親の子供に対する虐待事件が多いですね。
虐待は何故起こるのでしょうか。
根源的な問題としては、人間の欠如感があります。
すべての人間は多かれ少なかれ自己重要感の欠如の感覚を抱えています。
胎内にいた時は全能感、一体感は保たれていますが
生まれた瞬間からかすかな分離感が芽生えます。
それは成長する従って増大していきます。
誰かに馬鹿にされたり強制されたり束縛されたりする都度、限定感、欠如感は大きくなっていくのです。
人間は自分の中の欠如感が痛くてたまらず、絶えず全能感を取り戻そうとします。
子供が遊びで虫を殺したり小動物をいじめたりするとき、その対象の命、運命を自分が支配している感覚になり、つかの間、全能感を取り戻します。それは偽りの感覚ですが、他に欠如感を忘れさせてくれるものがなかった場合、そのことに依存していきます。
大人になっても、自己重要感の欠如をうまくコントロールできない場合、自分より弱いものに対するいじめをして、つかの間の全能感を取り戻そうとします。
欠如感の痛みを忘れさせてくれるものに人間は依存し執着していきます。
子供への虐待は、外の世界で自己重要感が満たされない者が、弱い家族のものを支配し力の感覚を得ようとするところから起きます。力の感覚は快楽になりますから、それを毎日繰り返してしまいます。
人間は、自らの自己重要感の欠如の痛みを一瞬でも忘れさせてくれるものに依存していきます。
しかし、依存すること自体、自らの主体の感覚を失わせるものですから、ますます欠如感、無力感が強まっていくばかりです。
ネット依存症もそうです。ネット弁慶と言われる人たちがいます。リアルの社会ではおとなしく生きているのに、ネットとなると急に上から目線で偉そうにしたり、罵詈雑言を浴びせたりする人です。ネットで中傷していた人が逮捕されたら、ほとんどが、普段は非常におとなしいサラリーマンか主婦だったということです。それは、普段、言いたいことも言えなくて抑圧された感覚を持っている人がネットで発散して、つかの間の力の感覚を取り戻そうとした結果です。ネットには非常に多い現象です。
暴力、虐待、いじめ、誹謗中傷による偽りの力の感覚の方向に行かないためには、意識して無量の方向性へと向かう必要があります。そして、もし、そういう偽りの力の感覚に依存している人が周囲にいたら、一目散にその人からは離れるべきです。それが親であれば難しい問題になりますが、誰か気がついた人が離れさせるようにしてあげるべきです。