仏教についてのひとりごと 46

そうなんですよね。
歴史上の仏陀の発言から、末法思想にまで膨らませるのは無理があります。
実際、仏陀は『正法は500年しか続かない』としか言ってないわけですし
最古層の仏典が出典でない以上、それも後世のものが作った可能性も高いです。
仏陀が、女性の出家によって正法が500年しか続かないと本気で思っていたら
それを認めるわけはないですから。

要は、『四念処の実践がなされているときは正法が続く。四念処の実践がなされないときは正法が続かない。』ということを言いたかったので
四念処の実践=正法 ということになると思います。

これを捻じ曲げて、正法が滅んで末法になったら、戒律は無意味とか釈迦仏法は意味がなくなったとか、極端に過激で破滅的な末法思想に人類は落ち込んでいくことになります。

 

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<<バラモンが当時使っていた、不変のアートマンの否定だよ。いかなる事象も自分に非ずなんだから、無我だって間違いではない。>>

仏陀アートマンを否定したことはただの一度もありません。
あるというのであれば、その言葉をパーリ語原典から指摘してください。
仏陀が言ったのは『無常であり苦であるものを、われ、わがもの、わが本体と言ってよいであろうか。』です。

<<いかなる事象も自分に非ずなんだから、無我だって間違いではない。>>

いいですか。いかなる事象も自分に非ず、というのと、自分は無い、ということは全く違うのがわかりませんか。
人類が仏陀の教えを理解できなかったのは、無我=アートマンの否定、自己などない
というような間違った解釈をしたということと、苦ということがわからなかったためです。

輪廻をする主体、業(カルマ)の果を受ける主体は、では、何なのですか?
自分がないなら、誰が自分が行為した果を受けるのですか?
無我説は全くの誤りで、人類最大のミスです。

<<数知れない多くの事物の「自性」が、互いに(因)や条件(縁)となり合い、複雑な関係を結びながら、相互相依しあって成り立っている。>>

どのように複雑な関係を結んでいても、あなたはあなたではないですか?
【数知れない多くの事物の「自性」が、互いに(因)や条件(縁)となり合い】というのであれば、数多くのそれぞれの自性が存在するということではないですか。
複雑な関係を結びながら相互相依しあって成り立っていたら、あなたという個性はないのですか?
どんなに複雑に依存しあっていても、あなたが犯罪を犯せばあなたが裁かれるのです。
相互依存したら罪が許されるのですか?

<<素晴らしい教であっても、長い間、人による口伝の教えが仏教です。 現実に上座部仏教では、つじつまを合わせる為、法有では仏陀の教えにはないでしょう。 どのような素晴らしい教であっても、長い間に受け入れる民族や習慣にも作用される、それが一概に悪い事でもないと私は思っています。むしろ多くの民族や風習に埋没することなく、日本で取り入れられた仏教です。>>

このあなたの文章は意味をなしていません。
この文章の意味が分かる人はいますか?
仏陀が自分の正しい教えは500年しか続かないと言いましたが、それについてどう思いますか、と聞いたのですが?

 

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<<アートマンというのは、常住不変なんだよ。 自分で無常であり苦であるものをわれ、わがもの、わが本体と言ってよいであろうかだから、仏陀は完全に否定しているよね。>>

あなた、自分が書いていることが自分でわかっていますか?
アートマン=常住不変
無常であり苦であるもの=わが本体ではない
ということは、無常なものを否定しているわけで、無常でない常住不変なアートマンは否定してないでしょ。
自分で自分が書いたことを論理的にわかっていますか?

<<仏陀は自己などないとは言われていないだろ。>>

だから、諸法無我は間違いだと言ってるのですよ。
わかりませんか?
無我というのは、我が無い、ということですよ?
わかりますか?

 

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答えないので
もう一度聞きますね。

末法思想の源流で、仏陀が言ったという言葉は
女性の出家を認めた時に言ったとされる『アーナンダよ、正しい教えはただ500年間のみ続くであろう。』です。
それが本当に仏陀が言ったことで正しいとすれば
正しい教えは、西暦100年前後で消滅してしまう、ということになります。
西暦100年以降は正しい教えはない、ということになります。
西暦100年前後に大乗仏教が興りました。
あなたはこれをどう見るのでしょうか?

 

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うーん、ちょっと自分の書いていることが分かってないようですね。

<<無常であり苦であるもの=わが本体ではないのだから、バラモンが説くアートマンの否定だよ>>

アートマンというのは、常住不変のものですよ。つまり、無常でないものです。
無常なものはわが本体ではないと言ってるのですよ。

<<自己こそが 主あるじ 自己こそが 自己の 依よりどころ
君は上記の教えを否定するの、恥ずかしくない?>>

無我という解釈こそが、『自己こそが 主あるじ 自己こそが 自己の 依よりどころ』を否定するものですよ。
無我という解釈をしていて、それでは仏陀の言う『自己』とは何ですか?
非我という解釈をするから、自己という存在が肯定されるのです。

 

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ということは、仏陀の言う『正しい教えは、西暦100年前後で消滅してしまう』ということが正しいと思ってるということですね。
西暦100年以降は正しい教えはない、ということになります。

西暦100年ころに大乗仏教は興ったのですよ。

 

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あなたは、アートマンブラフマンも何も理解していないし
ただ、後世で作り上げた仏教のドグマから無我=アートマンの否定 をしているだけですね。
アートマンは自分の根源であり、宇宙の根源であるブラフマンと同一というのがバラモン教の考えですよ。
根源たるアートマンに気が付かないから輪廻を続けているということです。

<<不変の霊魂であるアートマンを肯定するなら、迷いからの脱の意味も何もないし、修行だって、戒律だって、いらないだろ、それぐらい理解してくれないとね。>>

インド思想について何もわかっていませんね。
仏教という後世作り上げたセクトに囚われているからです。
バラモン教に戒律も修行もないと思っているのですか?
バラモン教アートマンを説きますが、当然、戒律も修行もありますよ。
アートマンブラフマンを自覚するまで輪廻が続くということです。
ですから、輪廻からの解脱のために厳しい修行をしているではありませんか。


<<無我だって自己は否定されない>>

あなたのいう【自己】とは何ですか?
その自己とアートマンはどこがどう違うのですか?
無我説は不変の自己はない、ということです。
それでは、輪廻する主体である『自己』、業(カルマ)の果を受ける『自己』とは何ですか?

あなたのいう【諸法無我】とは、自我を捨てて自己中心的な行動をやめよう、という道徳なのですか?
そんな浅薄なとらえ方であれば、レスする意味はありませんが
古来【諸法無我】としてとらえられてきたのは、【万物(人間も犬も植物も石も)には恒常的な実体はない】【永続する自己はない】ということです。

 

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<<迷いの心から悟りの心への脱が仏教♪>>

それはバラモン教でもそうですよ。ジャイナ教もそう。
ほとんどの宗教はそうでしょうね。
それに、アートマンは最終的には霊魂などというものでもないですね。
宇宙の根源ブラフマンと同一ですから、個はなくなります。
個や多様性は錯覚だとシャンカラは言いましたね。

<<善悪の業を背負う我だよ。>>

あなたは諸法無我と言いながら、【善悪の業を背負う我】を立てている、その矛盾に気づきませんか?
無我説は、大きな矛盾があって、論理的にも破綻しているのです。
それを取り繕ってきたのが仏教の歴史ですよ。
【善悪の業を背負う我】があるのであれば、諸法無我ではないではないですか。

 

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<<だから言っているだろ、常住不変の霊魂のアートマンの否定が無我だよ。 善悪の業によって、変化する我は別に矛盾ではない。仏法の基本。>>

いいですか。
諸法無我】は、万物には恒常的な実体がない、という解釈です。
これはいいですか?
実体とは、さまざまに変化してゆく物の根底にあって持続的だと考えるものです。
変化するから無我ではないのです。
変化するものの根底で持続的なものがあれば、実体がある=無我ではない ということなのですよ。

例えば、あなたが生まれたばかりの赤ん坊のときと、80歳になったときでは
すべてが大きく変化してますね。
すべての細胞は入れ替わっています。
でも、あなたはあなたという持続的なものがあるでしょう。
どのように変化しても持続的なものがあるのであれば、無我ではないですよ。

 

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あなたのいう【変化する我】には、根底に持続的なものはないのですか?

 

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