譬喩品

マニカナに芳和さんという人が『忍辱波羅蜜を兼ねて乗り込んできた』ということみたいで、興味深い話題を提供してくれていますので考察します。(仏教や哲学をしている人が変な人が多いということの例で挙げるのでは絶対にありませんから念のため(笑))

過去ログも示していて、これによってわたしはテルゼさんという人の文章をはじめて読みました。とにかく面白い。頭の切れのいい人みたいです。大爆笑させていただきました。リアルで話してみたかったですね。

石飛先生、すみません。マニカナの過去ログの文章の一部を勝手に引用します。

 

芳和さんから春間さんに宛てた文章

           [No.17993] ――大妄語坊主―― 投稿者:芳和   投稿日:2020/10/08(Thu) 21:33:39

>救われている人なら、
>( 救われてはいないと知って )
>気を付けて、 言葉を使ってください
>( 気を付けなくとも 救われている 立場 )

このように、悟ってもいないのに悟り面している坊主を、大妄語戒という波羅夷罪を犯した追放されるべき者というのです。大妄語坊主の貴方を阿修羅などと善趣にしましたが、実は地獄の住人なのですね。

貴方がどんな方かと過去ログを拝見させていただきました。
私、あのテルゼさんと、亡くなられたイストランさんとは、共に勉学に励みながら戦ってまいりました。お二人は、真摯に勉学をされていたのです。そうして真摯の求道者に貴方がお叱りを受けるのは当然です。
イストランさんが貴方に宛てた過去レスを転載してみましょう。

  (この後、過去ログの引用がありますが、これは春間さんが指摘するように、

   春間さんでない他の人に宛てた文章を勘違いしています)

これも同感です。大妄語戒を犯しているのに、まだまだ情け深いではありませんか。
貴方は嘘つきという大妄語戒を犯しているのです。例えばこれです。

>経(真理)は、深い智慧を持つものに語られます
>浅識の人は、真理(経)を聞いて、
>かえって、迷いの中に入り、遠のいてしまうからです
>(法華経比喩品)

こんなのが『法華経』譬喩品にありますか。ありません。
「五千人帰去」は方便品です。
“しかも、迷いの中に入り”ではなくて、貴方のような僧上慢の帰去ですが、貴方のように大妄語戒は犯していません。波羅夷罪の貴方は、自ら去る僧ではなく、追放されるべき坊主なのです。貴方は法華経を読んだことがありますか――読んでいませんね。
文献坊主というのはテルゼさんの御慈悲で、貴方はつまみ食いの大妄語坊主です。

※※※※※

 

芳和さんはこう言っていますが、しかしこれは春間さんの方が正しいですね。

法華経譬喩品第三には

『この法華経は、深智の為に説く。浅識はこれを聞いて迷惑して解せず。』

とあります。

また

『凡夫は浅識にして深く五欲に著し、聞くとも解すること能わじ。

 亦た、為に説くことなかれ。

 若し、人は信じずして、この経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん。

 あるいはまた疑惑を懐かん。』

とありますので、

春間さんが言う『浅識の人は、真理(経)を聞いて、かえって、迷いの中に入り、遠のいてしまうからです』という言葉はまさしく譬喩品にあるのです。

 

法華経を表面だけで捉える人は、譬喩品というと三界火宅の譬喩だけを説いたと考えがちですが、そうではありません。

わたしが見るところでは、方便品と譬喩品に、『なぜ大乗仏典は作られていったのか?』という仏教の大きな謎を解き明かす鍵があります。

 

我見や有無の見を離れたところが涅槃だと思っているけどそうではないのだよ、無上道があるのだ、今こそ無上の大法輪を転じるのだ、という宣言なのです。

その秘密が明かされるのが如来寿量品です。

如来秘密神通之力の全貌が、如来寿量品以降の各品によって顕われます。

 

 

また、芳和さんは

『悟ってもいないのに悟り面している坊主を、大妄語戒という波羅夷罪を犯した
追放されるべき者というのです。』

と書いていますが、悟ってもないのに悟ったと思い込むことは修行者にはよくあることで、これだけでサンガを破門させられる波羅夷罪にはなりません。

波羅夷罪となるためには、自分が悟ってないと自分で知りつつ『故意に』だますことが必要です。

春間さんは勘違いはあっても故意に騙そうと言うことはないでしょう。

余談ですが。