中部経典の第3は、『法相続経』です。
この経典は、
『わたしの法の相続者になりなさい。財の相続者になってはいけません。』という言葉で有名です。
そして、この言葉の後に、このような例を挙げます。
仏陀が供養された食事を食べ、満腹になった。
しかし、供養された食事にはまだあまりがある。
そこへ、おなかをすかせた2人の比丘が来た。
その2人に、余った供物があるが食べるか、それとも捨てようか、と問いかけます。
1人は食べようと決め、もう1人は余りのその供物を受け取らずに一昼夜空腹のままでいようと決心します。
そして、仏陀は、後者を褒めます。
なんとも、仏陀は徹底しています。
こういうエピソードを読むとそう思います。
他の経典のエピソードでは、役者の村に行ったときに、村長が『私たち村人は、演劇をして人を楽しませています。死んだ後、その報いで楽しい天に生まれるでしょうか?』と聞きます。
仏陀は、『演劇によって、人の貪瞋痴を増大させているから、死後は悪いところに赴く』と言います。
ずいぶんと徹底していると感じます。
この法相続経のたとえでも、余りを食べなければ供物が無駄になるのだから食べるのが正解だと思ってしまいます。
しかし、仏陀は、食べないで捨ててしまう方を賞賛するのです。
それは何故か。
それは、その比丘にとって、少欲に、知足に、削減に、養いやすさに、精進努力に資することになるから、と説かれます。
こういうエピソードに触れると身が引き締まります。