マニカナで法華経に関して書いている人がいて、観音経を裏門と書かれてあったので、少し触れます。
私が法華経にはじめて触れたときには、方便品が最も好きでした。
方便品の最初から十如是までがゾクゾクするほど名文でしたし、十如是がそれだけで法華経の真理そのままを表わしていると考えていました。実際、十如是は略法華と呼ばれています。
少し時が過ぎると、如来寿量品こそが法華経の真髄で、如来寿量品さえあればいいと思うようになりました。
しばらくしてから、法華経の喩え、特に長者窮子は人間存在を極めて的確に喩えたものだと思い、法華経の本質は喩えだと思うようになりました。
そしていまは、法華経の本質は、流通分にこそあるのではないかと思っています。
流通分とは分別功徳品から最後までです。
法華経の本質は、真空妙用でしょう。
無量の働きが宇宙に満ち満ちている。
それが少しでもわかり始めたときに、流通分の有難さが沁みてきます。