修行僧たちよ、これが教えに従うということである。
すなわち、身体(色)においておおいに厭うているべきである。
感受(受)においておおいに厭うているべきである。
知覚(想)においておおいに厭うているべきである。
形成力(行)においておおいに厭うているべきである。
認識(識)においておおいに厭うているべきである。
色受想行識を厭うことは、色受想行識をよく知ることである。色受想行識をよく知ることによって色受想行識から解放される。
修行僧たちよ、これが教えに従うということである。
すなわち、身体(色)において無常を観察しているべきである。
感受(受)において無常を観察しているべきである。
知覚(想)において無常を観察しているべきである。
形成力(行)において無常を観察しているべきである。
認識(識)において無常を観察しているべきである。
色受想行識において無常を観察することは、色受想行識をよく知ることである。色受想行識をよく知ることによって色受想行識から解放される。
修行僧たちよ、これが教えに従うということである。
すなわち、身体(色)において苦しみを観察しているべきである。
感受(受)において苦しみを観察しているべきである。
知覚(想)において苦しみを観察しているべきである。
形成力(行)において苦しみを観察しているべきである。
認識(識)において苦しみを観察しているべきである。
色受想行識において苦しみを観察することは、色受想行識をよく知ることである。色受想行識をよく知ることによって色受想行識から解放される。
修行僧たちよ、これが教えに従うということである。
すなわち、身体(色)において非我を観察しているべきである。
感受(受)において非我を観察しているべきである。
知覚(想)において非我を観察しているべきである。
形成力(行)において非我を観察しているべきである。
認識(識)において非我を観察しているべきである。
色受想行識において非我を観察することは、色受想行識をよく知ることである。色受想行識をよく知ることによって色受想行識から解放される。