仏陀の弟子の自殺

 高原 (126.66.155.7)    
ショーシャンクさん、こんばんは。 スッパニパータ 第二章 小なる章 十 精励(岩波版)のとこです。 panado rajo pamado (怠りは汚れである)の4行詩の一行目です。 直訳すれば3文字の文を、中村元氏は50字で日本語訳し、およそ「怠るな、眠るな」と言い、講談社版の本庄氏は60字で「苦しみもがく輪廻の世をさまよう傷病者のくせに眠るな」という意のことを言ってます。石飛さんも自分で訳しておられたことを思い出して調べると、ほぼ中村元さんの訳と同じで50字に及ぶ訳文が合致し、ならばパーリー語3語の後ろにも文があるのかと思い、スッパニパータ原語を探したのですが探せませんでした。 それと、スマラサーラは経済活動は非難をしているというのは誤解です。自分を救うことをしてないことをpamadoと非難してるんだと思います。 あと、自殺については、そう安易に決めつけられないと思います。それぞれ理由は違って、きっかけはあったかも知れませんが、最近、続けてクローゼットで自殺なさった俳優さん、女優さんたちも、普通に仕事もなさっていて、一般人から見れば恵まれた輝いていた成功者で、なぜ自殺を選ばれたのか理由が分からない人たちばかりです。 良かったら、10分ほどのYouTubeの動画で「お寺で対談6。自死について。佐々木閑、対談」(臨済宗大本山円覚寺チャンネル)を見てください。最初、見たとき、ぼくは少し泣いてしまいましたが、なかなか、自殺をこういう見方から見ることはできませんが。

 

 

高原さん、こんにちは。

紹介されたYouTube、見ました。その感想は後にして。

 

私は、自殺の原因がどうだとか、あるいは、自殺が殺人か殺人でないかとか、自殺は悪いか悪くないか、とかを言っているのではありません。

 

仏陀が言った『dukkha=苦』について、多くの人は、こう考えています。

若くて健康で友達も多く、社会的にも成功してお金を多く持っている、そういう人は『苦』がわからず、自殺するくらい悩んで苦しんでいる人は、仏陀の言う『苦』がわかるだろう、と。

しかし、この世が楽しくて仕方がないという人も、自殺するくらい苦しんでいる人も、仏陀の言う『苦』は同じくらいわからないものだ、ということを言ったのです。

現世的な条件付けられた苦しみ(これも含まれますが)以上のものがdukkhaの意味には込められているということです。

 

さて、YouTube見ました。

私も自殺は殺人とは思いません。

この動画で取り上げられた仏陀の弟子のエピソードとは別のエピソードがあります。

それは、悟りに達した弟子が、どうしてもその境地にとどまれないで元の木阿弥になってしまう。

これは、玉城康四郞の本にも自身の体験としてよく書かれています。

そこで、その弟子は、悟りに達したときに、自殺してしまうのです。

仏陀は、その弟子が涅槃に達したことを明言します。

 

世界から自殺はなくなるべきですが、自殺した人を非難するようなことはしてはいけないと思っています。