人間存在を台風に喩えると、太陽の灼熱が無明です。
灼熱によって生じる水蒸気が渇愛です。
水蒸気が渦を巻いて上昇していき暴風となったものが業力です。
台風の怖ろしい風力によって海の景色は一変します。
業力も、私たちの環境を形作っていっています。
台風には台風の目と言われる中心があります。
人間存在には『私という中心』があります。
灼熱による水蒸気が発生している限り、台風はなくなりません。
人間存在も、無明による渇愛がなくならない限り、存続します。
無明や渇愛を滅して入滅すれば、もう五蘊を集めることはないでしょうけど、そのように解脱していない人がほとんどなので、また五蘊を集めることとなります。
これが輪廻転生です。
今の仏教者がさかんにいっている、『実体があるか、実体がないか』というのはただの空論です。
台風はあるともいえるしないともいえます。
台風は実体を持たないといっても、物凄い影響をもたらします。
台風に、実体があるだの、実体がないだの、このようなことを延々と議論しても何にもなりません。
それが仏陀の真意です。
台風がなくなったら、穏やかな海が広がっているだけです。