相応部経典7

修行僧たちよ、これが教えに従うということである。

すなわち、身体(色)においておおいに厭うているべきである。

感受(受)においておおいに厭うているべきである。

知覚(想)においておおいに厭うているべきである。

形成力(行)においておおいに厭うているべきである。

認識(識)においておおいに厭うているべきである。

色受想行識を厭うことは、色受想行識をよく知ることである。色受想行識をよく知ることによって色受想行識から解放される。

 

修行僧たちよ、これが教えに従うということである。

すなわち、身体(色)において無常を観察しているべきである。

感受(受)において無常を観察しているべきである。

知覚(想)において無常を観察しているべきである。

形成力(行)において無常を観察しているべきである。

認識(識)において無常を観察しているべきである。

色受想行識において無常を観察することは、色受想行識をよく知ることである。色受想行識をよく知ることによって色受想行識から解放される。

 

修行僧たちよ、これが教えに従うということである。

すなわち、身体(色)において苦しみを観察しているべきである。

感受(受)において苦しみを観察しているべきである。

知覚(想)において苦しみを観察しているべきである。

形成力(行)において苦しみを観察しているべきである。

認識(識)において苦しみを観察しているべきである。

色受想行識において苦しみを観察することは、色受想行識をよく知ることである。色受想行識をよく知ることによって色受想行識から解放される。

 

修行僧たちよ、これが教えに従うということである。

すなわち、身体(色)において非我を観察しているべきである。

感受(受)において非我を観察しているべきである。

知覚(想)において非我を観察しているべきである。

形成力(行)において非我を観察しているべきである。

認識(識)において非我を観察しているべきである。

色受想行識において非我を観察することは、色受想行識をよく知ることである。色受想行識をよく知ることによって色受想行識から解放される。