、それが善に関係するものはみな、大事にして注意をはらい、すべてに心を傾けて、傾聴して、法を聞きましょう。カッサパよ、このように学ばなければなりません。
>
> 21 それ故に、カッサパよ、あなたはこのように学ばなければなりません。喜悦をともなう、わたしの身体にある気づきは、捨てられることはないでしょう。このように、カッサパよ、あなたは学ばなければなりません。
> ===============『サンユッタニカ-ヤ』16.11「衣経」
>
> これだけ教えると、起ち上がって行ってしまい、一週間位して戻って来たときには、カッサパは覚っているという、すごい展開です。

なるほど。
つまり、 『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』という仏陀の言葉は、カッサパに対して、『知っているときにのみ知っていると言いなさい。見ているときにのみ見ていると言いなさい』ということを教えているのですね。
それなら納得です。
ありがとうございます。

 

 

  [No.23001] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/21(Thu) 10:15:37


> なるほど。この伝承は、そうなっていますね。
> すでに出会っていた、ということなんですね。
> これはこれで良いのですが、「外道であったことは一度もない」というところを考えると、目標である阿羅漢や正等覚者に出会えれば、それがわかることでことだ、ということで、マハ-カッサパの見る眼の確かさは維持されているようにも、思います。


もしこの伝承が本当だとすれば、2人とも最初から相手を見抜く力があったということですね。
『 ちょうどその頃釈尊も出家された。釈尊と摩訶迦葉はこのころに出会い、肝胆相照らすところとなって、もし阿羅漢になったら互いに師となり弟子となろうと約束しあった。釈尊はこの時29歳であったから、摩訶迦葉は13歳ほど年長であったことになる』
先に阿羅漢になった方が師となるという約束するというのは、お互いに『この人は必ず覚る。自分の師とすべき人だ』と見抜いていたことになります。
ですから再会してすぐ『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』という言葉になったのでしょう。この流れで行くと、この言葉がすんなり理解できます。


> 森の生活を12年送ったとありますよね。
> ちょっと、ここにひっかかったりもします。定型的なエピソ-ドを入れている可能性もあるな、というところです。
> 『マハ-バ-ラタ』などに出てくる話は、皆、隠遁生活12年になっているので。話を合わせた可能性もありますね。
> ただ、この頭陀行をずっと行っていたというのは、大事かなとも思います。
> 外道であったことは一度もない、ということにつながるかと思います。

特にインドは定型的な話になることが多いですからね。
伝承もわかりやすいように、定型化されている部分もかなり多いでしょうね。
隠遁生活の12年間に誰かを師としたことはないでしょうから、外道であったことはないはずです。
それとも、バラモンの家に生まれたら、仏教教団では揶揄して外道と言うことがあったのでしょうか。
女性ファンの多いア-ナンダを叱ると、比丘尼から外道だとか言われるのはつらいですね。



> > つまり、 『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』という仏陀の言葉は、カッサパに対して、『知っているときにのみ知っていると言いなさい。見ているときにのみ見ていると言いなさい』ということを教えているのですね。
> > それなら納得です。
>
> これ、
ショ-シャンクさま、「納得」されてますが、ここは、ちょっと、といいますか、かなり大事なことが言われていると思います。
>
> カッサパに対して教えているのだ、で良いと思うのですが、ブッダのこの言葉ですが、
>
> これ!実は、悟りの中身だと思います。
>
> 見ているときだけ「見ている」とのべ、知っているときだけ「知っている」と述べる人が、阿羅漢であり正等覚者なのだ、ということではないでしょうか。
>
> だから、その後、「それ故に…」とある教えの内容が、カッサパに効いてくるのだと思います。
> この中で、わたしには、
> 「喜悦をともなう、わたしの身体にある気づきは、捨てられることはないでしょう」というところ、非常に印象的です。これ、覚りの内容ですよね。
>
> 慚愧の念を起こしていなさい、とか、傾聴しなさい、とか、言っています。覚りに向かう最後の段階のような気がします。
> 慢のかけらを払いのけなさい、ということでしょう、おそらく。
>
> ブッダとマハ-カッサパは、このエピソ-ドによって、確かに、カッサパが外道であったことは一度もないことを、しっかりわかり合っているのだな、と思います。
>
> わたしは、そんな風に読みました。


確かに、そう見ると、凄いことを言っていますね。


『深い慚愧の心を起こす』

『どんな法も、それが善に関係するものはみな、大事にして注意をはらい、すべてに心を傾けて、傾聴』

『喜悦をともなう、わたしの身体にある気づき』

『知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』


こういうことでしょうか。
慚愧や傾聴や気づきによって、『知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』という阿羅漢の境地に達する。
そして、その通り実行したマハ-カッサパは、すぐに成道した、と。
おっしゃるように、これは極めて大切なことを言っているのかもしれませんね。
法の後継者となる人への仏陀の言葉ですから、ここはじっくりと把握したいと思います。
ありがとうございます。

 

 

 

  [No.23012] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/22(Fri) 10:15:02


> もちろん、どの宗教にも、修行の部分や自分たちの生き方に密接に結びつく要素を重要視するのですが、いわば、形而下を大切にするのですが、仏教と非仏教を比べると明らかにちがうところがあるのです。その一点が、「形而上学をもたない」という点なのです。また、別の言葉で言えば、「ア-トマンをもたない(無我)」でも良いと思います。言葉で言えば、そうなりますが、多くの人々は行道の中で何となく感得していったでしょうから、何も言わなくても、「あ、これだな」と察知したことと思います。
> 禅で不立文字というのも、そういうことだろうと思っています。覚っているのかどうか等、そんなことは言葉を解さないとわからないのか、というと、そんなことはないのです。
> 出会ったこともないブッダを指定して、修行する者たちが出るのも、わかるような気がします。
> その意味では、多くの勝れた修行者が輩出して、聖者がゴロゴロあふれているインドにおいても、ブッダは、他とは一線を画しているのです。いってみれば、彼は、何も説くものをもたないという点で、他を圧倒しているのです。
> 説くべき法もないのに、人々に教えを説いて救うとは、ほんとに、信じられないと思います。
> 「(ブッダは)何も説かなかった」ということ、ここがメインの教えになっている宗教は、ふつうに考えたらありえない、と思います。でも、それだからこそ、苦しみがないのだと分かるのです。仏教が人々や生き物を癒やしてきたのは、「何も説かない」ことを守ってきたからではないでしょうか。

> 「何か大事なものがあるのだろう」ということではなく「そうではないのだ」とただ説くだけの教えが仏教なのかもしれません。



仏陀が形而上学を説かなかったというのはその通りだと思います。
仏陀は、一切は燃えている、一切を厭離せよ、と説きました。
仏陀の言う一切とは、眼耳鼻舌身意とその対象の色声香味触法です。
そして、一切を厭離した後に何があるかは説きませんでした。

仏陀が形而上学を説かなかったのは、それが『涅槃に赴かず、解脱に赴かない』からです。
形而上学をいくら思惟していても、それは五蘊の『想』にしか過ぎず、執着となるからです。

しかしながら、大乗仏教を基とされている先生が、形而上学があると仏教ではないと言われるのは不思議です。
大乗仏教は形而上の世界を説いているからです。
浄土教は阿弥陀仏を、密教は大日如来を、法華経は久遠実成の釈迦如来を、華厳経は毘盧遮那仏の悟りの世界として蓮華蔵世界海などを説いています。
これらはすべて『感覚ないし経験を超え出でた世界』です。
つまり形而上の世界です。


先生が挙げておられた、スッタニパ-タ875からの三つの偈ですが、
『霊(たましい)の最上の境地』という常見と
『精神も肉体も残りなく消滅する断滅』という断見も
どちらも『これらの偏見はこだわりがある』と見て、仏陀は、常見に対しても断見に対しても論争に赴かない、と言う意味のように思えます。

 

 

 

  [No.23017] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/22(Fri) 16:40:34


> > しかしながら、大乗仏教を基とされている先生が、形而上学があると仏教ではないと言われるのは不思議です。
> > 大乗仏教は形而上の世界を説いているからです。
> > 浄土教は阿弥陀仏を、密教は大日如来を、法華経は久遠実成の釈迦如来を、華厳経は毘盧遮那仏の悟りの世界として蓮華蔵世界海などを説いています。
> > これらはすべて『感覚ないし経験を超え出でた世界』です。
> > つまり形而上の世界です。
>
> そう見てしまうと、大乗は、他の宗教と同じようなものになってしまいます。
> そこを、そうではないと語っているのが、最近の、わたしの仕事になっています(笑)。
> 認識の問題を、思惟・思考で片づけてしまうと、たやすく形而上学にいきます。
> ですから、大乗仏教の諸仏・諸菩薩の世界は、現実的ではない三千大千世界が対象で、それこそ、思惟のみで作りあげた形而上学のように見えますが、実際は、そうではありません。
> どこまでも、認識の範囲、十二処・十八界で語られるものです。


仏教と非仏教に分けなければいけないものでしょうか。
先生は、仏教は排除しないということを共通項に挙げておられたように思います。
受け入れるということです。
大乗仏教に他の宗教と共通なものがあってもいいと思いますし
ここまで多様化した仏教ですから、かなり他の宗教の影響を受けていると思います。

そもそも仏陀は、自分を仏教なるものの宗祖だとは思っておらず、教団を主催している意識もありませんでした。
自分の説いた法が衆生を善い方向に導けばいいと思っていたように思えます。

仏陀が外道として非難したことにははっきりとした理由があると思います。
その考えが、解脱に赴かず束縛に赴く考えや、死後悪趣に赴かせるような考えに対しては、徹底的に論破しました。
それは非仏教排除とかいう意識からではなかったと思います。
例えば、業とその結果を認めない運命論を説く宗派などに対しては、
『一人を除いて全員、天界に行ってない。』と言いました。悪趣に行っているということです。
そして、その一人だけは、業とその結果を認めていたということです。

仏陀が、重んじたのは、行為とその報いです。
ここを説いてない教えに関しては、かなり非難しています。
ジャイナ教も行為とその報いを説いていますので、ある程度は仏陀も認めていましたが、
しかし、ジャイナ教は想いより身体の行為の方が重要だと言ったので、仏陀に徹底的に論破されています。



> > これらはすべて『感覚ないし経験を超え出でた世界』です。
>
> ちがうのではないかと思います。阿弥陀仏が西方極楽世界に住していても、そこで説かれるのは縁起にもとづく教えであり、空性の世界であり、煩悩を抱える凡夫に向けられた教えなのです。
>
> 久遠の本仏が説かれていても、形而上学に行かないのは、涅槃や悟りという、わたしたちに直結する問題を飛び越えてはいかないからです。苦の滅という、この目標は、形而上へとすぐに行ってしまいがちな思考の癖をよく見抜いてたてられた境地と言わざるをえません。
>
> 六入の中にマナス(心)というのが入っていて、形而上へといく要素はあるのですが、決していくことがなく、絶えず現実に引き戻されるのは、諸行無常、一切皆苦、戯論寂滅、涅槃寂静という、この法を常に抑えて語るからだと思います。


西方極楽浄土に住した阿弥陀仏という存在は、私たちの肉体の感覚や経験では把握されません。
そのような存在を理性で認識しようとするのが形而上学であるとすれば、阿弥陀仏の存在はどうしても形而上の世界となります。
特に、親鸞は、最晩年に無上仏を『形がないもの』と認識していました。
肉体の感覚を超えたものというしかありません。


> 「現成公案」に、こんなのがありますね。
> ====
> 「風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ」
> 師いはく、
> 「なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず」
> =====
>
> 風の性質は常住なのになぜ扇を使うのか、と聞かれて和尚は答えます。風の性質は常住だと言うのはよい(形而上学的)、しかし無処不周という道理(認識の現実)を知らないようだ」と答えるのです。
> 「風というのは、この世界のどこにでもあって、至らないところはない」と知るからこそ、(それを確かめるため)、暑いときにはあおぐのである。仰ぐところに風は起こる、のです。ここも認識の世界です。

道元は『人間本来覚っているものであれば、なぜわざわざ修行しなければならないのか?』という疑問を抱き続け探求しました。
ですから、この風の公案は一層印象深いものだったでしょう。
特に禅は、形而上的な探求から極限まで行って悟った人が多い気がします。
盤珪は『明徳』を探求しました。


> > 先生が挙げておられた、スッタニパ-タ875からの三つの偈ですが、
> > 『霊(たましい)の最上の境地』という常見と
> > 『精神も肉体も残りなく消滅する断滅』という断見も
> > どちらも『これらの偏見はこだわりがある』と見て、仏陀は、常見に対しても断見に対しても論争に赴かない、と言う意味のように思えます。
>
> そうです。おっしゃる通りで良いと思います。魂の永遠の境地も、断滅を説く一種の唯物論的な境地も、形而上学的なこだわりを持ちます。
> そのような見解に趣かないので、ブッダは認識の世界の中にいることが分かるのではないでしょうか。
>
> こうして、ブッダの世界では、現実のみ見つめると、空の世界が広がり、過去や未来も合わせてみていくなら、縁起する世界が広がります。


日常の唯物的な見方であれば、必ず断滅=断見になります。
どのような生き物であれ、死んだ後は死体の他は何も残らず、その死体も腐ったり灰になったり土に還ったりします。
五官の認識では、存続するものはないのですから、どうしても断見となります。
唯物論は、単純に肉体の五官の認識しか認めないのですから、形而上ではありません。
形而上とは感覚や経験を超えたものを指しますから、唯物論は形而下の認識そのものです。


> たとえエデンの園でも、諸行が無常であるならば、その世界は名を変えただけで、わたしたちの認識世界となります。

もしそうであれば、最初に戻りますが、エデンの園を説くキリスト教も仏教と何が違うのでしょうか。
エデンの園も認識の範囲、十二処・十八界なのであれば、形而下であり仏教と言うことになりませんか。

 

 

 

  [No.23021] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/23(Sat) 03:13:08


先生が
仏教=形而上を説かない
非仏教=形而上を説くもの
と分けられているのは、わかりました。

しかし、

> > 西方極楽浄土に住した阿弥陀仏という存在は、私たちの肉体の感覚や経験では把握されません。
>
> それは、
ショ-シャンクさまには、そうかもしれませんが、誰でもがそうとは限りません。
> 臨終の時にあらわれて迎えに来て下さる、と考える人もいますし、そういう体験もあるでしょう。観仏という禅定を行う人もいます。口から出る「南無阿弥陀仏」は、音声です。それを誰が聞くのか。声に出した自分が聞くのです。

それもすべて、感覚や経験で把握されるものであり、形而上ではない、だから仏教である、と言われます。
形而上があったら仏教ではない、という前提を設定されるので、仏教に関するものはどれも形而上ではないと強引に結論付けられているような気がします。
もし、神や仏を見たり、神や仏の名前を口で唱えたりすることで、形而上ではない、肉体の感覚や経験の範囲なのだということであれば、仏教に限らず、キリスト教でもイスラム教でもヒンドゥ-教でも神の名前を唱えたり、実際に神の姿を見たという人もいます。
どこが違うのでしょうか。

仏陀はその教えの中で、神や仏という、肉体で認識されないものを信仰することは教えませんでした。
しかし、最後、自らの死の直前、自分の遺骨を塔にまつって礼拝するように言いました。
これにより、後に大乗仏教が起き、久遠実成の釈迦如来を信仰するという流れになったように思えます。

仏陀も生前、梵天などの神々の存在には言及していますが、その神々を信仰したりすることは説きませんでした。
ですから、やはり、仏陀の遺言は大乗仏教の興隆に大きな影響を与えたと思っています。



> > 道元は『人間本来覚っているものであれば、なぜわざわざ修行しなければならないのか?』という疑問を抱き続け探求しました。
> そうですか?
>
> > ですから、この風の公案は一層印象深いものだったでしょう。
> あれ?!まったく違う意図だったのですが。。
> =============
> 仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆゑに、仏家の風は大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり。
> =============
>
> 風性常住は、一般に理解されている意味とは異なりますよ、ということだと思います。
>
> 風性が常住なので有れば扇を使わずとも良いでしょう、使わないときも風を感じるべきだ、というのであれば、常住の意味も、風性の意味も知らないということだ。風の性質は常住だからこそ、仏教で説いている風は、大地に豊かな黄金の実りをもたらし、長河からも熟した恵みをもたらしてくれるのである。


道元が抱いていた命題とこの風の公案は全く関係がないと思われるのですか。
私は、本証妙修という、道元の達した真髄そのものだと思っていますが。


> > 日常の唯物的な見方であれば、必ず断滅=断見になります。
> > どのような生き物であれ、死んだ後は死体の他は何も残らず、その死体も腐ったり灰になったり土に還ったりします。
> > 五官の認識では、存続するものはないのですから、どうしても断見となります。
>
> 身体について、ですね。身体は破れて滅します。しかし、心は?
>
> > 唯物論は、単純に肉体の五官の認識しか認めないのですから、形而上ではありません。
> > 形而上とは感覚や経験を超えたものを指しますから、唯物論は形而下の認識そのものです。
>
> 唯物論という考え方は、心も断滅すると説きますが、これは、形而下の認識そのものでしょうか。覚った者の心であれば、滅度するかもしれませんが。
>
> この世の中には、生まれてくる命がたくさんあります。身体をそなえ心をそなえて、生き物たちは活動します。唯物論も、ある種の形而上学とも言えます。感覚や経験を超えて心の断滅を語っているからです。もし、感覚でとらえられるなら、なぜ生き物たちは生まれてくるのか、そして、その生き物たちはなぜ心をそなえているのか、それを説明できないことになりませんか。
>
> 断滅論も、ブッダによってパスされてしまいます。「こだわりがある」ということで、近づかないものだと言えます。


形而上学をググると『感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である。世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根因)や、物や人間の存在の理由や意味など、感覚を超絶したものについて考える。対立する用語は唯物論である。』とあります。
先生が考えられている形而上学とはこの定義とは違うということでしょうか。



> > > たとえエデンの園でも、諸行が無常であるならば、その世界は名を変えただけで、わたしたちの認識世界となります。
> >
> > もしそうであれば、最初に戻りますが、エデンの園を説くキリスト教も仏教と何が違うのでしょうか。
> > エデンの園も認識の範囲、十二処・十八界なのであれば、形而下であり仏教と言うことになりませんか。
>
> エデンの園が認識の範囲で事足りるなら、仏教ということになりましょう。
> アダムは耕し、イブは子どもを育てますかね。絶対存在の神はなくなり、代わりに諸行無常の風がふきますね。ブッダの法の行きわたる世界になります。
>
> りんごはただの果物で、智慧は、精進努力と気づきに禅定といったものから生まれることになります。生死の世界と欲の世界、渇愛の世界で、苦しむのが衆生ということになって、娑婆世界という代わりにエデンといわれることになるのかな。
>
> 神がいなくなるのがまずいと思うなら、やはり、エデンの園は諸行無常の世界であってはならないです。


エデンの園にしても、西方極楽浄土にしても、この肉体の感覚で把握されないものであるのに、なぜ一方は形而上で一方は形而下だと言われるのでしょう。
エデンの園もアダムとイブがいなくなったりして、少しは変化していて無常なところもありますね。
西方極楽浄土は必ず西方にあり変化もそれほどないように思えますが。
何か、一方だけを形而上だ、仏教ではない、一方を形而下だ、仏教だ、という決めつけが最初にあるような気がします。

 

 

 

  [No.23027] 風性常住と道元の本証妙修 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/23(Sat) 07:53:49

> > 道元は『人間本来覚っているものであれば、なぜわざわざ修行しなければならないのか?』という疑問を抱き続け探求しました。
> そうですか?
>
> > ですから、この風の公案は一層印象深いものだったでしょう。
> あれ?!まったく違う意図だったのですが。。
> =============
> 仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆゑに、仏家の風は大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり。
> =============
>
> 風性常住は、一般に理解されている意味とは異なりますよ、ということだと思います。
>
> 風性が常住なので有れば扇を使わずとも良いでしょう、使わないときも風を感じるべきだ、というのであれば、常住の意味も、風性の意味も知らないということだ。風の性質は常住だからこそ、仏教で説いている風は、大地に豊かな黄金の実りをもたらし、長河からも熟した恵みをもたらしてくれるのである。


道元が抱いていた命題とこの風の公案は全く関係がないと思われるのですか。
私は、本証妙修という、道元の達した真髄そのものだと思っていますが。

※※※※※※


春間さん、春間さんはよく道元の言葉を書いていると思います。
それであれば、道元が『「本来本法性 天然自性身」なのに、なぜ修行をしなければならないのか』という疑問を探求し続けたことは当然知っていますね?
そして、その探求の末に、本証妙修という結論に達したことも知っていますね。
私は、石飛先生が書かれた風性常住の話は、本証妙修そのものだと考えていますが、どう思いますか?


 

  [No.23036] Re: 風性常住と道元の本証妙修 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/23(Sat) 09:11:54


> 関係がない ということは、 何に関係することですか ?

> 「 真髄 」 とは 何ですか ?

>
> 「 本証 妙修 」 の 本証 ・ 妙 とは どのようなことですか ?
>
>
> 同じ土俵 に 上がっていますか ?
> ( わたし は 話し を はぐらかしていますか ? )

> ( わたしは 逃げていますか ? )

> その( あなたの得ている )結論 は
> 道元の 「 本証妙修 」 に 起きていますか ?

> 「 本証 妙修 」 の 本証 ・ 妙 とは どのようなことですか ?




春間さん、私は真摯に質問しているのですが、何も答えることなしに、質問には質問で返すのであれば、無駄だったようです。

私の中では、風性常住の話は本証妙修そのままであることは明白なので『あれ?!まったく違う意図だったのですが。。』と言われたことにびっくりして、春間さんに質問してみました。
しかし、無駄でした。

 

 

 

  [No.23041] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/23(Sat) 09:48:35


> まあ、わたしが「分けた」というより、ショ-シャンクさまには、その方がわかりやすいかと思って分けているだけです。話の流れで、そういうことになってきていますが、ちがうようにも分けることはできます。



そうですか?先生は、最初に『仏教と非仏教を比べると明らかにちがうところがあるのです。その一点が、「形而上学をもたない」という点なのです。』と言われています。



> > もし、神や仏を見たり、神や仏の名前を口で唱えたりすることで、形而上ではない、肉体の感覚や経験の範囲なのだということであれば、仏教に限らず、キリスト教でもイスラム教でもヒンドゥ-教でも神の名前を唱えたり、実際に神の姿を見たという人もいます。
> > どこが違うのでしょうか。
>
> では、こう言いましょうか。すべてのことばを無我とするか、無我としないか、です。
> これは、同じことです。
> どんな時でも、「ことばは無我である」とできるとき、その人には苦しみはありません。
> もし、そうではないなら、苦しみが起こります。


阿弥陀仏を拝む人たちと、キリスト教やイスラム教やヒンドゥ-教の神に祈る人たちの中で、
全く我が無く神に没入する人もいますし我がなくならない人もいるでしょう。
それは、阿弥陀仏でも他の神を拝むのでも同じだと思いますが。


> 『サンユッタ・ニカ-ヤ』32.9「雨雲」という経典があります。
> =============
> 一方に坐ったかの比丘は、尊師にこう言いました。
> 「尊師よ、一体どのような原因や理由で、一時期、神は雨を降らせるのですか」
> 「比丘よ、雨雲という神々がいます。かれらが、『私たちは、自分たちで楽しんで暮らそう』とこのように思うとき、かれらの、この心の願いにしたがって、神は雨を降らせるのです。比丘よ、これが、神がある時期雨を降らせる原因や理由なのです。」
> =================
> インドが雨期と乾期に分かれる気候だからだと思いますが、このように説明しています。
> この経典を読んで、
ショ-シャンクさまが、「ブッダは肉体で認識されないものを信仰することは教えていない」と理解するなら、そうだと思います。
> 自分の理解とはちがうことが説かれている経典だ、と思うなら、この経典の方を取るべきだと思います。


歴史上の仏陀は、神霊の存在を否定しなかったし認めていました。今の仏教ではそれらはただの比喩とされて唯物論的に解釈する人が多いですが。
ただ、雨雲の神々のことを見ても、その神々を信じ仰げとは言ってないですね。お願いしろとも言ってません。
その神々は自分の願いに従って雨を降らすと言っています。


> 仏教では、梵天は色界にいる神であり、帝釈天は須弥山の頂上に住んでいる神です。
> 「梵天を信仰することを教えない」とは何でしょうか。人々にとっては、それらの神々がいることはふつうのことでした。
>
> 「実際、薪から生ずるのが火(ジャ-タヴェ-ダス)なのです」とブッダは、あたりまえのことをあたりまえに言ったようですが、実は、このジャ-タヴェ-ダスは、火神でもあります。薪は、変哲のないもの、無用のものも意味します。
> ここから、「生まれを問わずに行いを問いなさい」という有名な教えに入っていきます。
> 賎しい生まれであっても、高貴な者となることを教えているブッダは、神々を否定していません。人々の信仰を妨げるのではなく、それらを承認しながら、法を説いていきます。

ですから、仏陀は神々は否定していません。
しかし、神々に祈りを捧げたり、神々の名前を唱えたりすることは説きませんでした。
神々に供物をささげることも説きませんでした。

> > 道元が抱いていた命題とこの風の公案は全く関係がないと思われるのですか。
> > 私は、本証妙修という、道元の達した真髄そのものだと思っていますが。
>
> 「現成公案」全体を語ることになるので、これはパスしましょう。「本証妙修」に、「達した」というのが、どうもピンと来ません。わたしには、あたりまえのことのような気がします。「現成公案」という段は、仏道の心構えを述べているとわたしは思っています。


道元はその命題に対して、全身全霊で探求していったと思います。栄西にも聞きに行きます。でも解決しません。必死の探求のあと、『本証妙修』と悟ったので、『達した』と言いました。
道元が長い間悪戦苦闘して解決した結論を『あたりまえ』とは私は思いません。
それまでにない考えだからです。




> 断滅論を説く人々が、何をどう考えていたのか、もう少し考えてもらえないでしょうか。
> マンゴ-について尋ねたのに、ラブジャの木の話をするようなものだ、というアジャ-タシャットゥ王の嘆きに近いものがあります。

私が言っているのは、肉体の感覚だけで、唯物的な見方だけで、様々な生き物の『死』を見ると、そこに何も残らないように見えてしまうので、肉体の感覚だけで見てしまうと断滅つまり断見になることが多いということです。
自分の死はまだ経験してないですから、『死』と言えば、親族の死やペットの死などしか経験しません。
そこに、感覚を超えた思惟をしなければ、唯物論になってしまうということです。
感覚を超えた思惟というのが形而上学です。
ですから、形而上学と唯物論は、反対概念で、先生が言われるように唯物論も形而上学と言うことはないということです。


> > エデンの園にしても、西方極楽浄土にしても、この肉体の感覚で把握されないものであるのに、なぜ一方は形而上で一方は形而下だと言われるのでしょう。
> > エデンの園もアダムとイブがいなくなったりして、少しは変化していて無常なところもありますね。
>
> エデンの園は、神の意向によって存在しているとみるべきではないでしょうか。無常なところを認めてしまうなら、神は「壊れる」ことになりましょう。無常に見えたとしても、それは神の意志とみるべきではないかと思いますが。無常さをもたらすのも神だとしないと、「復活」させられないのではないでしょうか。
>
> > 何か、一方だけを形而上だ、仏教ではない、一方を形而下だ、仏教だ、という決めつけが最初にあるような気がします。
>
> ダルマで言いますと、「なんであれ、生ずるダルマ(性質)のものは、滅するダルマのものである」というこれが、まず、法の眼となります。
>
> 一方、唯一の神を説く場合、「一粒の麦が死ななければ、それは一つのままである。もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」(「ヨハネ」12。24)
>
> 「生じたなら必ず滅する」と説く教えと、「死ななければ、実を結べない」と説く教えはちがうと言うべきではないでしょうか。
> 生じたものが滅する世界は、あるがままに世界を見つめることで得られますが、
> 死んだものが復活する世界は、そうさせる意志(≡神)を必要とします。
>
> 根源的にちがうところを探すとすれば、これではないかと思っています。この違いを、形而下と形而上と言い表したと思っていただければよいかもしれません。


それであれば、西方極楽浄土は、無常であり、滅するものなのでしょうか。

 

 

 

  [No.23052] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/24(Sun) 00:47:53

> > > まあ、わたしが「分けた」というより、ショ-シャンクさまには、その方がわかりやすいかと思って分けているだけです。話の流れで、そういうことになってきていますが、ちがうようにも分けることはできます。
> >
> > そうですか?先生は、最初に『仏教と非仏教を比べると明らかにちがうところがあるのです。その一点が、「形而上学をもたない」という点なのです。』と言われています。
>
> そういいましたね。これも、ほんとうです。ただ、違うようにも分けることができる、というのもほんとうです。
> 形而上と形而下について、ショ-シャンクさまのこだわりが何かあるのかもしれないと思ってみたりしています。とにかくスム-ズにいかないな、と思っています。



私には、形而上と形而下のこだわりは全くありません。ただ、歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったか、ということに関心があるだけです。それがすべての興味です。
先生が、形而上があると仏教ではないと言われたので、大乗仏教に形而上が全くないというのはおかしいと思っているだけです。



> ただ、これも仕方ないのかもしれません。どこかショ-シャンクさまの解釈の中に、わたし自身がひっかかるところがあることは確かです。
> ショ-シャンクさまは仏教を理解するのに、あらかじめある「常識」を超えて理解したいとは思っていないようだ、と思います。



そうですか?私はあらゆる『仏教の常識』を白紙にしています。今までの仏教なるものの全否定から入って、歴史上の仏陀は本当は何を言いたかったのかを知りたいと思っているからです。
今の日本の仏教の常識の真逆であることも認識しています。
今の日本の仏教の常識とは、仏陀より遥かに後世の宗祖たちを絶対正しいとして、その宗祖が言ったことから仏陀の言葉を解釈しているということです。
私は、仏陀を原点としたいと思っています。
あらかじめ『解答』をもって仏陀をながめることをしたくないのです。




> > > では、こう言いましょうか。すべてのことばを無我とするか、無我としないか、です。
> > > これは、同じことです。
> > > どんな時でも、「ことばは無我である」とできるとき、その人には苦しみはありません。
> > > もし、そうではないなら、苦しみが起こります。
> >
> >
> > 阿弥陀仏を拝む人たちと、キリスト教やイスラム教やヒンドゥ-教の神に祈る人たちの中で、
> > 全く我が無く神に没入する人もいますし我がなくならない人もいるでしょう。
> > それは、阿弥陀仏でも他の神を拝むのでも同じだと思いますが。
>
> 阿弥陀仏でも、キリスト教など諸宗教でも、我がなくならない人もいる、というのは、おっしゃる通りでしょう。
> 「全く我が無く神に没入する人もいます」というところ、ここは気をつけたいです。
> 我が無いかどうか、ちょっと微妙だと思います。一神教やヒンドゥ-教の場合、神との合一を神秘体験しても、我は無くなりはしません。仏教の場合、神秘体験にはいかないのです。無我だからです。
> 他の神を拝むのと、阿弥陀仏を拝むのとでは、ちがうと思います。


先生がおっしゃりたいことはわかります。
仏教以外では、縁起や空や無我を説いていないではないか、だから自我を持ったまま神に没入するしかないだろう、ということですね。
しかし、阿弥陀仏を信仰する人、例えばここでいえばミチオくんがいます。
ミチオくんがさかんに言っているのは、空や縁起を勉強することなど要らない、阿弥陀仏がどんな人も救ってくださるということをただ信じるだけだ、と。あれこれ勉強することはかえって妨げになる、と。
そして、それはキリスト教も同じなのだ、と。
ほとんどの阿弥陀仏信仰において、阿弥陀仏の本願を信じることだけがすべてとなっています。
そしてそれであれば、キリスト教の神への全面的な信仰や、ヒンドゥ-教のバクティと原理的には変わりありません。



> > 道元はその命題に対して、全身全霊で探求していったと思います。栄西にも聞きに行きます。でも解決しません。必死の探求のあと、『本証妙修』と悟ったので、『達した』と言いました。
> > 道元が長い間悪戦苦闘して解決した結論を『あたりまえ』とは私は思いません。
> > それまでにない考えだからです。
>
> それまでにない? 本証妙修、って何でしたっけ。わたしは、ショ-シャンクさまとちがうことを考えているのかな?



仏陀に本証の考えはありましたか?
人間は本来覚っているという考え自体無かったですね。
煩悩を滅して解脱する、というのが仏陀です。
仏教ができあがって、修行を因として悟りを果とする、となりました。
それが時間的に長かろうが短かろうが、因⇒果です。修⇒証です。
それまでの仏教に、本証妙修の考えはありましたか?


> これを得るのに悪戦苦闘したとは、なぜ、そう思うのですか?
> わたしは、「あたりまえ」みたいな気がします。なぜかといえば、「空」の思想から、これはすぐ出てくるし、ブッダの法やブッダの教え、又、ブッダの生き方を見ていたら、常に現役で働いていた人なんですから、本証妙修であるのは、当然ではないかと思います。



日本でさんざん探求して、その時の日本の禅の第一人者である栄西に聞いてもわかりませんでした。
そして、宋にわたって、よい師匠を得てやっとわかりました。
少なくとも、道元にとっては『あたりまえ』ではなかったのです。


> ブッダは、こう言っています。「宝経」の中にあります。
> 226.
> 最高の人ブッダの賞賛しているきよらかな三昧を、「間をおかぬもの(=即座に聖果のあるもの)」と人々は言う。この三昧と等しいものはない。――このことこそが、法の中の殊勝の宝である。この真実によって、吉祥であれ。
>
> これは、わたしですら、すぐにわかります。ブッダの法は、身を入れて聞くなら、聞いただけ即座に効果があるということを。
> ましてや、熱心なお弟子さんなら、どれほど深く実感するか、想像できます。



時間の短長ではありません。
最初から覚っているというのが本証であり、その考えは仏陀の時代にはなかったことです。


> > 私が言っているのは、肉体の感覚だけで、唯物的な見方だけで、様々な生き物の『死』を見ると、そこに何も残らないように見えてしまうので、肉体の感覚だけで見てしまうと断滅つまり断見になることが多いということです。
> > 自分の死はまだ経験してないですから、『死』と言えば、親族の死やペットの死などしか経験しません。
> > そこに、感覚を超えた思惟をしなければ、唯物論になってしまうということです。
> > 感覚を超えた思惟というのが形而上学です。
>
> 「感覚を超えない思惟」というのを認めて、六根とするのだと考えるとどうでしょうか。
> 五感しかないと思うのが、現代人ではないでしょうか。六つの感覚器官を認めている、ということを抑えないと、こうして、現代人は、形而上学に行くか、唯物論にいくかしかなくなってしまうのでしょう。
>
> そうではない!のです。感覚器官は六つです。意(マナス)といわれる心の働きがあるのです。
>
>
> > ですから、形而上学と唯物論は、反対概念で、先生が言われるように唯物論も形而上学と言うことはないということです。
>
> わたしは、唯物論を形而上学だと述べているのではありません。唯物論には、仏教的にはまだ考慮されていない部分があるだろう、ということなのです。心の側面を全く考慮していないのだから、足りない面があるだろうと述べているのです。




そうですか。『唯物論も、ある種の形而上学とも言えます』と書かれていたので、唯物論も形而上学に入れておられるのだと思っていました。




> > それであれば、西方極楽浄土は、無常であり、滅するものなのでしょうか。

> 極楽世界は、法蔵菩薩が、世自在王仏から聞いた諸仏の国土のすばらしい特徴を皆入れて建設したと考えられますね。48願を立て修行してつくりあげた世界でしょう。そうであれば、衆生を救い終わったならば、極楽世界は必要がなくなって滅するかもしれません。
> それまでは、阿弥陀仏がそこに居て、衆生を救い続けていることだろうと思いますが、基本的に無常であって、滅する性質からなると思います。


そうですか。極楽世界は法蔵菩薩が建設したのですか?
私は、西方極楽浄土は、阿弥陀仏の仏国土だと思っていました。
つまり、仏=如来がいると、そこに自然に展開しているのがその如来の仏国土だと思っていました。
仏国土である以上、菩薩が建設するようなものではないと認識していましたが。
もし、阿弥陀如来の仏国土であれば、阿弥陀如来がおられる限り、その仏国土もなくならないと思っていますが。

また、今生きている衆生が全部救われたとしても、衆生はどんどん生まれてきます。
衆生を救い終わるということはないのではないでしょうか。

 

 

  [No.23060] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/24(Sun) 18:48:48


> 「歴史上の仏陀」といわれるところに、一つ仏教的でないものが紛れ込む要素があると、わたしは思います。
> 歴史に添っても語れることは語れますが、それだけでは、仏教理解の半分しかいかないだろうと思います。
> 唯一なる神をもたない仏教は、無始なる輪廻を認めています。



たぶん、大丈夫です。歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったかを探求し、そして仏陀の真意の復興運動として大乗などを捉えなおしつつありますから。


> > 今の日本の仏教の常識の真逆であることも認識しています。
>
> 大半の人は、ショ-シャンクさまの考え方をとっていると思います。ショ-シャンクさまの考え方の方が、ふつうではないでしょうか。
> わたしは、そのショ-シャンクさまのもっているような“常識”を壊すのに、ものすごく苦労して、ここまでやって来ました。



大半の人は、白紙まではしないとは思います。
原始仏教と後世のものを並行して学ぶ感じでしょうか。
先生が壊したという、私が持っているような『常識』とは具体的には何ですか?


> > 私は、仏陀を原点としたいと思っています。
> > あらかじめ『解答』をもって仏陀をながめることをしたくないのです。
>
> その点は、わたしも同じです。といいますか、同じでした。そして、誰が、仏陀の教えを受け継いでいるのか見極めようと思って、やってきました。



過去形と言うことはすでに仏陀の教えを受け継いでいる人を見つけたということですね。
先生は龍樹研究者ですから、それが龍樹であることは察しがつきますが、
先生の心の中での予定調和で、龍樹という結論なのでしょうか。
それとも、いったん、龍樹も白紙にされて、しかし、再認識されたということでしょうか。

> わかりやすいのは、ミチオ君でしょう。阿弥陀仏への信仰を説きながら、語る対象のわたしたちをバカやアホ呼ばわりしている姿を見て、ほんとうに他力本願なのだろうか、と誰でも思うことでしょう。彼は、自我をすてておらず、しかも日に日に肥大化しています。
> 煩悩をもつ凡夫の身でありますから、自我や我をもつのは仕方ないのです。それを知り、それを恥じて、阿弥陀さまにおすがりするわけなのです。
> 「我をすてる」という目的のために、阿弥陀さまにすがっていることを完全に彼は忘れているようだな、って思ってます。



禅にはこういう人は多いような気がします。一度、見性をして、『これで俺はもう悟った。』とその体験を誇ってしまう人です。
悟ったと思い込む人には、他の人がバカに見える人もいるみたいです。
禅にしても他の道にしても、慚愧または自我の洞察は絶対に必要で、それがないと自らの宗教体験を自我に組み込んでしまいます。


> > 仏陀に本証の考えはありましたか?
> > 人間は本来覚っているという考え自体無かったですね。
>
> 『ダンマパダ』の一番最初の二つの詩を見てください。
>
> 1 心に先導される諸々のものごと(ダンマ)は、心を最高のものとし、心からなっている。汚れた心で話したり、行ったりするならば、苦しみは、かれにしたがう。あたかも、車輪が、車をひくもの(牛)の足跡(パダ)にしたがうように。
>
> 2 心に先導される諸々のものごと(ダンマ)は、心を最高のものとし、心からなっている。清らかな心で話したり、行ったりするならば、楽は、かれにしたがう。あたかも、影が、(そのものから)離れないように。
> >
> ここは、よく読むならば、「人は、誰でも覚りにいける」と読めなくないです。
> あらゆる人(生き物)を救おうとするブッダの思いは、『ダンマパダ』の最初の二つの偈に顕れているとわたしは見ています。



確かにそう読めなくはないかもしれませんが、私はこの2つは、『行為によってバラモンとなるのである』と同じような、kamma(行為)とその報いの法則を説いたものだと思います。覚りに限定するよりも、それを含んでもっと広範囲な因果ではないでしょうか。


> わたしは、「人は本来覚っている」という表現自体、その考え方自体が、口に出して言ってはいけないものだという気がします。何か、奢りを助長する、はなはだ“まずい”見方のように思われて仕方ありません。
> しかし、時代の流れの中では、如来蔵思想や仏性について語られるようになるのもわかります。悟れない人もいるのではないか、という考え方が出てくると、如来蔵思想が出てきます。
> 中期大乗の時代にあらわれてくる思想の流れです。

確かにそうです。かなりわざと「人は本来覚っている」という表現を使いました。
道元に限らず鎌倉新仏教は天台本覚思想の影響を受けていると思っているからです。
そのうち、道元は、本覚思想を超克したと見ています。
天台本覚思想は、すべての人は本来覚っているとして、修行を否定し堕落しましたが、
道元は『本来覚っているのになぜ修行するのか』という疑問から出発して、見事に本覚思想を超克していきました。
ですので、天台本覚思想の『修行は要らない』という結論と真逆になっています。


> > 煩悩を滅して解脱する、というのが仏陀です。
> > 仏教ができあがって、修行を因として悟りを果とする、となりました。
> > それが時間的に長かろうが短かろうが、因⇒果です。修⇒証です。
> > それまでの仏教に、本証妙修の考えはありましたか?
>
> 当然、あったと思いますよ。
> ショ-シャンクさまが気づかないのも無理はありません。それは、「歴史上のブッダ」だけを追ってきたからです。
> 始めから、『ダンマパダ』では、宣言していました。それをどう読むかは、人それぞれなのです。また、彼は『スッタニパ-タ』の中で、外道のモ-ガラ-ジャンに空を教えています。空は、歴史(因果)を見るのではなく、ただありのままに現在を見る見方です。



ダンマパダの最初の2つに『本証妙修』を見ることは、ちょっと力技過ぎませんか。
私には無理のようです。


> 「最初から覚っている」という考え方を珍重するショ-シャンクさまには、そこに魅力を感ずる何かがあるのだろうと思います。



全く珍重していません。むしろ、批判的に見ているのです。
特に、仏陀を知るようになってからは、かなり批判的です。


> わたし自身でいうならば、この解釈の表現の中に、いわく言いがたい自我のかけら(煩悩)を見ています。



私もそう見ています。
本覚の考え方は、大乗起信論から始まり、如来蔵思想とも融合しながら、日本では平安後期に天台本覚思想としてピ-クを迎えました。大乗起信論の本覚からはかなり違ったように意味づけされていきました。
天台本覚思想の影響はかなり大きかったように思えます。



> そうですね、きっと。衆生が生まれる限り、阿弥陀仏は極楽浄土で救い続けることでしょう。ですが、完全に成就した暁には、滅する性質のものであることには変わりがありません。


ここは、真宗内部の人に聞きたいですね。
極楽浄土や阿弥陀仏が、滅する性質のものだと考えて、信仰している人がどれだけいるのか、です。
外部の人はそのように言うこともできるでしょうけど、内部の人は、自分が信仰しているものが滅するものと考えているでしょうか。
極楽浄土にずっと住めると考える人は、その極楽浄土がいつか滅するとなるとどういう気持ちになるのでしょう。

 

 

 

  [No.23070] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/25(Mon) 10:20:27



> 「歴史上のブッダ」という見方・考え方です。
> 従来言われていることは、最初の頃は、ブッダには教えを説くつもりはなく、次第に発展するうちに弟子たちの力もあって様々な仏教の思想が整ってきた、ということで、多くの人々はこのような意識で、仏教を見ることが多いのです。
> 簡単に言えば、最初は「素朴だ」という考え方ですね。
> ほんとうにそうであれば、「それでよい」とわたしも思うと思いますが、そうでない要素が多すぎるので、疑問に思ってやってきたのです。


私はそうは思っていません。
仏陀は、成道の時に、三明により四諦の法を見ていますし、7日後に十二縁起を順逆観じています。
最初から理法はあったと思います。それもかなり完成形に近い形で。
仏陀が天才であったからでしょう。モ-ツァルトが譜面を書き直さず、すべて頭の中で曲が完成形としてあったというようなものに近い気がします。



> 龍樹研究者といわれるようになったのは、結果論です。
> 最初は、龍樹を攻撃する学派を研究していて、龍樹はトンデモないヤツだと思っていました。いや、龍樹かどうかもわかっていなかったのです。
>
> どうやら、龍樹という人らしい、と目星をつけて見る頃になると、どんどん見えてきたのです。実際に起こったことがどんなことだったのか、ということが。
>
> わたしの書いた論文を読むとおもしろいです。最初は、インド論理学派ニヤ-ヤ学派の立場から、仏教の側を批判しています。ところがどんどん研究が進むと、龍樹だということがわかって来始めると、論調が変わって、龍樹の真意をつかんで語り始める、という論文になっています。
>
> 分岐点は、これかな。。
> 「インド論理学史における『方便心論』の反論理学――論詰論法の論理形態――」
http://manikana.la.coocan.jp/paper/ryuju.html
>
> 「仏教とニヤ-ヤ学派の論争をめぐって―『方便心論』の謎の解明―」
http://manikana.la.coocan.jp/paper/houben.html
>
> ニヤ-ヤ学派も、すごいはすごいです。最後まで龍樹に対抗しましたから。又、龍樹の論法は、すべてブッダから来ています。それは確かめました。
> この二つの論文は、わたし自身が覚ったことを書いているので、論文のかたちをしていますが、内容的には一種の「見性」なのかもしれませんね。


そうですか。後で時間があるときに読まさせていただきます。ありがとうございます。


> > ダンマパダの最初の2つに『本証妙修』を見ることは、ちょっと力技過ぎませんか。
> > 私には無理のようです。
>
> そうかぁ!力技か。。ちょっと、コツがあります。空に繋がるのですが、ほんのちょっとしたことです。
>
> 西洋的な考え方では、自家撞着はいけないことになっていますね。自己矛盾といいますか、そういうことにならないように、あらかじめ、自己をその主張の外に置くようにして語るのが、西洋風です。「客観的」といわれるとき、自分が関わらないことであれば、あくまでも事実に基づいて語れるので、皆、自分自身をその問題の対象に含めないようにあらかじめ設定します。
> ところが、空というのは、自家撞着の構造をそのまま取り込んでいるのです。下手すると、自己矛盾が起こるような構造の中で、あえて自分の身を置いて語るのです。常にです。
> これが空の正体といってもいいのです。ですから、自家撞着すれば、あっという間にわかってしまうのです。

これは、大事なことが書かれているように思えますので、考えさせてください。


> > ここは、真宗内部の人に聞きたいですね。
> > 極楽浄土や阿弥陀仏が、滅する性質のものだと考えて、信仰している人がどれだけいるのか、です。
> > 外部の人はそのように言うこともできるでしょうけど、内部の人は、自分が信仰しているものが滅するものと考えているでしょうか。
> > 極楽浄土にずっと住めると考える人は、その極楽浄土がいつか滅するとなるとどういう気持ちになるのでしょう。
>
> 往相回向、還相回向ということもいわれますが、そこは考えないのですかね。
> 極楽が滅するより前に、娑婆の穢土にもどってくるんだぞ、って、これは、教えないのかな?


真宗内部の人に聞きたいと言っているのだから、こう言うときこそ、ミチオくんの出番でしょうに、反応がないですね(笑)
単発スレを乱立させないで、ここにきちんとした答えを返信してくれたら皆さんもミチオくんを見直すと思いますが。

ミチオくんへの質問としては、
1,阿弥陀仏は滅するものか?
2,極楽浄土は滅するものか?
3,極楽浄土が滅するとすれば、滅する前に、娑婆世界に還る(還相回向)ことは教えられているのか?

要は、阿弥陀仏も極楽浄土も滅する性質だと言うことがキリスト教との違いと石飛先生は言われていますが、
真宗の信者さんで、阿弥陀仏も極楽浄土も滅するものだと思って信仰している人はどのくらいいるものだろうか、ということです。

 

 

  [No.23077] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/25(Mon) 13:28:35

> > 1,阿弥陀仏は滅するものか?
>
> 大乗涅槃経に、迦葉(カッサパ)の質問に、世尊は次のように仰せられているところがあります。
>
> ・善男子よ、法に依るとはこの「大般涅槃経」に依ることである。一切の仏の法(教え)はすべて法性のあらわれである。如来はその法性を悟られた。故に法性が如来である。それ故に如来は常住不変と説くのである。もし如来を無常と見るものは、法性を知らず、見ないものである。そのようなものは依りどころとならない。
>
> ・「人に依らず」と教える時の「人」は、如来は無常で変易すると考える声聞の弟子たちを指すのである。かれらに依るべきではない。
>
>
> ということは、「大乗涅槃経」の信奉者であれば、
>
> 阿弥陀仏、極楽浄土は常住不変であると信じているのではないかと思いますが、どうなんでしょうね。



そうですね。
大乗涅槃経はそう説いてますね。

仏陀は、如来は死後存在するか存在しないかについては無記としました。
つまり、如来は永遠であるのか、実体があるのかないのか、ということは説かないということです。


それに対し、龍樹は、如来も実体がないとしたのではないかと思います。
それで、石飛先生も、阿弥陀如来も極楽浄土も滅するもの、と言われているのでしょう。

ところが、大乗涅槃経には、如来は常住不変としています。

しかし、如来に実体がなく滅するものとみる見方も、如来は常住不変とする見方も、どちらとも、仏陀が言った無記ということには反すると思っています。

『私が説かなかったことは説かなかったこととして受け取りなさい』のはずなのですが。

 

 

  [No.23082] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/25(Mon) 18:53:22


> 仏陀は、如来は死後存在するか存在しないかについては無記としました。
> つまり、如来は永遠であるのか、実体があるのかないのか、ということは説かないということです。
>
>
> それに対し、龍樹は、如来も実体がないとしたのではないかと思います。
> それで、石飛先生も、阿弥陀如来も極楽浄土も滅するもの、と言われているのでしょう。
>
> ところが、大乗涅槃経には、如来は常住不変としています。
>
> しかし、如来に実体がなく滅するものとみる見方も、如来は常住不変とする見方も、どちらとも、仏陀が言った無記ということには反すると思っています。
>
> 『私が説かなかったことは説かなかったこととして受け取りなさい』のはずなのですが。



『善男子よ、法に依るとはこの「大般涅槃経」に依ることである。一切の仏の法(教え)はすべて法性のあらわれである。如来はその法性を悟られた。故に法性が如来である。それ故に如来は常住不変と説くのである。もし如来を無常と見るものは、法性を知らず、見ないものである。そのようなものは依りどころとならない。』


大乗涅槃経によると、『仏性は常住不変』『如来は常住不変』『仏性は無常ではない』『如来は無常ではない』
常住不変ということは、実在ということです。
実体があるということです。

仏教が仏教であるのは縁起と空があるからだとするある仏教学者が、如来蔵思想は仏教ではないと言いました。
大乗涅槃経は如来蔵思想の代表経典です。

その仏教学者はこう言っています。
『私 が ここで"dhatu-vada"と して紹 介 した考 え方 は, 実 は釈尊その人が批判 した対象 であ った。
い うまで も
な く, ウパ ニシ ャッドの ブラフマン ・ア- トマ ン論 であ る。 如来蔵思想 とウパ ニシャッ ド哲学 の類似性 について は,
す でに高崎博士 が繰 り返 し指摘 されてい る13)。
釈尊 の批判 した対象が"dhatu-vada"で あつた ことを文献 に即 して証 明 す る こ と
は今 ここではできないが, しか し何 よ りも重要な ことは, 縁 起説 とい うものが,
「唯一の実在た る万物の根源」 を認め る説, つま り"dhatu-vada"に 対す るア ンチ
テ- ゼとして しか意味 を もちえないとい うことで ある。従 つて如来蔵思想(dhatu vada)と は, 仏教 即 ち縁起説が批判 した当の対象であ つた とい うこ とに な る。
この様 に して, 如来蔵思想 は仏教 ではない ことが示 された。』

確かに、同じ大乗仏教でありながら、
1,すべては縁起であり自性がなく実体がない。実在するものはなく、如来にも実体はない。
2,如来は常住不変である。

この2つは、矛盾しているように思えます。
どうなのでしょうか。

 

 

 

  [No.23085] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/26(Tue) 00:59:58


> 法性というのは、涅槃のごとくに、生じもしなければ滅しもしないのである。(『中論頌』18.7)
> と龍樹も述べています。
> この辺は微妙ですが、「生じもしなければ滅しもしない」ところから、「常住」と見ているということもできます。
> 「如来を無常と見るものは法性を知らない」という風にいわれると、確かに、法性を如来とするなら、無常とは言えない、と思いますね。
>
> 有為と無為という分け方をすれば、有為の世界は、作られた無常の世界ですが、無為はそうではありません。

> 如来をどのようなものと見るか、ですよね。お父さんとお母さんからもらった身体をもつと見れば、それは縁起に従うでしょうけど、「行くこともなく没することもないのが、苦しみの滅である」(『ウダ-ナ・ヴァルガ』26.20)という境地に到達した者について、有為と同じようには扱えないだろうと思います。

> 「常住不変」と言ってしまうと、語弊が生じてくるかもしれませんが、大乗中期になりますと、こういう言い方が出てきます。
> なぜ、こういう言い方になるのかも分かります。
>
> こだわりを持たないようにするからです。
>
> 無常・苦・無我は、ブッダの頃、重要なテ-マでした。常住・楽・我というウパニシャッド思想に見られる考え方に反対するように、これらが説かれていきます。しかし、時代が経ってくると、今度は、無常・苦・無我が行きわたり、ワンパタ-ンに主張されてくるようになって、そこにこだわりが見え始めます。
>
> そうすると、もはや、これらの表現は逆に否定されていき、対して、常・楽・我という表現が逆に新鮮に聞こえてくるのだろうと思います。常に、認識の領域で語っていることを忘れなければ、文脈によっては、種々の表現が可能だろうと思うからです。
>
> 文脈を抜いて、二つ並べると、表現だけからすると矛盾に見えるかもしれませんが、いつもどうしてそういう言い方になったのかを考えると、逆に、言い方を変えている方が一貫した思想にあることもあるだろうと思います。今回がそうかどうかは、まだ検討していませんが、阿弥陀仏については、[No.23081]に少し書きました。


石飛先生の一貫して主張されていたのは、仏教と他の宗教(キリスト教やイスラム教やヒンドゥ-教など)と違うのは、
仏教では、実在する神、永遠不変な神を持たない、という一点でした。
仏教では、すべては生じれば滅する、すべては縁起で実体を持たない、空である、それは神々であってもそうである、ということでした。
実在するもの、永遠なもの、不変なものを教義として持ってしまうと、こだわり、執着となって、苦となる。そこを徹底的に無常と見、空と見るのが仏教である・・・
先生が言われるのはそういうことだと私は捉えていました。

> この辺は微妙ですが、「生じもしなければ滅しもしない」ところから、「常住」と見ているということもできます。
> 「如来を無常と見るものは法性を知らない」という風にいわれると、確かに、法性を如来とするなら、無常とは言えない、と思いますね。

それでは、龍樹のいう法性と大乗涅槃経がいう仏性は同じということですね。
龍樹は、法性=如来、大乗涅槃経は仏性=如来 でした。
法性、仏性、如来という、無常ではなく、常住なものがあると見るのですね。
それでは、キリスト教の神とどう違うのですか?


> 有為と無為という分け方をすれば、有為の世界は、作られた無常の世界ですが、無為はそうではありません。

ということは、作られたものは無常であるが、作られざるもの=無為の世界は無常ではなく、常住ということですね。
ここにおいて、常住、不変、永遠であるものを認めているということになります。

それであれば、キリスト教の神と変わらないのではないですか?

私はやはり、『すべては縁起であり空であって無常であるとするのが仏教で、無常でないもの、永遠であるものを立てるのが外道』という分け方は違うと思います。
そういう分け方をしてしまうと、その仏教学者のように、如来蔵思想は仏教ではない、大乗涅槃経は仏教ではない、というようになってしまいます。


これを考えると、仏陀が、一切を厭離し解脱した如来がずっと存続するのか存続しないのかについては無記としたのは、なんと素晴らしいことかと感嘆せざるを得ません。

ここにおいて、仏陀が言う『私が説かなかったものは説かなかったものとして受け止めなさい』という言葉の重要性がわかってきます。


 

 

 

  [No.23050] Re: 仏教の知覚一切は所謂コモンセンスではない 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/23(Sat) 18:06:21

oさん、こんばんは。

> これは一切を現代人がコモンセンスと捉えることが問題なのではないでしょうか?
> 一切には神通も神々も餓鬼なども含まれますから。
> 一切はコモンセンスではない。知覚対象は有情それぞれだということ、そこら辺を説明しないと誤解されるように思います。


oさんが言われるコモンセンスとは、具体的にどのようなものを指すのでしょうか。

私は、一切とは、眼耳鼻舌身意とその対象の色声香味触法だと考えています。
oさんの言われる『神通』とは、眼耳鼻舌身意と色声香味触法のどれに当たるでしょうか?
『神々』や『餓鬼』はどれに当たりますか?
たぶん、神々は、『法』に当たるのではないかと思いますが、法は考える対象ですから、その範囲を広げていって考えることができるもの全部となると無制限となってしまいます。


> それから、ショ-シャンクさまの捉えている大乗仏教は、明治以降のプロテスタント化した変な大乗仏教のようにも危惧します。



前にも書かれていましたが、oさんの言われる『明治以降のプロテスタント化した変な大乗仏教』の意味がよくわかりません。
教えていただけると幸いです。

 

 

  [No.22981] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:シャン坊  投稿日:2021/10/20(Wed) 11:37:17

エム先生、ショ-シャンクさま

おはようございます。
横から失礼します。

> > グレゴリ-・ショペンの本を確認しましたら、なんとも衝撃的な事が書いてありました。
> > 根本説一切有部律の中に書かれてあるそうですが。
> > グレゴリ-・ショペンによると、
> > 『マハ-カッサパがいかに裕福あったかは、彼が仏陀の死体のための供養を完全にやり直したという事実によってテキスト中に直接示されています。その供養の品物には、特に必要な特定の量の綿芯、五百セットの綿布、火葬に必要な香木とが含まれています。最初の折にはこれらの葬儀の用品を揃えるためにクシナ-ラ全村がそれにかかった・・・(後略)』
> > と書かれています。
> > 私有財産を認められてない、サンガ共有財産しか認めてないはずですので、それを前提として、ショペンの私有財産説はいまは置いておくとして、この記述であれば、やはり、マハ-カッサパが葬儀委員長であったということですね。
> > ただ、やり直したという記述が、信じられないでいますが。
> > 本当に、そんな記述が根本説一切有部律にあるのでしょうか。
>
> ここは、わたしも、びっくりです。ですが、この点は、どなたか詳しい方に説明していただいた方がよさそうです。わたしは、まったく分かりません。

このショペンの本とは、邦訳のある『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』(春秋社)でしょうか?
本書はかなり前に、私も読んだことがあります。
ショペンの研究も、また、本書も、明治以来、未だに日本の学会に残る「西洋崇拝(?)」のせいか、
研究者の間でもそれなりに評価が高かったようですが、
正直言って、「大乗仏教興起時代」(1~2世紀頃)をテ-マとしながら、
現存する各部派の律では最後期(たぶん、グプタ朝の4~6世紀頃)の状況を示す「根本説一切有部律」(漢訳は7世紀頃の義浄)に基づいて、
「僧院における私有財産」その他の重要なテ-マを論じる本書は、
資料の用い方に、かなり問題があると思います。

もし、「大乗仏教興起時代」の僧院生活を論じるために「律」を資料として用いるならば、
「十誦律」「四分律」「五分律」「摩訶僧祇律」などの漢訳でしか残らない「北伝系の古い律」を、
南伝のパ-リ律と比較し、詳しく違いを調査しながら、それぞれの傾向を探っていくべきですが、
ショペンは、そうした「最も基礎的で、重要な文献学的作業」を、全く抜かしてしまっています。
いったいどうしたことか? と思いますが、
もしかしたら、欧米の研究者に良くあるように、パ-リ、サンスクリット、チベット語の各資料は読むことができても、
漢訳の資料は読めないから……という、案外、単純な理由なのかもしれません。
(「根本説一切有部律」は、サンスクリットとチベットが残っています。)

今、問題となっている「大迦葉による釈尊の葬儀」について言えば、
各部派の「律」や「仏伝」(その古いものは、パ-リ以外は、多くが漢訳のみで残っています)を精査すれば、
もしかしたら、様々な伝承があるのかもしれません。
「律文献」では、現在の僧院での状況を「ブッダの当時に遡って権威づける」ために、
各部派によって様々な記述が加えられることもありますので、
この伝承も、「根本説一切有部律」における、そうした問題として考えてみる必要もありそうです。
(ショペンが根拠とする「テキスト」とは、たぶん、最後期の「根本説一切有部律」か、
たぶん、それに近い系統のサンスクリットかチベットで残る文献でしょうから。)

ただ、これをやり出すと大変な作業になり、
結局「学位論文1つ分位の研究」になりかねませんから(笑)、今は行うことができません。

……なお、以上を踏まえて、エム先生の「龍樹研究」を拝見しますと、
多くの研究者のように「後世の注釈書」をベ-スに理解するのではなく、
ニヤ-ヤという「同時代の対論者」との関係から理解する点に、大きな特色と、優れた点があります。
それだけに、資料的にも、漢訳しかない『方便心論』『大智度論』という古い論書をベ-スにすることになり、
そこに、難しさと、面白さがあります。
こうした姿勢は、ある意味で「後世の資料から見る」ショペンとは正反対ですが、
そうしたエム先生のご研究の「集大成」の出現を、心待ちにしております。

長くなって失礼しました。
私の書き込みは、多忙につき、取りあえずこの辺にしておきますが、
何かのご参考になれば幸いです。

シャン坊

【2021/10/20(Wed) 12:03:21 投稿者により修正されました。】


 

  [No.22985] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/20(Wed) 15:57:45

シャン坊さん、はじめまして。


> もし、「大乗仏教興起時代」の僧院生活を論じるために「律」を資料として用いるならば、
> 「十誦律」「四分律」「五分律」「摩訶僧祇律」などの漢訳でしか残らない「北伝系の古い律」を、
> 南伝のパ-リ律と比較し、詳しく違いを調査しながら、それぞれの傾向を探っていくべきですが、
> ショペンは、そうした「最も基礎的で、重要な文献学的作業」を、全く抜かしてしまっています。
> いったいどうしたことか? と思いますが、
> もしかしたら、欧米の研究者に良くあるように、パ-リ、サンスクリット、チベット語の各資料は読むことができても、
> 漢訳の資料は読めないから……という、案外、単純な理由なのかもしれません。
> (「根本説一切有部律」は、サンスクリットとチベットが残っています。)
>
> 今、問題となっている「大迦葉による釈尊の葬儀」について言えば、
> 各部派の「律」や「仏伝」(その古いものは、パ-リ以外は、多くが漢訳のみで残っています)を精査すれば、
> もしかしたら、様々な伝承があるのかもしれません。
> 「律文献」では、現在の僧院での状況を「ブッダの当時に遡って権威づける」ために、
> 各部派によって様々な記述が加えられることもありますので、
> この伝承も、「根本説一切有部律」における、そうした問題として考えてみる必要もありそうです。
> (ショペンが根拠とする「テキスト」とは、たぶん、最後期の「根本説一切有部律」か、
> たぶん、それに近い系統のサンスクリットかチベットで残る文献でしょうから。)


グレゴリ-・ショペンが自分のことや自分の研究につき話した内容が、訳者あとがきにありますので、書いておきます。
↓↓↓
根本説一切有部律に仏陀当時の教団の様子がどれほど反映されているかという質問をよく受けますが、根本説一切有部律には仏陀在世当時の教団が実際にどういうものであったかについては何も述べられていません。
というのは、根本説一切有部律は西暦一、二世紀の頃に書かれたかあるいは編集されたか編纂されたかしたものです。
だから、それはその当時の僧院制度を語っているにすぎないからです。
根本説一切有部律だけでなく、現存の律はどれをとっても、仏陀在世当時の教団を物語るものではありません。
なぜなら、パ-リ律は、ブッダゴ-サ(五世紀)以前にその実際の内容がどういうものであったかは分かりませんし、また漢訳の諸律もすべて五世紀以後に訳されているからです。
つまり現存の律はすべて仏陀在世当時よりかなり後になって作られたものだからです。
↑↑↑

つまり、グレゴリ-・ショペンは現存の律につき
根本説一切有部律は西暦一世紀か二世紀。
パ-リ律は西暦五世紀。
漢訳律は、西暦五世紀以後。
というように捉えていたようです。

グレゴリ-・ショペンの研究は、西暦一世紀から西暦六世紀くらいまでのいわゆる大乗仏教興起時代の僧院生活であって
仏陀在世中の僧院の様子ではなかったようです。

ですから、グレゴリ-・ショペンが語るマハ-カッサパによる仏陀の葬儀も確かなものでは全くないでしょうね。

実際、西暦一世紀から六世紀くらいまでの様子は碑文や根本説一切有部律から明かしていったものである程度参考にはなりますが、仏陀在世中の僧院に関しては、グレゴリ-・ショペンの説はまゆつばなところがあると思いますし、実際、まゆつばであってほしいと思う自分がいます(笑)

ただ、碑文からの取り組みは画期的だったと思っています。

 

 

  [No.22987] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:シャン坊  投稿日:2021/10/20(Wed) 16:30:42

ショ-シャンクさま

さっそくのご返信、ありがとうございました。

ショペンが「根本説有部律」を1~2世紀頃と考え、漢訳の律をそれより遅れる……と考えていたこと、
よくわかりました。
(彼の本を読んだのはずいぶん前で、今もしまい込んだままですので、忘れていました。)
それならば、彼自身としては、大乗仏教興起の時代に使えると考えたのもわかります。

ただ、日本の学会では、説一切有部の律としては「十誦律」が先行し、
それから展開したものが「根本説一切有部律」とすることが一般的です。
これはもちろん、漢訳年代の前後と、それぞれに言及する年代の確実な文献から割り出したもので、
かなり確実性が高いと思います。
その例として、以下の論文を挙げておきます。
(ここでは、『大智度論』が「十誦律」に言及するとするなど、興味深い内容もあります。)

「「根本説一切有部」と「説一切有部」」(榎本文雄)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/47/1/47_1_400/_pdf/-char/ja

「古い時代の北伝仏教文献」で年代の確実なのは、やはり漢訳ですが、
欧米の研究者でこれが利用できる人は限られていますので、
しばしば、その年代推定には、あまりに古く遡らせることもありますが、
ショペンもその一例だった、ということかもしれません。

いずれにせよ、以上は、エム先生とのお話の「本題」ではありませんので、
私もこの辺で失礼します。
エム先生とのお話の続きを、楽しみにしております。

 

 

  [No.23004] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/21(Thu) 10:41:07

シャン坊さん、ありがとうございます。

グレゴリ-・ショペンの矛盾しているところは、
『根本説一切有部律に仏陀当時の教団の様子がどれほど反映されているかという質問をよく受けますが、根本説一切有部律には仏陀在世当時の教団が実際にどういうものであったかについては何も述べられていません。
というのは、根本説一切有部律は西暦一、二世紀の頃に書かれたかあるいは編集されたか編纂されたかしたものです。
だから、それはその当時の僧院制度を語っているにすぎないからです。
根本説一切有部律だけでなく、現存の律はどれをとっても、仏陀在世当時の教団を物語るものではありません。
なぜなら、パ-リ律は、ブッダゴ-サ(五世紀)以前にその実際の内容がどういうものであったかは分かりませんし、また漢訳の諸律もすべて五世紀以後に訳されているからです。
つまり現存の律はすべて仏陀在世当時よりかなり後になって作られたものだからです。
これらの内、どれが古くてどれが新しいかと問われると、それに答えるのはむつかしいと思います。
また、仏陀在世当時の教団が一、ニ世紀の頃のどの教団に似ているかということに答えることも同様に困難です。
紀元一世紀以前の教団の存在を証明するような考古学的な証拠は何も存在しません。
つまり、教団が存在していたことは事実であったとしても、それは何の痕跡も残していないのです。』
と言っていながら、
仏陀在世当時の教団の様子について断定しているところです。

マハ-カッサパについても、仏陀の葬儀をやり直したということで、最初にクシナ-ラ-全村がかかったことをマハ-カッサパが自分の私有財産でやり直したとして、彼の財産は村全体の財産を凌ぐものだったと断定しています。
頭陀行に専念していたマハ-カッサパに関してそのような断定を行なうのですから、かなり眉唾だと思っています。

紀元一世紀以降の仏教教団は確かにそのような私有財産を持つものがあったかもしれず、そのような堕落が、大乗仏教が起こった一因かもしれません。

しかしながら、グレゴリ-・ショペンは自ら、『仏陀在世当時の教団を記した、その当時のものはない』と言っているのですから、仏陀在世当時に関する断定は矛盾していますね。


 

  [No.22966] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/18(Mon) 20:01:57

すみません。

いま、中村元訳大般涅槃経でなく、片山一良訳の大般涅槃経を読むと、4人が火をつけようとしたが付かず、神々の意向によりマハ-カッサパの到着を待ってマハ-カッサパが火をつけた、ということのようですね。

何かの本で、葬儀は初めからマハ-カッサパが取り仕切ったと書いてあったような気がしましたが。グレゴリ-・ショペンの本でしたか、うろ覚えです。勘違いかもしれません。

 

 

 

  [No.23120] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/28(Thu) 16:03:43

石飛先生、こんにちは。

仏陀が、自分の死後、衆生の浄心に資するために、仏塔を建てるように言った、というのはその通りだと思います。

私の最も疑問としているところは、
それが何故仏陀自身の遺骨でなければならなかったのか、ということです。

仏陀の理法は、五蘊非我です。肉体は仏陀ではなく、法を見る者が仏陀を見るのです。

そうであれば、修行や浄心のよすがとして仏塔なり石碑という目に見える礼拝施設があったほうがいいのであれば、
三法印か四法印の言葉を刻み付けた仏塔や石碑を、仏陀の生誕地と成道の地と初転法輪の地と入滅の地に建てたほうが
『法を見るものは私を見る』という仏陀の理法にかなうはずです。

世間一般としては、その人の肉体がその人だと強く思っていますから、遺体や遺骨を礼拝する気持ちはわかるのですが、
仏陀の理法はそういう世間の常識を顛倒妄想であると喝破したものである以上、
どうしても遺骨をまつって礼拝するように言ったわけが知りたいのです。

 

 

 

  [No.23125] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/29(Fri) 09:49:46


> 「仏塔を作って拝むべきである」と言っていますが、遺骨については特に表記はないようですね。みなが遺骨を納めたのは、ブッダの塔であることをはっきりさせるためかもしれません。
>
> ショ-シャンクさまと同じように考えた人が、アショ-カ王だと思います。様々な場所に石柱を建て、磨崖には法勅を刻んでいます。「生き物を殺してはならない」など、様々な碑文が残されています。特に、碑文などでは仏教の教えが強調されることはありませんが、アショ-カ王は仏教に帰依したことが知られます。また、ブッダの遺骨を集めて分配し、さらに多くの仏塔をインド各地に建てたとされます。


そうですね。もう一度、片山一良訳と中村元訳を読み直しましたが、
『転輪王の遺体を荼毘に付します。それから大きな四つ辻に転輪王の塔を建てます。』『ちょうど、転輪王の遺体にたいしてするように、如来の遺体に対してされるべきです。』とあります。

自然な流れとしては、荼毘に付した場合は、遺骨を塔に収めるのが普通でしょうけど、仏陀自身がはっきりと、遺骨を納めた塔だとは言ってないですね。
とすると、かなり強引に考えると、舎利がない塔も考えていたかもしれません。
実際、舎利が足らなくなって、瓶や灰を収める塔を作って、舎利の8つと合わせて10の塔ができたらしいですから。

仏陀は遺骨にはこだわっていないということで、ある程度すっきりしました。
ありがとうございます。