「空」は、この世界は本来清浄な仏国土であるが、その様に感じることが出来ないのは心が清浄ではないからであると説いている。しかし、この教えが事実であるとしても、現実にこのような境地に至ることができない者にとってはただの理論にしか過ぎない。他民族の侵入や小国が林立する乱世が続いた当時のインドでは、多くの民衆は知的な理論より精神的な救いを求めていた。この思いを汲み取ったのが浄土思想である。
大乗仏教では、人間としての釈迦から離れて、理想的な存在としての仏をイメージするという「観想念仏」という修行が行われたが、同時にその仏によって開かれた理想的な環境も「観想」するようになっていった。この環境を「浄土」(仏国土)という。様々な仏・菩薩やその浄土を説く多くの経典が編纂されたが、その中で後世に最も大きな影響を残したのが阿弥陀如来と、その浄土である極楽浄土である。
この思想はインドではなく中央アジアを中心に発展していった。現在インドの遺跡から発掘された阿弥陀如来像のほとんどが、後代に起こった密教の「五智如来」(金剛界五仏は大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の五如来、胎蔵界五仏は大日・宝幢・開敷華王・阿弥陀・天鼓雷音の五如来)の一人としての阿弥陀如来である。浄土信仰としての阿弥陀如来像と思われるものは1977年にマトゥラーでクシャーナ朝時代の阿弥陀如来像の台座が確認されたただ一例しかない。これに対して、中央アジアでは多くの阿弥陀如来に関する論書や仏像が作られている。阿弥陀如来は『仏説般舟三昧経』や『法華経』『仏説出生菩提心経』『大乗離文字普光明蔵経』『大乗離文字普光明蔵経』など多くの経典に示されているが、特に浄土教で重要視されているのは『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』の浄土三部経といわれる経典である。このうち『仏説無量寿経』と『仏説阿弥陀経』はインドで編纂された経典であることから、阿弥陀如来と極楽浄土がインドで生まれた思想であることは確かであるが、インドでは受け入れられなかった浄土思想がなぜ中央アジアで支持を得たのかは分かっていない。
浄土思想は、中央アジアから中国に伝わると浄土教として広く各宗派の中に取り入れられ、さらに日本では宗派として確立することになる。
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浄土思想は、インドではなく中央アジアを中心に発展していった、とあります。
『インドでは受け入れられなかった浄土思想がなぜ中央アジアで支持を得たのかはわかっていない』ともあります。
この、歴史的な謎に関しては、グレゴリー・ショペンがその理由を解明しました。
つまり、浄土思想に限らず、大乗仏教はインドでは全く流行らなかったということです。
それは、インドでは、第一結集で確定したものが仏陀の本当の教えだと認識されていたからです。
ですから、おそらくサンガの中で一部の出家僧がひそかに大乗仏典を作っていっていたものの、それは非仏説として嘲りの対象であったというのがグレゴリー・ショペンの説です。
ですから、大乗仏典が作られ始めてから何百年も大乗教団のようなものはできなかったのです。
そして、5,6世紀になってはじめて、辺境の地という仏教が認識されていない地域に大乗教団ができたといいます。
浄土思想がインドで全く流行らなかったのもそういう理由です。
それで、仏教文化がほとんど伝わっていない辺境の地である中央アジアで支持を得られ始めたということです。
5,6世紀になってはじめて大乗教団らしきものが辺境の地域でできはじめるのですが、もうその頃にはインドの中央では、インド土着の信仰にバラモン教の教えを取り入れたヒンドゥー教が勢力を拡大しており、劣勢の仏教はその影響を大きく受けていきます。インド古来の神々やインド土着の呪術などを取り入れた密教の萌芽が見られ、やがて7世紀の密教経典の成立となります。