無上最大の法輪

法華経譬喩品に

仏は昔、波羅奈において、初めて法輪を転じ

今すなわちまた、無上最大の法輪を転じたまう

とあります。

初転法輪で説かれたのは、四諦と中道である八正道ですが、

それでは、法華経で説かれた無上最大の法輪とは何でしょうか。

 

譬喩品にこうあります。

 

我は悉く邪見を除いて、空法において証を得たり

そのとき心に自ら思いき 滅度に至ることを得たりと

しかるに今すなわち自ら覚りぬ これ実の滅度に非ず

 

『我が法は、よく生老病死を離れて、涅槃を究竟す』

この学無学の人もまたおのおの自ら我見及び有無の見等を離れたるをもって涅槃を得たりと思えり

 

この人は何においてか、しかも解脱を得る

ただ虚妄を離れるを 名付けて解脱となす

それ実には未だ一切の解脱を得ず

仏はこの人は未だ実に滅度せずと説きたまう

この人は未だ無上道を得ざるが故に

 

 

つまり、

空法を悟っただけではだめだ

生老病死を離れただけではだめだ

我見を離れただけではだめだ

有無の見を離れただけではだめだ

虚妄を離れただけではだめだ

と言っています。

 

法華経を代表とする大乗仏典は、何を言いたかったのでしょうか。

何をもって仏陀の真意と言いたかったのでしょうか。

 

空だ、無我だ、非我だ、だけではだめなんだと言っているのです。

 

それは如来秘密神通之力です。

一大事因縁です。

如来神力です。

彼観音力です。