八十華厳の唯心偈

前に挙げた華厳経の唯心偈は、六十華厳です。

 

いま、八十華厳をパラパラと眺めていましたら、少し表現が違っています。

八十華厳では、夜摩宮中偈讃品第二十になっています。

 

心は工画師の如く 能く諸の世間を画き

五蘊は悉く従って生じ  法として造らざる無く

心の如く仏も亦爾り 仏の如く衆生も亦然り

応に知るべし 仏と心とは體性皆無盡なり

もし人ありて心行は 普く諸の世間を造ると知らば

この人は則ち仏を見 仏の真実の性を了る

心は身に住せず 身も亦心に住せず 而も能く仏事をなす

自在にして未だ曾て有らず

もし人三世の 一切の仏を了知せんと欲せば

応に法界の性を観ずべし  一切唯だ心の造なり

 

 

(六十華厳)

心は工みなる画師の如く 種種の五陰を画き
一切世界の中に 法として造らざる無し
心の如く仏もまた爾り 仏の如く衆生も然り
心と仏と及び衆生との 是の三に差別無し
諸仏は悉く了知す 一切は心從り転ずと
若し能く是の如く解せば 彼の人は真の仏を見ん
心も亦是れ身に非ず 身も亦是れ心に非ざるも
一切の仏事を作し 自在なること未だ曾て有らず
若し人三世一切の仏を求知せんと欲せば 
応当に是の如く観ずべし 心は諸々の如来を造ると

 

 

 

 これを比べてみると、八十華厳のほうがわかりやすいですね。

 

六十華厳の『心は諸々の如来を造る』というのがどうしてもわからなかったのですが、八十華厳では『一切唯だ心の造なり』とわかりやすくなっています。

 

心は身に住せず 身も亦心に住せず 而も能く仏事をなす

自在にして未だ曾て有らず』も

八十華厳になって、はっきりと意味がとれるようになっています。

 

六十華厳の『心も亦是れ身に非ず 身も亦是れ心に非ざるも
一切の仏事を作し 自在なること未だ曾て有らず』では非常にわかりにくかったのですが。

 

八十華厳『仏と心とは體性皆無盡なり』も深みがあります。