仏陀が説く『空』とは

今の仏教の根本教理と見なされ最も重要視されている【空】ですが、
実は、歴史上の仏陀はあまり説いていません。

 

最古層の仏典『スッタニパータ』で【空】が説かれているのは


【つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。

 そうすれば死を乗り超えることができるであろう。

 このように世界を観ずる人を〈死の王〉は見ることがない。】

 

の箇所くらいです。

 

いかに仏陀は【空】を説かなかったか、です。


さて、それでは、仏陀がスッタニパータで説いた【世界を空なりと観ぜよ】の【空】とはどういう意味でしょうか。


それを解明するには、『ダンマパダ』の

【世の中は泡沫のごとしと見よ。

 世の中はかげろうのごとしと見よ。

 世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。】

 

の言葉が参考になります。

 

ほとんど同じことを説いているからです。

 

さらに

【この身は泡沫のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであるとさとったならば、死王の見られないところに行くであろう。】

とあります。


仏陀は、泡沫やかげろうをはかないという例えで使っているのです。

つまり、歴史上の仏陀が【空】というときは、

【泡沫のように生じては滅するはかないもの】と言う意味です。
非常に単純明快ですね。


『すべての存在は縁起によって成り立っているから自性がない、実体がない、空である。』というのは、遙か後世に龍樹が現れて勝手に創り上げた教理です。

これが、仏教の根本教理とされていきました。


しかし、歴史上の仏陀が『すべての存在は縁起によって成り立っているから自性がない、実体がない、空である。』と説いている原始仏典はありません。