コメント欄

ターボー (126.35.203.25)  

ショーシャンクさんこんばんは。 私が30年も悟りを捨てられなかったのは、やはり2人を殺してしまったという罪悪感にあると思うのです。 そしてその当時の一体化していた自分と彼女を殺してしまったのは事実だと思います。 しかも自分がその罪悪感を持っているという事にさえ気づかなかった。 自分がそれほどの罪悪感を抱えているという事さえ気づかないまま、自分で自分を縛っていたのが現状だと思います。 玉木康四郎さんの仏道探求という本の中で、イエスキリストは最後の最後になって神に楯突いたという記述がありました。 私もその意見に同感でイエスキリストは、最後の場面で神に楯突いたのだと思います。 その動機は、私のように交際していた彼女を裏切れなかったというような私欲の動機ではなく、遠藤周作さんの「沈黙」にあるように私ような私欲(執着の愛)を捨てきれない弱い人間の為に抵抗してくれたのかもしれません。 私は今年の3月に、二個の重い(鉄アレイ)を粗大ゴミに出してから、物凄く心が楽になりました。 つまり地獄というのは、ここにあると思うのです。 地獄というのは、あの世の出来事ではなく、自分が抵抗した為に一体化していた前世の自分と彼女を殺して、その罪悪感に心の奥底(本源の自己)では気づいていたのに、表層の自己(自我)では気づいてなく、現象としてしっかりと罪を償わされました。 「全ての現象は思いが作る」この場合の思いとは自我の自己が気づいてない(雑念が多く集中力がないから、そこまで入っていけない為)心の奥底の思いが現象を作るのだと思います。
 
 
id:kougenn  
ただ「捨てよう」と思っていては、絶対に離れていかなくても、自分の中で、ある条件が揃えば、つきものが取れるように自然に剥がれていくものなんだと思う。 「無償の愛」とか「自己犠牲」とか美辞麗句に酔って、「愛」とか「犠牲」とかそういう胡散臭い言葉や、他人との関係性に答えを求めようすればするだけ、核心から遠くなってゆきます。 すべての答えは自己の中にあることに気がつかなければ、どんな境地にも行き着くことはありません。
 
 
ターボー (126.35.203.25)  
kougennさんのコメントを読んで、限界まで突っ込んだ投稿を書いたんですが、投稿出来ないです。 何故? この世界が消滅してしまうから?
 
 
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