十牛図について

禅の門外漢である私が十牛図について語っても意味はないとは思いますが、禅の伝統的な見方と違った解釈をしてみます。

 

十牛図

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  1. 尋牛
  2. 見跡
  3. 見牛
  4. 得牛
  5. 牧牛
  6. 騎牛帰家
  7. 忘牛存人
  8. 人牛倶忘
  9. 返本還源
  10. 入鄽垂手

 

十牛図は、牛飼いの童子が逃げた牛を捕まえにいく物語です。

牛飼いの童子とは求道者を指します。

牛とは、禅で言う本来の面目、諸仏の真源、森羅万象の本源、臨済の言う一無位の真人のことです。

 

第一尋牛から第七忘牛存人までは、童子が描かれています。

しかし、第八人牛倶忘・第九返本還源・第十入鄽垂手には童子は描かれていません。

私は、童子つまり求道者の修行段階を示したのは第七までで、

第八人牛倶忘・第九返本還源・第十入鄽垂手は、その三枚で真理そのものを表したものと考えています。

 

第八人牛倶忘 は 真空   です。

第九返本還源 は、真空妙有 です。

第十入鄽垂手 は、真空妙用 です。

 

第八人牛倶忘 は 本来の面目の  です。

第九返本還源 は、本来の面目の  です。

第十入鄽垂手 は、本来の面目の  です。

 

ですから、第八・第九・第十の三枚の図は、修行段階ではなく

真理そのもの本体と相と働きを描いたもので

三枚は同時であると私は解釈しています。

 

さらにその奥の解釈を

ブログ『今まで絶対に書けなかったこと』に書いています。

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