仏教についてのひとりごと 114

<<ヒンズー教には、ヒンズー教の特色という個性がある。キリスト教には、キリスト教の特色という個性がある。イスラム教には、イスラム教の特色という個性がある。それぞれの個性を尊重しながら、互いに習い合わせ、自らを深めて行く。>>

 

あなたは『自分は仏教徒ではない』とも言ってますね。
しかし、私には、あなたは、龍樹教、龍樹哲学、龍樹仏教に凝り固まっているように見えます。すべての実体をかたくなに否定することが仏教だと思っているようです。
宇宙の根源にも実体はなく、神という実体もない、と。
すべてに何の実体もない空論に執しています。

これは龍樹教にしか通用しない説です。仏陀の説いたことでもありません。
キリスト教の信者に、『あなたの信じる神には実体がない』と言ってみたらいいでしょう。
中東に行ってイスラム教徒に『あなたの信じる神には実体がない』と言ってみてください。
たぶん、あなたは生きて帰れないでしょう。

仏陀もそのようなことは言っていません。
宇宙の根源や自己の根源に実体があるかどうかは無記(答えない)と言ったのです。
『無常であり苦であるものはわれ、わがもの、わが本体としていいであろうか。』というのが仏陀の言説です。
『一切の形成されたものは無常である。一切の形成されたものは苦である。』と言いました。
これからわかることは、形成されたものは無常、苦、非我ということです。
形成されないもの=ニルヴァーナ を実体がないとは一言も言っていません。

仏陀の死後はるか後世に出てきた龍樹が作り上げた哲学にしか過ぎません。
仏陀の真意とは相容れません。

あなたが龍樹教の空論に固執している限り、ヒンズー教はもとより、キリスト教イスラム教も全否定せざるを得ないのですよ。
神道も、神に実体がないなどという冒涜は畏れ多くて、とんでもないことをいうやつだと見なされます。

仏陀はそのような形而上のものはあくまでも無記(言わない)としたのです。

 

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玉城康四郎(仏教学者・東京大学名誉教授)に
『ジッドゥ・クリシュナムルティの根本問題』という論文がありましたので引用します。
この論文では、『ザ・プロセス』『自分の話を聞いて目覚めたものが誰もいないと言ったこと』『死に対面したときの実際の態度』の3つについて論じています。

この中で私が注目したいのは、クリシュナムルティが自ら、『自分の話を聞いて変化したものは一人もいない』と言ったことです。
クリシュナムルティは真理に至るどのような方法をもすべて否定しました。
真理に至る道も方法も筏もない、としたのです。
確かに非常に惹かれるものではありますが、激流を見てしまうと、筏がなくて本当に渡れるのという気がしていたので、玉城博士の指摘は納得できるものでした。
この中でクリシュナというのはクリシュナムルティのことです。

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クリシュナは次のように述べている。
それは一九七〇年、七月十六日から八月九日まで、スイスのザーネンで七つの講話が催されたなかで、第三回の講話のあとで、メアリー・ジンバリストMary zimbst 夫人とドライブしながら語ったものである。
夫人は、ニューヨーク財界の娘で、映画プロデューサーの夫と結婚し、未亡人となってからは誰よりも親しくクリシュナに寄りそっていた人である。

「他の場所よりは多く語ったインドでさえ、自分の話しを聞いて"変化した"changer ものは一人もいない。みんなは私を十分に活用していない。みんなは十分に真剣になっていない」

七十五歳にもなったクリシュナの発言としては驚くべきことである。
目覚めたものが一人もいないというのである。
もとよりクリシュナの指摘しているのは、真剣になるのはクリシュナにではなく、自己自身にである。
しかしかれは、それぞれの業熟体に真剣になれとは教えていない。
ただかれは、ありのままを経験し、経験したとおりに観察せよと強調するのみである。
解脱がそのように甘いものでないことは、かれ自身の人生経験が示しているとおりであろう。
なぜかれはそこに注目しなかったのか。これはひとごとではない。
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『ジッドゥ・クリシュナムルティの根本問題』(玉城康四郎)から【死について】(1)

第二の問題は「死」である。
死は、人間にとって最後の、そして最大の関心事である。
クリシュナがしばしばこれを問題にし、人々がこれについてかれにただしたことはいうまで
もない。
これらのなかには、自説を展開したものもあり、問いに答えたものもあり、またその説き方はさまざまであるが、結局は同じ視点である。
それは次の発言に要約されているといえよう。

「日々に死ぬこと、あらゆることに各分に死ぬこと、多くの昨日に死ぬこと、そして今過ぎたばかりの瞬間に死ぬこと、それがいかに必要なことか。死なしにはいかなる更新もなく、死なしにはいかなる創造もない」

これが、死を恐怖している人の問いに対するクリシュナの答えの帰着する所である。
死を恐れるということは、観察する主体と観察される死とが分裂しているためである。
そのような死の恐怖は単なる観念でしかない。
すべての観念が消滅するとき、すなわち真に死するとき、真の生が蘇ってくる。
それが更新であり、創造である。
観察者と観察される対象とが一体となっている世界である。
このようなクリシュナの立場は、道元の次のような一節を想い起させるであろう。

「諸仏の大道、その究尽するところ、透脱なり、現成なり。その透脱といふは、あるいは生も生を透脱し、死も死を透脱するなり。このゆえに、出生死あり、入生死あり、ともに究尽の大道なり。捨生死あり、度生死あり、ともに究尽の大道なり。現成これ生なり、生これ現成なり。その現成のとき、生の全現成にあらずといふことなし、死の全現成にあらずといふことなし。この機関、よく生ならしめ、よく死ならしむ」

生を透脱してみれば、そのままが死も透脱しているのであり、死を透脱すれば同時に生も透脱している。
そしてそのままが、生死に出入すること自由自存である。
これこそ究尽の大道といわれる。
いいかえれば、生を全体的に実現することがすなわち死もまた全体的に実現することである。
道元をこのように見てくると、瞬間々々に死ぬことが、真に生きることであり、真の創造であるというクリシュナの見解と、質的にはまったく同一であるといわねばならない。

 

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『ジッドゥ・クリシュナムルティの根本問題』(玉城康四郎)から【死について】(2)

しかも注目すべきことは、クリシュナも道元も、このような生死一体の世界を、われわれ自身の超格的思惟において十分に頷くことができるという点である。
超格的思惟とは、全人格的思惟に形なきいのちが顕わになり、滲透し、通徹し、それによって単に人格体を超えているだけではなく、あらゆる格、あらゆるアスペクトを超えて営まれている所の思惟である。
そこでは、生死にかかわる一切の諸観念は絶滅し果てている。
クリシュナも道元も、このような超格的思惟において強烈な力を発揮していることを思えば右に挙げた如き見解の生ずることはきわめて当然であるといわねばならない。

しかしながら、その立場は業熟体の日常においてもまた自然に生まれているのであろうか。
クリシュナにおいてはいかがであろうか。
これこそがクリシュナの死に関する根本の問題である。

三つの例を挙げてみよう。

一九七一年の五月に、クリシュナはメアリージンバリストと一諸にオランダへ来て、アムステルダムで四回の講話を行なった後、五月の末に、イギリスのブロックウッドbrockWood、すなわちクリシュナルムティ財団の本部に帰り、六月末まで滞在した。
その間にひどい病気になった。
おそらく枯草熱hayfeveが悪化して気管支炎をおこしたらしい。
七十六歳になっている。
かれはメアリーに訴えている。

「もし戸外に出たら、死んでしまうかも知れない。生と死との間の壁が大変薄くなっている。死はいつも私とともにいたが、突然それがここにやってくるかも分らない。しかし今日ではない。どうか病気によって混乱させられないように。病気だけが私を混乱させる」

 

 

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『ジッドゥ・クリシュナムルティの根本問題』(玉城康四郎)から【死について】(3)

さらに一九七三年の四月末に、クリシュナとメアリーはニューヨークを経てパリに飛んだ。
そこでクリシュナは、サバ・ドゥ・マンチアリSach de Manziar が入院して危険な状態にあることを聞いた。
実はマンチァリ一家とは六十年来の友人である。
クリシュナが二十四歳、サバが二十歳、パリで互いに親しくなつて以来である。
そしてその姉妹たちもクリシュナに傾倒していた。
妹のマルセルMarle がクリシユナを病院につれてサバを見舞った。
クリシュナはひとりで病室に入ってサバに会い、ひどく心を動かされて出てきた。
後にかれはメアリーにつぶやいている。

「けっして私を病院では死なせてくれるな。家で静かに息を引きとりたい」
サバはその二日後に亡くなっている。

もう一つの例は、一九七七年の五月、ロスアンゼルスで手術を受けねばならなくなった時である。
クリシュナは八十二歳になっている。
その手術の前に、かれはメアリーに警告している。

「どうぞ見守っていてくれ。見放さないようにしてくれ。それによって自分自身が見守られていることを想いおこしたい。さもなければ、五十二年後に私は、もう沢山だと思うかも知れない。私はつねに、生と死との非常に微妙な限界を生きてきたのだ」

 

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『ジッドゥ・クリシュナムルティの根本問題』(玉城康四郎)から【死について】(4)

以上、三つの例を挙げてみたのである。
七十六歳、七十八歳、八十二歳の時である。
クリシュナ晩年の円熟した年齢である。
しかも死について人に説法しているのではなく、みずから死に面して発言したものである。
これら三つの例を見ると、クリシュナが平生ひとに説いていた死の見解とはひどく違っていることが感じられる。
いずれの例も、死にこだわっていることが確かである。
しかもそのこだわり方が常人の場合と同質であるといわねばならない。

第二の例は、六十年来の親友が瀕死の病床にあるのを見舞ったあとの発言としては、ほとんど常人とは変らない世俗の雰囲気を覚える。

ことに第三の例は、危険な手術の前だけに死への執着がひどい。
そのこだわり方は常人よりはさらに微妙である。

このようにみずから死に直面して思わず発言されているのを考察してみると、意識的に述べている死の見解とは違ったものが、いいかえれば、常人が死に関して疑惑している同じ性質のものが円熟してきたクリシュナの業熟体に潜んでいることを否認することはできないであろう。
円熟すればするほど、このような事実を確認することが、クリシュナに学ぶわれわれの重要な課題の一つであることを銘記すべきである。

 

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