仏教についてのひとりごと 99

aozさん、おはようございます。
仏教を基本から知りたいのであれば、私の文章は読まないほうがいいですよ。
私は、今までの仏教と呼ばれるものをいったんリセットして、歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのかを探求しています。
そして、今までの仏教は仏陀の真意からかけ離れているというところから書いていますから
どのような宗祖も仏教の権威もけちょんけちょんに批判します。
仏教の基礎を知らない人は私の文は読んではいけません。
まずは、仏教の概説書を読んだほうがいいでしょう。

私は、仏陀を仏教の開祖ではなく人類最大の教師だと思っているのです。

仏教を知りたいのであれば、私の書くことなど無視して独自に勉強されることをお勧めします。

 

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multitude さん

はじめまして。

<<すべてを捨てる代わりに・・・ すべてを受け入れてみるのは・・・どうだろう^^>>

仏陀は身分を捨て、仕事を捨て、家族を捨て、財産を捨てて、すべての時間を修行に専念することを出家としたということを書いたのであって、私はすべてを捨てようともすべてを受け入れようとも思っていません。

すべてを捨てるというのもすべてを受け入れるというのも、口で言うのは簡単ですが、観念のお遊びにしかすぎません。

人類史上、すべてを捨てた人もいないし、すべてを受け入れた人もいません。

すべてを捨てようとした人は、チベットの聖者ミラレパがいます。
山にこもり、食器一つだけで生活しました。もっぱら、その辺の雑草をその器で煮て食べていました。そればかり食べていたので身体中が緑色になったといいます。
唯一持っていたその食器も所有物とみて捨ててしまいます。
そこまでしましたが、その生活を死ぬまでしたわけではありません。
すべてを捨てるのは無理なのです。

すべてを受け入れた人も存在しません。
仏陀が破門しサンガを追い出した人は多いです。
イエス・キリストも神殿の中で商売している人たちに怒り狂います。

人類史上、すべてを受け入れた人など存在しないし、してはいけないでしょうね。

 

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<<私は友達の死に遭ってから 仏教を知りたいと思う気持ちになりました。>>

私も中学時代からの親友を20代後半に亡くしています。高校も同じでしたが、とても優秀で東大理Ⅰには合格できる成績でした。身長も180cmあり、中学時代に水泳をしていたので体格も良くハンサムでした。
これほど完璧な人間は今までも見たことないのですが、若くして亡くなりました。


<<実は私の「遠のく」原因は 正に高原へ行らっしゃいさんが言われている考え方に仏教の本を読むに増して 段々色濃いくその考え方に変化していきました。>>

高原さんの言われていることとは『それは釈尊が戒律として禁止しているだけで、法律でも憲法でも何でもないということです。あとは自分に委ねられた問題であり、不自然だと思えば、いくらでも戒律を破れば良いし、すべては自分の責任です。』ということでしょうか。

戒律の問題で、仏教から遠のいているということですか?
遠のいている原因は何でしょうか。

 

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<<前にも書きましたが、「稚児」という制度が昔の寺院では行われていた例があったということ。男色ならいい(子供ができないからでしょうか?)と暗黙の了解があったこと。これらは欺瞞だと思うのですね。特に、「稚児」で行われていたことというのは酷い虐待です。>>

 

その通りだと思いますよ。欺瞞そのものです。
仏陀のサンガであれば、即追放です。
お布施でいただいた食べ物を正午過ぎて食べても破門だったのですから。
薬の代用としての塩を残して持つことも許されませんでした。

民衆から養ってもらっているのに、修行もせず戒律も守らないのであれば即破門です。
そもそも戒律を破る気なのであれば、そういう規則を定めた集団に入る必要はないのです。

最初から日本の出家制度や戒律は非常にいい加減なもので、仏陀の精神は何も入ってきていません。
仏陀のサンガは、民衆から日々の食のみをお布施していただく代わりに、供養に相応しい阿羅漢になるために時間のすべてを修行に打ち込んだのです。
日本の出家は、最初から、貴族や権力者の次男三男あたりが入って高い位に就く形態ですから
仏道を極めようという気などない人が座主などの高い位になりました。
稚児などは、経済力も要りますからそういう貴族出身の高位のものが囲っていました。

お寺自体が堕落の極みで、比叡山でも本当に修行を志す人は、横川のほうに移りました。

 

 

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