中部経典の第11は、『小獅子吼経』です。
獅子吼とは、註に、最上の咆哮、無畏の咆哮、無敵の咆哮のこととあります。
仏陀のサンガにこそ、沙門、第二の沙門、第三の沙門、第四の沙門がいて、他の異教にはそのような沙門を欠いている、と獅子吼しなさい、と説かれます。
沙門、第二の沙門、第三の沙門、第四の沙門とは、預流者、一来者、不還者、阿羅漢のことです。
なぜ、仏陀のサンガには、それらのものがいて、他の異教にはいないのか、という理由が語られます。
それは、常見(有見)bhava-ditthi か、断見(非有見)vibhava-ditthi のどちらかにとらわれているからです。
四つの取著から離れることができないと言います。
四つの取著とは、欲の取著、見の取著、戒禁の取著、我語の取著、です。
この四つの取著は、何を因縁にし、生起とし、起源とし、発生とするか、ということを説かれます。
この四つの取著は、渇愛を因縁(原因)としています。
渇愛(tanha)は感受を因縁(原因)としています。
感受(vedana)は接触を因縁(原因)としています。
接触(phassa)は六処を因縁(原因)としています。
六処(salayatana)は名色を因縁(原因)としています。
名色(nama-rupa)は識を因縁(原因)としています。
識(vinnana)は行を因縁(原因)としています。
行(sankhara)は無明を因縁(原因)としています。
無明(avijja)が断たれれば、明智(vijja)が生じます。
そうすれば、四つの取著にとらわれることがなくなり、涅槃に到達します。