仏教についてのひとりごと 82

私の考えを言いますね。これは私だけが考えていることで正しいか間違っているかはわかりません。

まず、人類は、歴史上の仏陀ゴータマ・シッダッタの真意を理解できず捻じ曲げてしまったというのが私の考えです。

なぜ仏陀の真意は伝わらず捻じ曲がってしまったのか、ですが

①苦の消滅、涅槃に至るのに何の役にも立たない、むしろ邪魔になるであろう戯論、
 つまり哲学や形而上学に堕してしまったこと。
②後世の弟子たちが、尊敬する仏陀、自分が信じる教えの独自性、優秀性を誇示したいために
 他の教えとの共通点を排除していき、貶め、間違いとしたこと。
③仏教には次々と天才たちが現れ、それぞれ自分が考え出した教えを仏教としたこと。

主にこの3つです。

この3つのために、歴史上の仏陀の真意は、曲がりに曲がり、当初の教えの跡形もなくなってしまいました。
後世の部派仏教はアビダンマの煩瑣な哲学に耽ってしまい、龍樹は仏陀が残した貴重な筏である縁起の法を哲学化し戯論にしてしまいました。
仏陀在世のときは宇宙の根源、最高神であったブラフマンは、時が経つに従い、梵天というずいぶん下の神様とされてしまいました。
無量心はbrahmam viharam =ブラフマンの境地=究極の境地と表現されましたが
後世になるにしたがってbrahmanが異常に貶められ、ついに究極の境地である無量心ははるか下の梵天の位とされてしまいました。

これらの覆いを全部取り除くと、仏陀の真意が見えてきます。
逆に言うと、仏陀の真意は歴史上積もりに積もった覆いに隠されて
その原型をとどめていません。

 

 

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<<原始仏教の研究者も、大乗仏教の出身者が多いからではありませんか。>>
<<それは根本的な誤りです。>>

確かにその通りです。
仏教学者の佐々木閑は『龍樹は自説を釈迦の縁起観と接続して正当化するために、縁起=空性という新定理を導入した』と言っています。
龍樹の新発明にしか過ぎません。


ただ、仏陀が悟った真理とは何か、というのは、仏教学者の中でも諸説紛々で決まってはいません。
ですから、あなたが考える『仏教の真理』『仏陀が悟った真理』とはどういうものかをお聞きしたのです。

 

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<<どっちにしても、私はもう少し本読まないと話についていけないです。>>
<<3冊程度で何かいい本ありますか?>>

私が言うのも変ですが、まずは、大乗仏教の概説のようなものから読まれたほうがいいでしょうね。
日本の仏教は、大乗仏教オンリーで来ましたから。
大乗仏教のおおよそがわかってから原始仏教を読むのがいいと思います。

若いころでも私は入門書とかは見ずに、臨済録あたりから入っていったので、おすすめの入門書とかはわかりません。
東洋哲学カテゴリーによく投稿されている人たちに聞かれたら教えていただけると思います。

 

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龍樹は、自分の『空』の思想を証明するために、ありとあらゆる論理を使います。

仏陀が言った縁起という言葉を借用して、無自性空と結論付けたり、
『見ること』と『見られるもの』は相互依存で空、
『行く』ものは既に行っているので、『行くものは行かない』(笑)、
『現在』で分けると『過去』か『未来』の2つしかなく、『現在』がない、
よって『現在』と相依関係にある『過去』も『未来』も成立せず
『現在』『過去』『未来』、すべてが『空』らしいです(笑)。
宮元啓一氏の龍樹解説による)


仏陀が目指したのは『苦』を滅すること、です。
仏陀は自分のことを『矢を抜くもの』と言いました。
哲学、形而上学は、涅槃に赴かない戯論として退けたのです。

しかし、龍樹以降は、龍樹の唱えた『空』の哲学が仏教の主流となってしまいました。

 

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<<生じてはいない ことについて>>
<<蜃気楼   これは 生じてないだろが  わらい   錯覚>>

そんなことはただの頭の中だけの観念論。
あなたの住んでいる家や土地、持っている現金、財産も
あなたの家族も全部蜃気楼だと、あなたは心底思ってますか?
それらもすべて錯覚として、捨てることができるのですか?
そういう悟ったようなことは、
自分の心を見つめて本当に現象が錯覚だと思えてから言いなさい。

 

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だから、あなた自身のことを聞いてるのですよ。

あなたはすべては幻影だとか悟ったようなことを言ってますが
本当にそう思っているのか?ですよ。

 

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本当にそう悟ってないのであれば
人に向かって『すべては幻影』などと言わないことです。
自分でさえ、そう思えてないのですからね。

 

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私はよく思うんですよ。
龍樹は、自分の理論をひけらかしたかったのなら
龍樹教の教祖となるべきでした。
仏陀の縁起の法を勝手に解釈して、自分の理論を作り上げました。
これによって、仏教は仏陀の真意から全く違う方向へ行ってしまいました。

 

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『楞伽経』にこうあります。

【釈迦如来、楞伽山にて、衆のために告命したまわく、
 南天竺に、龍樹大士、世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。
 大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して、安楽に生ぜん、と。】

つまり、お釈迦様は楞伽経で、『自分の死後、龍樹という人が出現して大乗無上の法を説く』と予言された、ということです。

しかし、楞伽経は5世紀の成立、龍樹は2世紀の人ですから、龍樹のはるか後にできた経典が龍樹の出現を『予言』した、ということです。

 

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