仏教についてのひとりごと 100

<<人生は生老病死の四苦をはじめとしてすべて苦である(一切皆苦)ととらえる。この人生の苦を解決するために苦、集、滅、道の四諦(四つの真理)を説く。苦諦は人生はすべて苦であるという真理、集諦(じったい)は苦の原因は心の迷い、煩悩にあるという真理、滅諦は煩悩を滅ぼすことで苦を取り除くことが出来る真理、道諦は正しい実践によって苦をなくすことが出来るという真理、である。正しい実践とは、正しく見(正見)、正しく考え(正思)、正しく話し(正語)、正しく行動し(正業)、正しく生活し(正命)、正しく努力し(正精進)、正しく思いめぐらし(正念)、心を正しく置く(正定)の八正道である。またその世界観の中心には諸行無常諸法無我涅槃寂静三法印(教理)がある。>>


仏陀の教えと言うと、たいていの人はこういうふうにまとめます。
しかし、このまとめでは、何もわかりませんし、最も悪いのはこういうふうにまとめただけでわかった気になってきたことです。

 

①人生がすべて苦。なんてどうしてですか?人生には苦もあれば楽もありますね?
②苦の原因が心の迷いにある?そんなことはないですね。老いるのは心が迷わなくても老いますね。
③煩悩を取り除くことで苦を取り除くことができる?煩悩とは何ですか?生存欲、食欲は煩悩ですか?煩悩としたら取り除くことなどできますか?
④正しい実践によって苦を滅することができる?生老病死がなくなりますか?なくなりませんね。


仏陀の真意が伝わってこなかったのは、このように愚にもつかない表面的な解釈で仏陀が分かった気になってきたことからだと思っています。

 

 

~~~~~~

 

<<今現在は煩悩はない^^
多分、今後の人生において煩悩を持つことは無いだろうとの実感^^>>

それは凄いですね!
いま現在煩悩がなく、今後も煩悩を持つことがないと断言できるのは、覚者か、勘違いしているのか、大ウソつきかのどれかです。

煩悩=心身を悩まし,乱し,煩わせ,惑わし,汚す心の作用
と捉えているのですね。

それでは、質問します。
次のうち、どれが煩悩でどれが煩悩でないと考えているでしょうか?

①将来医者になって苦しんでいる難病の人を救いたい。医学部に入るために一生懸命勉強している。
②将来医者になってお金儲けして女性にもてたい。そのために一生懸命勉強している。
高校野球の選手で、自分のチームを甲子園に出場させるために一生懸命練習している。
④精神的に落ち込んだ時、モーツァルト短調の曲を聴きたくなった。
⑤主婦で家事が一段落したときにケーキとコーヒーで一服するのが楽しみだ。
⑥ペットの猫をなでるのが楽しみだ。
⑦ペットの猫を長生きさせるために様々な健康食品を買う。
⑧健康で長生きするためにウォーキングをする。
⑨明日も生きておいしいものを食べ、楽しく人と話したい。
⑩自分の子供には世の中の役に立つ人間になってもらいたい。

 

 

~~~~~~~

 

aozさん、おはようございます。
<<ある女僧さんの釈迦講座を5回 時間で7時間半を受講したことがあります>>
経歴からすると 勝本華蓮さんですかね。
この人は宮崎哲弥の『仏教教理問答』という対談本に出ていました。
専門学校を出て広告デザイナーの仕事をしていたこの人が仏教学を志したきっかけが語られていて面白いです。
浄土真宗系の秘事法門、つまり異安心系の霊能者に出会ったことがきっかけのようです。
この人の釈迦講座はどのような内容でしたか?興味あります。

<<上記のような解釈から 見えない「前世」「来世」とかが入った教えに拒否反応が強いのです(笑)。
①それで私は「現世内」のみでクローズする仏教を求めてしまう。
それと 間違っていたら ごめんなさい
②以前にショーシャンクさんでしたと思うのですが 仏教の目的は「涅槃に入る 悟りの境地を得る」と書かれていた?。>>

さて、どこから話したらいいか、論点が複雑に絡み合っているので。

まず、私は、『涅槃』とか『悟り』とか『煩悩』といったよく使われる用語はなるべく使わないようにしています。これは人によって全く違うものを指すのです。その人その人で勝手勝手に独自の意味で使っており、誤解が生まれやすい言葉です。

私が目指しているのは、精神の無量性です。それだけです。精神が無量になったときには現象にも無量が現れると思っています。現象に無量が現れなくては本物ではないのです。

精神が無量になるのであれば、どんなものでもいいのです。すべては筏ですから。
仏教でなくてもいいし、キリスト教でもイスラム教でもヒンズー教でもいいのです。
宗教でなく、バッハやマーラーの音楽でもいいのです。宗教は強烈な宗我、我執が形成されることが多いですから、本当は宗教より音楽のほうがいいのです。
宗教をやってる人にろくな人がいないのは、その宗教が鎖になり束縛になり牢獄になっているからです。

私は、歴史上の仏陀の真意が仏教に伝わっていないという強い思いがあるので、日本仏教などを批判していますが、しかし、親鸞の教えで救われる人もいるのです。
妙好人のエピソードを読んでいると素晴らしいと感じます。
瀬戸内寂聴でも、私が考える仏陀の教えとは違うかもしれませんが、その人が説いたことで救われる人もたくさんいるわけで、大人気ですよね。

 

 

~~~~~~