『行』=saṅkhāra

Satya (49.98.74.225)  

2020年から世界は変わるだろうなと思っていましたが、今世界は大変なことになってます。 こういうとき、まったく影響を受けないこと(真理)から外れないようマインフルであることが大切ですよね。 ところで、十二縁起や五蘊に出てくる「行(意志形成力)」も「受」とならぶポイント項目です。これがいかように滅するのか考察してみる、自分なりの理解が深まってくるにしたがって正法にであうチャンスが広がってきます。
 
 
 
今年、2020年は大変な年になりそうだとは思っていましたが、ウイルスとは意外なところから来ました。
 
十二縁起の『行』は、無明⇒行  で、二番目の項目ですね。
私は『無明』とは四諦を知らないこと、具体的に言えば苦を知らないこと、だと思っています。
 
『苦を知らないこと』に縁りて起きるものが『行』=saṅkhāra というのですが、それでは、saṅkhāraをどう解釈したらいいのでしょうか。
 
私は、十二縁起は、本来の無量心の状態=涅槃の状態=無限の大海である状態 が、中心を形成していって苦の集積になってしまう過程を洞察したものだと思っています。
そうすると、『苦というものを知らない』ことによって、中心を形成しようとする能動的な働きが生まれる・・・その働きを『行』=saṅkhāra と言うのだと考えています。
 
これは中心が苦であると言うことを如実に知らなければ滅することができない流れです。
ゆえに、無明の滅によって、行の滅がある、、、と言うのだと思います。
 
もちろん、これは私が勝手に考えていることにしか過ぎませんが。
 
 
 
Satya (49.98.74.225)  
(誰にとっても)五蘊の「受・想・行・識」を自分に当てはめて考察してみると判りよいと思います。受が生じてどのように自分の内面(心行)が変調してゆくのかを観察する、何か錯覚してるところがあるのだろうかなどと自分をよく見つめてみることが役立ちます。また自分に「苦」が生じるのは何を知らないのだろうか等について日頃からマインフルであることも大切だと思います。