仏教についてのひとりごと 123

<<無常と常住の対立和合したところの常。(断常中道)苦と楽の対立を和合したところの楽。(苦楽中道)我と無我の対立を和合したところの我。(有無中道)浄と不浄の対立を和合したところの浄。(浄穢中道)>>

仏陀はこう言っています。
『現れている以上、無とは言えない。
滅するものである以上、有とは言えない。』

非常にわかりやすいですね。

仏陀の言う『空』とは、『生じたものは必ず滅する。泡のようなものだ。』という意味で
誰が聞いても真実だと理解できるものです。

決して、『空とは有と無の二元対立を超越したもの』などという観念論ではないのです。

 

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卑弥呼さん、ありがとうございます。

この和弘という人は、他人のスレッドに自説を連続投稿するだけで
こちらの質問には正面から答えないので困っています。

せめて、ちゃんと質問や指摘には答える常識があれば対話が成り立つのですが
他人のスレも自説を披露する場としか考えていないのでしょう。
その自己中心性は、自ら主張している無我とは正反対なのに気がついていないようです。

 

 

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<<自分の思い通りにはならないのが苦諦でしょう。苦諦を覚っていただきたい。>>

ということは、あなたは他人に苦を与えると認識してわざと苦を与えているということですね。
無差別の殺傷犯と変わりないですね。
その自分の心の中のドロドロしたものを洞察していかないとあなたは悪い方向に行っていると思いますよ。


<<戦う只中に真理があります。戦いながら調和するものでしょう。>>

だんだん、言っていることが危ない人のようになってきていますね。
仏教の基本、仏陀の基本は「戦うな」ですけどね。
あなたの思想は危ないですよ。

 

 

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<<「平和」だけを取捨することを偏見といいまして、偏りは逆に危険なのです。>>

 

全くの間違いですね。
あなたは観念論の迷路に入り込んでいて、自らの心がドロドロになってしかもズタズタに引き裂かれていますね。

スッタニパータ
275 もしもかれが荒々しいことばを語り、他人を苦しめ悩ますことを好み、獣のごとくであるならば、その人の生活はさらに悪いものとなり、自分の塵汚れを増す。

276 争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行者は、ブッダの説きたもうた理法を、説明されても理解しない。

277 かれは無明に誘われて、修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし、煩悩が地獄に赴く道であることを知らない。

 

 

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あなたは、自分のドグマを他人のスレで披露したいという自己中心的な欲望に駆られているだけなので、自分が答えられないもの、都合の悪いものはすべて無視するのです。
自分が答えられる箇所、得意な箇所だけには勢い込んで返答するのです。

これは求道の基本的な精神ではないということです。

あなたが答えられないのは、ただ仏教学者の解説書の中から自分が気に入ったことを切り貼りして自説にしているだけだからです。
ブッダがどう言ったのか、は調べようともしないし、典拠もあやふやなものばかりです。

本当に仏陀の教えに触れたいのであれば、仏陀の言葉の理解からです。
それなしに、釈尊の精神を直接体験するなどというのは、オウムのような怪しげな者たちがいう危ない考えです。

 

 

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<<「自他不二とはこういうことだ!」と言ってのけた方がいた。>>
<<人間の分別で自他不二という、対立する者の和合ができるわけはないのである。
それができると思うのは妄想である。その方の言ってのけたことも妄想である。>>

 

いや。卑弥呼さんの言われたことは正しいですよ。
あなたが本当に自他不二の境地にいるのであれば、他人が迷惑がっていること、他人が苦痛と思っていることはわざわざできない、ということを言われているのです。

あなたが、いくら、自分は釈尊の無我を直接経験した、自他不二になったと言ったところで
あなたが自分の止められない承認欲求・我執から投稿し続けていることがみんなからは見え見えなのです。
裸の王様は恥ずかしいので、そろそろやめて、私のように自分のスレッドだけに細々と書き込めばいいのではないですか。

 

 

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<<仏陀を真剣に考え抜いていけば人間の思惟の限界にいたり>>

今までの仏教学者の仏陀解説書を読んだだけで「直接経験」した気になっているのがあなたですから
仏陀を真剣に考え抜いたことなどないでしょうね。

あなたは、「仏陀を考え抜いたふりをすること」はやめたほうがいい。
あなたが行なっているのは、いろいろな遍歴の末に龍樹の解説書を読んで感激し
龍樹の思想を基に、原始仏典から「二元対立を超越するような文言」を目を皿にして探し求め
無理矢理、「仏陀の言っていることと龍樹の言っていることは同じ、不二中道だ」と結論付けたことだけです。

それは何ら「歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったか」という探求ではなく
最初から龍樹の哲学という結論があって、その観念を強めるためだけにスッタニパータなどの古層の仏典を読んだに過ぎません。

それをあなたは『釈尊の直接経験』と言っているのです。

あなたには最初から結論があるので、対話して修正することもしたくないのです。

 

 

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<<サーンキヤ派・ヴァイシェシカ派・順世派・ジャイナ教などあらゆる外道すなわち仏教以外の教えがひとしく仏への道となり得ることを説いている。これらはいずれも大乗仏教の起こったころインドで行われていた教派である。空の肯定の意味を徹底的に考えれば、そうならざるを得ないであろう。>>

 

それは素晴らしいことですよ。
それでは、バラモン教もそれが発展したヒンドゥー教も、仏の道と、あなたは考えているのですね?
あなたはいつも、バラモン教ヒンドゥー教を外道と貶していたのですが、そうではなく、ヒンドゥー教も解脱の道になり得るということですね?

 

 

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<<間違ったことを放って置いたら、私のようなおバカさんは、何でも本気にするし、間違った解釈が身について仕舞います。ソレを未然に食い止めようとする人が居ても良いじゃあありませんか。>>

その通りです。
もし、誰かの書いていることが間違いだと思っていて、その間違いの指摘をするのはいいと思いますよ。
和弘という人は、このスレに『スッタニパータ』や『大乗涅槃経』の自分の解釈を書いてきました。
それに対し、私は『スッタニパータ』や『大乗涅槃経』の典拠を示して、和弘氏の解釈の間違いをひとつひとつ指摘していきました。
もし、私のその指摘が間違いと思うのであれば、それに対し、ちゃんと典拠を示してその間違いを指摘してくれれば、どちらが正しいか間違いかが、このスレを読む人にもはっきりしますので
それは私も望むところです。
しかし、和弘という人は、私の指摘に対して一度も答えてくれませんし、その指摘と関係のない自説をまた貼り続けるだけなのです。
私は、原典を探求してますので、和弘という人の主張の間違いの点がよくわかりますし、それを何十となく指摘し続けていますが、それについての意見は一切してきません。
それでは対話は成り立ちませんし、あなたのいうようにどちらが間違った解釈なのかがわかりません。
他人のスレッドに自分の主張を大量に貼り続けるのであれば、私から原典を示しての間違いの指摘があった場合は真摯に説明するべきでしょう。
それを全くしないで、ただ自説を張り続けるのでは迷惑投稿以外ではなくなります。

 

 

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<<和さんばかりでなく、私までショーシャンク様には不愉快な思いをお掛けし、申し訳ありません。>>
<<「何が言いたくて何を訴えているのかな?」と言う姿勢で臨んで頂けたら少しは問題解決の方向へと向かうのではないかと思います。>>
<<また、分らないこと等ありましたらお教え頂きたく、ココを訪れるかも知れませんが、よろしくお願い致します。>>

 

和弘氏が勉強熱心で読書家であることは誰もが認めていると思います。大乗仏教に詳しいですので、ぜひあなたも和弘氏のスレッドで勉強されたらいいのではないかと思います。

私がこのスレッドを立てたのは、『歴史上の仏陀は本当は何を言いたかったのか』を探求するためです。
それには、いったん今までの仏教理解をすべて白紙にして、仏陀の肉声に近いものを読んでいくことから始めようと思ったのです。
仏教の全否定から入りましたので、仏教をあまり知らない人にはこのスレは全く役に立たないと思います。
今まで、仏教を深く探求してきて、どうしても今までの仏教では自分が変わらない、仏陀は本当は何を言ったのだろうかというところまで行った人のためと考えてください。
ですから、仏教をあまり知らない人には、他の大乗仏教に詳しい人に聞かれることをお薦めしています。

そして、仏教の全否定から白紙の状態で仏陀の肉声を聞こうとしたのはよかったと思います。
わたしなりに納得がいきましたし、あとは自費出版を書いて残せば私の人生は自己満足で終われるのです。
ですから、このスレもすでに必要ではありません。
気の向いたときに気の向いたことを書くようにしたいと思っています。
ヤフー掲示板は悪意のあるアラシには非常に脆弱で防御できません。ですから、数多くの優良なスレッドが閉鎖していきました。
やはりTwitterやブログに行った方がいいかもしれないとは考えています。
その前に自費出版を何としても残したいとは思っていますが。
読んでくれる人が生前は一人もいなくても私の死後にたまたま読んだ人が少しでもプラスになれば生きてきた甲斐があるというもので完全な自己満足です。

もし、あなたが和弘氏に恩義を感じておられるのであれば、和弘氏のスレッドに頻繁に投稿して盛り上げてあげるのが最もいいと思います。
親切に教えてくれるはずです。

 

 

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pipitさん、こんにちは。
ありがとうございます。

<<【忍耐・堪忍は最上の苦行である。ニルヴァーナは最高のものであると、もろもろのブッダは説きたまう。他人を害する人は出家者ではない。他人を悩ます人は〈道の人〉ではない。】>>

その通りですね。

今月、オウム真理教事件の死刑囚が全員刑を執行されましたね。
哲学や宗教などの精神世界に関心のある人なら避けて通れないテーマかもしれませんので
いろいろ考えることがありました。
日本のトップともいえるくらい頭のいい人たちがなぜ大量殺人までしてしまったのか、です。
あの頃、日本の偏差値トップの東大医学部にも1学年に必ず1人以上はオウム真理教の信者がいたと言います。

彼らはのめり込むまでに引き返すことができなかったのか、あるいはどうすれば引き返すことができたのか、をいま考えている最中です。

一つ確実に言えることは、口で言うことと実際に行なっていることが違う人は、それが分かった時点で絶対に信用してはいけない、ということです。
麻原は信者には愛欲を断て、と強要していながら、自分は100人もの愛人がいたと言います。
もちろん、理屈は何とでもつけられるのです。少し精神世界をかじった人なら、他の学問と違いファジーな世界ですから、悟った人は煩悩があるように見えてもそれに捉われていないからいいのだ、とか、わざわざ慈愛のために自分のエネルギーを分け与えるとか、馬鹿みたいな理屈はいくらでもつけられます。
しかし、根本の根本、自分が実践してないものを他人に言う人間は信用してはいけないということだけは最低限、そうですね。

それだけでも心に留めておけば、あのように優秀な人たちが大量殺人などにまで至る前に引き返せたのではないかと思います。

口ではいくらでも綺麗ごとは言えますが、『他人を害する人は出家者ではない。他人を悩ます人は〈道の人〉ではない。』と仏陀が言われたように、
いくら口先で慈悲だとか慈愛だとか言っても、他人を害したり殺したりするものは到底、道の人ではないということでしょうね。
私も深く肝に銘じなければいけない言葉です。

 

 

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卑弥呼さん、ありがとうございます。

<<和弘さんの考えをショーシャンクさんのトピに書き連ねるのは仏心というよりも悪行になるかもしれません。阿修羅だとか戦いだとか遊びとか言ってますが、和弘さんはこの世で悪行を積んでいるのだとしたら、遊びでは済まされませんね。>>

この卑弥呼さんの投稿に対して、和弘という人はこう言っています。
『『法華経』は絶対肯定の世界ですね。しかし、人々をその絶対肯定の「一乗の菩薩道」に導く厳しさもある。導く方向性が違うとしても、SANさんがしている広宣流布ですよ。
開示悟入。私もそんなことで、悪行三昧と言われています。』

徐々に和弘という人の本音が出てきましたね。
自分の行為は【開示悟入】だそうです。
これには本当に驚きました。
私には、自分の行為を開示悟入などとは絶対に言えないですし言えるわけがないです。

【開示悟入】とは、法華経に出てくる【諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得しめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。】という経文のことです。

釈尊などの仏が、この世に出現する本懐、一大目的のことです。

衆生に、仏知見を開かしめ、示し、悟らしめ、入らしめん、というのは仏にしかできず
釈尊の出世の本懐であるのですが、和弘という人は、自分が掲示板に自説を大量投稿するのは、仏の本懐である開示悟入だと言っているのです。

だんだん、和弘という人の本音が出てきました。
自分を仏と同じ悟りに達していると思い込んでいるようです。
そう考えると、投稿の間違いの指摘にも全く答えない理由が分かりました。
この掲示板で歴史上の仏陀は本当には何を言ったのかを探求しようという気はなく
ただ、「仏と同じ悟りを得ている自分」の高説を大量に貼り続けることで
自分以外の迷いの衆生を仏知見に【開示悟入】させようとしているのだ、ということです。

最初から、教えてやる、救ってやる、悟らしてやるという立場で臨んでいますから、対話が成り立つはずもなく、自説の間違いをいくら指摘されても全く無視するはずです。

これが、和弘という人の本音でした。

 

 

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あなたの投稿を見ると、いろいろな意味で危うさを感じます。
まずは、自分の勤務先名などの個人情報は書かない方がいいですよ。
あなたは、他人が自分の個人情報を云々すると言いますが、すべて自分のことを語りたいというあなたの欲望、衝動から積極的に自らのことをアピールしている結果です。
あなたが自分語りをしてきたために、古くからいる人はみんなあなたの個人情報を知っているのです。
あなたが語らなければ知りようがありません。

契約更新になったことは祝したいですが、そのやりとりを見ても、ちょっと危うさを感じます。
あなたは日常生活でかなりクレーマーに近いことをしてませんか?
自分が接客を一生懸命している自負が人一倍あるので、それをしていない人を許せないのではないですか?

クレームをつけたい自分、説教をしたくてたまらない自分、自分語りしたくてたまらない自分、を一度きちんと洞察した方がいいですよ。

それがどこから来るか、です。

 

 

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ちょっと、どんどん酷くなっているので一言。

大乗仏教にしても唯識論にしても九識論にしてもこんなに間違いだらけを並べ立てるのはいい加減やめたほうがいい。
対話もせずに自分のドグマを一方的に披露するだけなら自分のスレでしてください。
それが大人というものです。

<<識は毒ですが、その毒を〈自性清浄心〉という薬に変えることができるというのが、如来蔵思想、すなわち〈仏性〉です。>>
阿頼耶識でさえ、『毒』ではないですよ。真妄どちらの種子も蒔かれますから阿頼耶識自体は善悪どちらにも属しません。
ですから、阿頼耶識も『毒』ではなく、ましてや阿摩羅識は清浄識です。

<<阿頼耶識が大円鏡智という仏智に変わるように、九識(阿摩羅識)も修行によって智慧に変えこそ仏智でしょう。>>
<<「九識は唱題という行によって仏性に変わる」のではないのでしょうか。>>

これも全く違います。
九識こそ仏性です。仏の基体です。
九識が唱題という行によって仏性に変わるのではなく、仏性である九識が唱題によって呼び覚まされるのです。隠れていた本質が輝いてくるというのが九識論です。

<<九識という毒を、仏の行のよって薬に変える>>

よく、ここまで唯識論、九識論についてデタラメが書けますね。
デタラメは自分のスレッドにだけ書いてくださいね。
<<九識という毒>>、よくそんなことが書けますね。
これはさすがにどんな馬鹿な仏教学者でも言わないでしょうね。
あなたの勝手なドグマです。

 

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