仏教解説書の切り貼りでなく

 

>>『こころは移ろい易きものである。 見落とすことなくその中に居よ』
>>と訳すなんてありえないのです。
>>上の単語のどこをどう訳すとそんなでたらめな訳になるのか、教えてください。

 

このわたしの問いかけに、芳和さんが次のように答えてくれたみたいです。

 

>私はサンスクリット語を知りませんし、信頼する紀野一義先生の訳の文字を評価できません。
>しかし、私は、紀野一義先生を心から信頼しているのですよ。

>で、信用と信頼は違います。
>信用は見返りを求めますが、信頼は「たとえ騙されても」です。
>信頼関係ができたら大切にしたいですね。
>親鸞の、「法然上人にすかされましても」です。
>譬え地獄に落ちてもです。

 

 

仏教学者の紀野一義を、親鸞が法然を見るように帰依しているのですか。驚きです。紀野一義も学者として仏教解説書を出しているだけなのに教祖として帰依されては責任重大ですね。おちおち地獄にも行けません(笑)

前にも書きましたが、芳和さんは、いろいろな仏教学者の仏教解説書を数多く読んで引用をすることがとても多いですが、それはその仏教学者の言葉でしかありません。

芳和さんの言葉で語ることが重要です。

あなた自身の言葉で語ってください。

解説書の引用など何もなりません。するなら仏典の引用だけにするべきです。

いろいろな学者の言葉を切り取り切り取り貼り付けていっても、それはただのガラクタを並べたに過ぎません。

 

 

仏教の解説書なんて、しょせん、映画評論家が書いた映画の解説文のようなものです。その人のサングラスで、フィルターを通して見た感想にしか過ぎません。

映画を見る前に、映画評論家の解説を読んではろくなことになりません。

先入観が入ってしまって全く感動できなくなります。

映画の評論家が感動するところと自分が感動するところはほとんどの場合全く違うものです。

映画は、評論家の解説など読むことなしに直接自分で観るべきです。

大事なのは評論家の感想ではなく、自分の感想です。

 

映画の字幕は英語に非常に堪能なプロが訳したものですが、ひどい誤訳は結構あります。

たとえば、映画『ショーシャンクの空に』の最も大事な最後の部分。

 

I find I'm so excited I can barely sit still or hold a thought in my head.

I think it's the excitement only a free man can feel.

A free man at the start of a long journey whose conclusion is uncertain.

 

これを字幕では、『興奮して、じっとしていられない。自由な人間だけが感じる興奮だ。結末はどうなるかわからない。』と訳していました。

3番目の英文を直訳すれば、『結末が不確定な長旅をスタートさせる自由人』です。

しかし、この映画は『hope』が主題です。

絶望のどん底からhopeを見つけて、そのhopeに興奮している人の独白です。

それを『結末はどうなるかわからない』と不安気に訳したのでは映画が台無しになるのです。

ここは

『興奮してじっとしていられない。どんな(素晴らしい)結末が待ってるかわからない長旅に出る自由人だけが感じることができる興奮なんだと思う。』

あるいは『行き先を決めない長旅に出る自由人だけが感じることができる興奮なんだと思う。』

と訳さなければ、そのときのレッドの『興奮』はわからず、原作者の、そして映画監督の、『真意』はわからないのです。

 

 

司馬遼太郎が『坂の上の雲』で『この日本国の新国民たちの高揚感がわからなければ、この段階の時代(明治時代)はわからない』と言ったのと似ています。

 

それと同じように、歴史上の仏陀の最後の言葉を

こころは移ろい易きものである。 見落とすことなくその中に居よ』などと訳してもらったのでは、仏陀の生涯が台無しになってしまいます。

 

この世は『誤訳』に満ちていることは忘れない方がいいですよ。