仏教についてのひとりごと 120

Yahoo掲示板は、株式版以降、どんな投稿に対しても真摯に返信することを心掛けてきましたが
それに縛られていると時間がいくらあっても足りなくなり
そもそものライフワークが遅々として進まないことになってしまいました。
真摯でない迷惑投稿に対しても返信するという自分の中の縛りをなくしてしまったら
とても楽になって、時間も非常に有効に使えるようになりましたので
これからも投稿は時間がない時、相手が真摯でないと判断したときには返信はできないかもしれませんのでご了承ください。
知識があってもなくても本当に道を求めて探求する意志がある人なら歓迎しますが
知識もなく向上心もなくただ自分の考えと違うので攻撃したいという人との関わりは時間の無駄に終わってしまいます。

さて、あなたの投稿に関しては、前にあなたは一方的にスッタニパータのあなたの解釈を並べ立てて『ショーシャンクさんの解釈、認識が違っている。』とまで言ってきたのですが、
私がそのひとつひとつにつきあなたの解釈が間違っていることをすべて指摘しました。
それに対して、あなたから何の回答もありませんでした。
『大乗涅槃経』に関してもそうでした。
あなたは、一方的に私に対して論戦を仕掛けてくるのですが、私があなたの間違いを典拠を示して指摘するとそれに対して答えないのです。
答えられなくなると、スルーしてしまい、やっと間違いを認めて投稿しなくなるだろうと喜んでいたら
しらっと全く別のことで自説を展開していく、というあなたのその姿勢、精神に失望しているのです。

毎回、他人のスレッドに喧嘩腰で投稿してきますが、それであれば、こちらの指摘に逃げずにちゃんと正面から答えていくことはできますか?

あなたの過去投稿を今見てみましたが、どうもあなたは、会話のキャッチボールができないのではないかと思える節があります。
ひょっとすると、日常生活でも、会話や対話がスムースにいかないタイプではないですか?

 

~~~~~~

 

<<「お釈迦さま」とは「釈迦族さま」となってよろしくない。仏教徒ならば、釈迦族の尊者「釈尊」でというべきはなかろうか。>>

前にしまとりさんに対して、私は『こだわりはありませんが、属性を離れた仏陀に対して、釈迦も釈尊釈迦族という属性の呼び方は違和感があるので、私は仏陀と言うことが多いです』と答えています。
釈尊釈迦族の尊者ということですから属性で呼ぶことには変わりなく、仏陀というのが最も適切でしょうね。それほどこだわりませんが。


<<仏教徒ならば、釈迦族の尊者「釈尊」でというべきはなかろうか。>>

あなたは自分の過去投稿で『わたしは仏教徒ではありません』と言ってますね。
そういいながら仏教徒はこうあらねばならぬというのはどうなのですか?
整合性がないですね。


<<その「お釈迦さま」大好きのショーシャンクさんが、「龍樹の空仮中など仏教ではない」
「無我も仏教ではない」と仰せだが、仏教の旗印とは何か?>>

あなたのその独特な嫌味な言い方が本当に慈悲から来ていると思っていますか?
誰かが私を褒めた時に、あなたは不快になるはずです。その不快感が嫌らしい言い方をさせるのです。
あなたは、その心の動きを如実に見なければ、いくら龍樹の観念を強めたところで何にもなりませんよ。ただ、ドロドロした自我がより強まっているだけです。

 

 

~~~~~~

 

 

<<「龍樹の空仮中など仏教ではない」「無我も仏教ではない」と仰せだが>>

私が言っているのはこうです。
仏教は仏陀の真意を伝えていない。仏陀の真意からかけ離れている。
歴史上の堆積物で埋もれている。
仏陀が言ったのは諸法無我ではなくて、諸法非我である。
『無常』『苦』『無我』が仏教の根幹だと言われてきたが
仏陀が繰り返し言ったのは
『無常であり苦であるものを、われ、わがもの、わが本体と言っていいであろうか』です。
この言葉は原始仏典に繰り返し数多く出てきます。
この言葉が根幹です。

<<「縁起であるところのものを、すべてわれわれは空と説く」(中論)。>>

縁起だから空、などとは仏陀は一言も言っていません。
縁起だから空、縁起だから実体がない、と言ったのは龍樹です。
仏陀が言ったのであれば、どこで言ってるか示してくださいと私は何度もあなたに言いましたが
今に至るまで答えがありません。
答えられないのに、あなたはまた同じ主張をするのです。

日本仏教は龍樹が基になっています。八宗の祖ですから。
あなたが龍樹を信じるのはいいことです。
龍樹を信じることで救われるのであれば大いに信じてください。
私は、龍樹が正しいとか間違っていると言っているわけではないのです。
歴史上の仏陀の言ったこととは全く違うということを言っているだけです。
仏陀が正しくて龍樹が間違いと言うことを言っているわけではありません。
歴史上の仏陀は本当は何を言ったかが探求テーマですから
縁起だから空、とか、縁起だから中道、などとは仏陀は言っていないということだけです。
仏陀の言った中道とは八正道のことです。

 

~~~~~

 

<<戒・定・慧の三学は仏教の旗印(たてまえ)であり「修道方法」である。
「戒より始めよ」であり、戒は三学にはなくてはならないものである。>>

あなたの主張は支離滅裂なのです。
あなたは親鸞をよく肯定的に引用しますね。
法然親鸞も『末法無戒』、つまり末法においては戒律は意味をなさない、という考えが基本です。
そして、親鸞は肉食妻帯しましたね。
親鸞を尊敬するのであれば『戒律なんて無意味』という前提に立たなければいけません。
また、阿弥陀仏を信じればどのような破戒も許されるということです。
法然はここにおいて改革者だったのです。
あなたはどういう立場なのですか?戒律を少しは意味あると思ってますか、無意味と思ってますか?
<<戒を前提とした「凡夫の自覚」であり、旗印の戒を蔑ろのしていないのである。>>というのであれば、法然親鸞は受け入れられないはずです。
あなたの論理はぐちゃぐちゃなのです。

あと、どうでもいいことですが、『戒より始めよ』はジョークですよね?この質問を見てすぐウィキペディアを見そうですが、さすがにジョークと言ってほしいですね(笑)

 

~~~~~

 

私も別に、ゴータマ・シッダッタとわかればいいと思ってますよ。

ただ『仏教徒釈尊と呼ぶべきだ』という人がいて困るのですが。

仏陀自身は、『目覚めた人=仏陀』と呼ぶべきとは言ったような気がしますが
釈迦族の尊者』と呼べとは絶対言わなかったですね。
釈迦族』を出すこと自体、仏陀の本質が分かってないと思います。

 

~~~~~~

 

<<若い頃、絵画において、自分の深層を探っていて、ドロドロしたものに堪えられなくなり逃げた。
そして、ドロドロした自分を覆い隠すように、50号のカンバスを青一色に塗りつぶし、ただ、同系色の球体を五つ描いた。その絵は装飾品となり居間の壁にかけてある。>>

 

これ読んでぞっとしました。そして心配になっています。
自分が描く絵は、自分の心象風景です。
高校のとき、美術の授業で、とても絵の上手な同級生がいました。
その絵は上手ではあったのですが、とんでもなく暗かったのです。
なぜそんな暗い絵を描くのか不思議でした。
その同級生は10年後に自殺しました。
実生活で同じような事例をもう1件知っています。
自分が描く絵はその人の心象風景だと私はそういう体験から思っています。
ネットで知る情報でも、その人の精神状態とその人の描く絵は密接に関連していることがわかります。

口で言う言葉や、文章などはいくらでも綺麗ごとは言えるのですが
描く絵や共鳴する音楽などは、かなり正確にその人の精神を表わすと思っています。

私が見る限りでは、あなたはちょっと危うい感じがします。
自分のドロドロした自我を見ることなくして、ただ龍樹の観念論で
『自我を粉骨解体する』と言って、敵対視しているからです。
何もわからずやみくもに自我を否定していけば、その自我は悲鳴を上げて自己主張し出します。
あなたにとって、龍樹の哲学が本当に為になるのか非常に疑問です。

 

~~~~~~

 

赤い実さん、こんばんは。

前にも、たしかaokさんでしたかの投稿にそういうことが書いてあり、レスしました。
私は、仏教徒が他の宗教を外道というのには反対で、それこそ、仏教が仏陀の真意からかけ離れた原因の一つだと思っています。
バラモン教仏陀の関係は、ユダヤ教とキリストの関係と似ています。
仏陀バラモン教を否定しておらず、キリストはユダヤ教を否定していません。
というより、ほとんどその影響下にあります。

仏教なら仏教という一つの派閥を作ってしまうとそれは人間の精神にとって牢獄となります。
これが世界中に宗教戦争を引き起こしている原因です。

私は、仏陀を人類の教師の一人と思っており、仏教の開祖として崇めているわけではありません。
キリストも人類の教師の一人です。

ですから、このカテのどの人とも立場が違います。

私が今まで宗祖などを否定していたのは、歴史上の仏陀の教えと違うということを知ってほしかったからです。
いまは、仏陀の真意がわかってきたので、仏教の全否定から仏教の全肯定に進みつつあります。
親鸞の教えも仏陀とは違うものですが、その教えで救われるのであればどんどん信じればいいと思います。
どの教えも筏にしか過ぎませんから。

無限の大海に達するのであればどの筏も正解です。
大海に達する前に、排他主義は消え失せなければならないでしょうね。

 

~~~~~~

 

和弘氏の経歴については全く知らないのですが、奥さんとは再婚ですか?何となくそう思ったのですが。

私のスレは、和弘氏以外にもmultitude氏やmic氏の訪問を受けましたが
multitude氏やmic氏には、闇の部分やドロドロしたところをあまり感じないのですが
和弘氏には少し感じることがあります。
そう感じていた時に絵の投稿が出て、少し心配になってきました。

 

~~~~~

 

 

わかりました。ありがとうございます。

和弘氏は、このスレに投稿していながら私に対しては返信してきません。
負ける論争は逃げる人なのでしょう。
こういうところが、自分の中のドロドロした自我を固く守っていると感じられるところです。
本人はそれに気が付いていないのです。

自我を見ることなしに、『粉骨解体』なんて敵視するものだから
和弘氏の中のドロドロした自我が悲鳴を上げて存在を主張しているのです。
このまま進むとどんどん自我が膨張していくと思います。

今日もあそこまで私を名指ししてきたのですから、正面から対話するべきだと思いますけどね。

やはり再婚でしたか。新しい奥さんは10歳くらい年下ではないですか。
あとは本人に聞ければ聞いてみます。
ありがとうございます。

 

~~~~~~