くりさん、こんにちは。
論文のご紹介、ありがとうございます。
この論文を読んでみますと、涅槃や解脱に達した在家という記述はかなりあるようですね。
例として『在家者ヤサは、如実智見によって、 諸漏から解脱したとあり、在家者の解脱が説かれている。』と書かれています。
また、『AN.6.120.(41) には、仏不壊浄、法不壊浄、僧伽不壊浄、聖戒、聖智、聖 解脱の六つの事柄を成就して、不死を見、不 死を悟り、解脱・涅槃に至った者として、パッリカ長者、アナータピンディカ長者、チッタ長 者、マハーナーマ、ウッガ長者等の21人の在家者の名前を挙げている。在家者ウッガ長者は布 薩の弛まない実践により、不死を悟り、解脱・涅槃に至ったのである。』とあります。
大乗仏教の人は、かたくなに『小乗仏教は出家しなければ悟れない』と言いますが、全く違いますね。
私は、仏教は3つに分けたほうがいいと思っています。
原始仏教、部派仏教、大乗仏教です。
原始仏教は釈尊とその直弟子の時代。部派仏教は釈尊滅度から100年後の根本分裂以後。そして、釈尊滅度後500年くらい経ったときに起こった大乗仏教、です。
部派仏教では出家至上主義に傾いたかもしれませんが、仏陀の真意は原始仏教にあります。
釈尊在世中は、その教えはとらわれずに活き活きしています。
そもそも、最初期の戒律は、1つだけでした。
サンガが出来上がるにしたがって、誰かが不都合なことをすると、新たに戒律を増やしていったのです。これを随犯随制と言います。
釈尊は亡くなるときに、『小さな戒律は変えてもよい』と言いました。
サンガが発展して、様々なレベルの者たちが入ってくると、どうしても戒律が多くなっていきます。
釈尊も多くなりすぎたと考えられたのかもしれません。
最初期の仏教は、いまイメージするよりはるかにのびのびとしていたのかもしれません。
戒律厳格派の提婆達多が戒律が緩すぎると意見したくらいですから。
出家と在家の区別も、部派以降よりかなり少なかったのかもしれません。