仏教についてのひとりごと 78

しまとりさん、

<< ① ハルマ氏は、凡夫。シャンク氏は、仏陀。 >>
<< ② ハルマ氏は、仏陀。シャンク氏は、凡夫。 >>
<< ③ ハルマ氏は、凡夫。シャンク氏も、凡夫。 >>
<< ④ ハルマ氏は、仏陀。シャンク氏も、仏陀。 >>
<< 私からは、③か、①の可能性が、あるように感じられました。(笑)>>

間違いなく③ですね。
私も春間氏も、卑小な精神、卑小な人格そのものです。

例えば、こういう詩を書いていた人がいました。
この人は悟っていると思いますか。
しまとりさんの直感ではどうでしょうか。
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  【久遠】

目を閉じれば
空(そら)にとけていき

私といえば
草になっている

ああ
はるかな昔から

私は
山となり
川となり
海となって
輝く

 

 

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私が『仏陀の真意』というときの意味は、『仏陀の悟り』というようなたいそうなことではなく
歴史上の人物ゴータマ・シッダッタが、本当は何を言いたかったのか、ということなのです。
具体的に言えば、
ゴータマ・シッダッタが『縁起』といったとき、それは何を意味しているか、ということです。
四諦』『八正道』『十二縁起』『法』『中道』『戒律』といったとき、本当は何を言いたかったのか、ということです。

そんなこと、明白ではないか、今までの仏教学者も様々な宗祖たちもさんざん解説してきているではないか、と言われるでしょう。

しかし、しまとりさんは疑問に思われたことはないでしょうか。
仏陀が悟ったとき、『私の悟ったこの法は深遠で微妙であり、誰にも理解できないであろう。』と思ったとあります。
それを梵天勧請によってやっと説き始めたのです。
そして『四諦の法』は最勝の法と言われていました。
しかし、どの仏教書もその四諦の意味を、『人生には苦がある。その苦は執着から起きる。執着をなくせば苦もなくなる。そのためには八正道という8つの正しいことをしていけばいい。』というように捉えています。
深遠と言われて期待していたのに、こんな当たり前のことを言われるとがっかりします。
こんな表面的な道徳に過ぎないものを、仏陀は『私の悟ったこの法は深遠で微妙であり、誰にも理解できないであろう。』と言うだろうか?というのが私の疑問でした。

仏陀は悟ったときに瞑想したのが、四諦や十二縁起を瞑想していたのであり、
ですから、四諦の法は最勝の法、縁起の法は甚深の法と言われたのですから。

それがきっかけになって、大乗仏教一辺倒だった私は、
仏陀の肉声に近いものを研究することにしたのです。

そしてやっとまとまりつつありますので
自費出版で残しておこうと思っているだけです。

それでは、これで失礼します。
答えていただきありがとうございました。

 

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<<アラシなんて気にしなくていいじゃないですか。華麗にスルーですよ。>>

あなたは料理しますか?
例えば、あなたが料理したとして、料理が出来上がったとき、その料理をどこに置きますか?
広場や道に置くでしょうか。置きませんね。
自分が食べるのであれば自分のところに、人にふるまうのであれば食べてくれる人のところに置くでしょう。
広場や道に置いたら、蠅がたかり、カラスがつっつきするでしょうね。
今までは料理をつくる前でしたからいいのですが、料理を作り始めると、その料理は本当に食べてくれる人にだけ出すものですよ。

 

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<<原始仏典の縁起は苦の原因ってことですが、それだと苦限定因果論になると思うんですが、世の中は楽しい事も幸運な事も沢山あるし、随分と狭い感じがするんですが、それについてショーさんはどう思いますか?>>

素直ないい質問ですね。そういう質問が今までに出ていれば、時間があったので時間をかけることができたのですが。
簡単に言うと、
仏陀の教えの核心部分は『苦』です。
仏陀の言う『苦』を誰も理解していないのです。
恵まれて毎日楽しい人は苦が理解できないのもわかるが、自殺者は苦だと思っているのではないか、というでしょう。
でも違います。
自殺する人でも、仏陀の言う『苦』はわかっていません。
自殺者の原因は病苦や経済苦、失恋、いじめなどですが
その原因の病気が治り、経済的に恵まれて、好きな人と恋愛でき、いじめる人もなくなったら
とたんに『苦』ではなくなりますよね。
ですから、ただ、思い通りにいかない、ということで苦しんでいるだけですが
仏陀の言う『苦』はそういうものではありません。
もちろん、思い通りにいかない『苦』も含まれますが、
『一切の形成されたものは苦である』、この言葉がわかれば
仏教の半分はすでにわかったということです。

 

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そうですね。
苦受も楽受も非苦非楽受も

苦受⇒苦苦
楽受⇒壊苦
非苦非楽受⇒行苦

に変わりますから、すべて苦ですね。

 

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時間があれば、大乗仏教から原始仏教まで教えてあげたいですが
何せ、あまり時間がないので。

この学問カテゴリーには時間がたっぷりあって
仏教を人に教えたい人が沢山おられますよ。

いま盛んに投稿しているmicという人、この人も教えたくてうずうずしてます。
春間さんもとにかく教えたいと思っていますし
和弘さん、sanさんあたりに聞けば、とても詳しく仏教のことが学べると思います。
いろいろなことを聞いてみられたらいいのではないでしょうか。

 

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『映画についてのひとりごと』では、よく詩については話し合うことがありましたよ。
詩は、文章の中では最も音楽に近いものですから、それで精神性のレベルがわかるものかどうか、少しだけ関心があります。
音楽には明らかに高い低いがあります。
私はマーラーが好きですが、マラ6までのレベルとマラ9では精神性の高さが明らかに違います。
それは、マラ7のときに覚醒のようなものがあったのではないかと勝手に思っています。

たまたまネットで見たその詩は、悟りに近いかどうか、あるいはその詩を書いた人は悟っていたかどうか、ちょっと興味が湧いただけです。

 

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たーぼーさん
こんにちは。

困ったものですね(笑)質問してこられると答えなければいけない気になってしまうので。

『色即是空』は般若心経の言葉です。私は般若心経も唱えますが、もし、本当に歴史上の仏陀=ゴータマ・シッダッタが言ったことを知りたいのであれば、まず、今までの日本の仏教の常識を置いておき、白紙の状態で、最古層の仏典を読むべきです。
今の仏教思想は後世に付け加えられたり意味が全く違ったりするものがほとんどだからです。
それだけ、仏教には天才たちが出現したので、その天才たちが独自の説を発展させていったのです。
ですから最初の仏陀の教えは埋もれていきました。

『空』の思想は、主に龍樹から確立しました。
縁起⇒あらゆるものには自性がない⇒実体がない⇒空
というわけです。

しかし、歴史上の仏陀が、『空』というのは、『生じたものは必ず滅する。泡のようなものだ。』という意味で『空』なのです。

ゆえに、歴史上の仏陀が『世界を空と観じなさい』というときは、『世界は無常と観じなさい』という意味なのです。


無常であるから苦である。
無常で苦なるものを我、我が物、我が本体と呼んでいいであろうか。

これが、歴史上の仏陀の言った言葉です。