プロの宗教家はもう要らない

 
高原 (126.42.33.248)    
ショーシャンクさん、こんにちは。 ゴーディカの自死は、我々の感情では祝福する気持ちにはならないですね。バッカリの時もそうだったし、また身念処の苛酷な修行の後、何人かの弟子が自らの命が絶ったことがあったそうで、それを聞いた仏陀は修行のメニューの変更を指示したそうですが、別に悲しんだり嘆いたりする様子も見せず、釈迦って情のない人だなと思ってしまいますが、完全の悟りを得た人は生も死もそういう余計な感情を持たないものかも知れません。 旧約聖書でソロモンが言っていますが「私はなお生きている生存者よりも、既に死んだ死者を幸福な者と思った。しかし、この両者よりも幸いなのは、まだ生まれてない者で、日の下で行われる悪しきわざを見ない者である」(伝道の書)とありますが、これも一般の我々の感情から言えば違和感を感じるかも知れませんが、もともと釈迦も二度と生まれてこないことを求めたんですから。 最近、「戒・定・慧」という言葉をよく聞きます。「戒」とは、戒律を常に守っている自分を習慣ずけることだとされています。「戒は大地で、定は樹木で、慧はその果実」です。一番大事なのは「戒」で、良い実の成る樹木が育つ良い土壌の自分になることです。 梅原猛氏が「日本の仏教」について、僧が酒を飲んで女を抱いて出家のはずが妻も子もいる在家になってて、このままでは日本の仏教は衰亡するばかりで、絶望しかないと書いておられました。大乗仏教は残っているのはもうチベットと日本くらいで、小乗仏教の方がインドネシアやセイロンやテーラワーダなどの形でちゃんと残っていて、それは南伝仏教には「戒」が残っていて、その土壌に樹木や実が成る環境があります。しかし「戒」も「律」も失った日本の仏教の土壌ではもう実をつけません。弥勒菩薩は56億年後に来るとか気長なことを言っておらず今すぐに降りてくるべきです。56億年後にはたぶん地球はありません。

 

 

高原さん、こんにちは。

戒律に関しては、私は、本質的なものはひとつだけと考えています。

その一つ以外は、すべてサンガという集団生活を維持するためのものだと思います。

サンガにおいて、堕落するものが出ないように、熱心な修行者の邪魔をしないように、随犯随制で決められていったものです。

例えば、仏陀のサンガの代表的な戒律に、正午を過ぎると食べてはいけない、つまり一日に午前中に一度だけしか食事はしてはいけない、というのがあります。

これも、午前中に托鉢して食事をし、その後は食事のことを考えずに修行に専念するように考えられた戒律です。

しかし、この戒律を厳格に守ったところで悟りにいたるということではないでしょう。

あくまでも、サンガという集団生活するための規律です。

学校の校則のようなものです。

髪を茶髪に染めてはいけないとか、私服で登校を禁じるとか、校則があります。

校則を完璧に守ったからと言って東大に入れるわけではありません。

しかし、その高校で生活するためには校則は守らなければなりません。

 

僧侶で生活するつもりであれば、僧侶の戒律がありますから、それを守らなければなりません。戒律を守れないのであれば、僧侶などにならず在家で仕事に就けばいいのです。

親鸞はその、かろうじて残っていた日本の仏教僧侶のあり方、枠組みをぶっ壊してしまいました。すべては安易な方へ流れます。

非僧非俗などと言って、親鸞は、僧でないのだから肉食妻帯はする、俗でないのだから自分は働かず信者に食わせてもらう、といういいとこ取りをしてしまいました。

親鸞がやったのは、高校に入りたいけど、その学校の校則は守りたくない、といって高校をやめて働くのもいやだ、ということです。この生き方のどこが凄いのか、私には全くわかりません。

日本仏教の僧侶は右にならえ、で、こぞって戒律は破ってしかしお布施はもらって、のうのうとするスタイルとなってしまいました。

 

もう、日本にプロ宗教家など要りません。

お金をもらえるのは、何らかの価値を世の中に提供しているからです。

魚屋は魚を、八百屋は野菜を、医者は医療サービスを提供しているからこそ、お金はもらえます。

しかし、この世に何らかの価値を提供している僧がいま日本に何人くらいいるでしょうか。

葬式に呼ばなくてはいけないからまだ存在できていますが、戒名などというものに価値があると思っている人はいるでしょうか。これから戒名など要らないという意識に急速になっていくでしょうから、僧侶の存在価値はなくなっていきます。

そのときには、精神的な支えや人生相談などができる人、つまり僧でも世の中に価値を与えることが出来る人だけが職業として残ることが出来るでしょうが、そんな人はほとんどいません。

 

これからは、宗教でお金を稼ぐという職業は消えていくべきです。

それは、価値もないのに、民衆からお金を搾取していることになるからです。

もし、その人が本当に心の法則をわかっているのであれば、事業や投資で大金持ちになれるはずです。

スピリチュアルで、『こうすれば大金持ちになれる』とか『お金を引き寄せる』とかいうYouTuberでセミナーや有料オンラインサロンで儲けている人はいますが、それはただ、フワフワした生活力のないスピリチュアル好きな人たちからお金を搾り取っているだけです。

本当に、大金を引き寄せることが出来るのであれば、事業や投資でお金を稼いだ後、全くの無料でその知識を分けていけばいいのです。

宗教や精神世界の知識でお金を搾り取ろうとするプロ宗教家などはもう要らない時代になるでしょう。