仏教についてのひとりごと 41

十二縁起は、今まで誰も解き明かしたことのない法です。
私もずいぶん多くの解説を読みましたが、どれも違うと思います。

無明⇒行⇒識⇒名色⇒・・・・・
のうち
無明を過去生の煩悩、行を過去生の行為、とする解釈も知っています。

しかし、仏陀は悟ったときに、十二縁起の順逆を観じます。
無明を滅すれば行が滅する
行が滅すれば識が滅する・・・
というように。
もし、無明を過去生の煩悩、行を過去生の行為、と解釈した場合
過去生のものを今滅することはできません。

仏陀は『まのあたりに今』の法を説きました。
まのあたりに無明が滅したからこそ、目覚める人となったと思います。

 

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仏陀は、この人間の身体がいかに汚いものであるか、を直に見なさいと説きました。
人間の身体に関して、男女にかかわらず不浄なものと見るのは仏陀の経説の基本です。
四念処観の一つはそうですし。
また、欲望の対象、執着の対象に対して、その本質である生滅、不浄を見ることを説きますね。

仏陀は女性の成仏ももちろん認めていますが
法華経では、女性では悟れないと竜女に言う場面がありますね。
そう言われた竜女は、男になって(変成男子)成仏を果たします。
これこそ、本質的な女性差別ではありませんか?
仏陀は女性の成仏を認めているのに、法華経のこの場面があったために
女性はその身のままでは仏になることは難しいという思想ができてしまいました。
不完全ですね。

 

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<<変性男子になって成仏を見せただけです>>

ですから、変成男子となって成仏を見せる必要はどこにもないわけです。
舎利弗が、『いかんぞ女身速やかに成仏することを得ん。』と言っているのですから
女身のまま成仏するところを舎利弗に見せつければいいのです。
サンスクリット原典では、女性器が消え、かわりに男性器が生じる、という凄い描写です。
そんな必要は何もないのです。
女性のままでは悟りに障礙になるという考えは、仏教本来の思想ではなく、ヒンドゥー教の影響から出てきた考え方とされています。


原始仏典で仏陀
『人にはいろいろの種類がいる。心の曇りの少ないものもあれば、曇りの多いものもあり、賢いものもあれば、愚かなものもある。(中略) また人には男女の区別があるが、しかし人の本性に差異があるのではない。男も女も道を修めれば、然るべき心の道筋を経て悟りに至る(仏陀になる)であろう。』 — パーリ『律大品』115より
と言っています。

 

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<<法華経の竜女成仏はどうも鳩摩羅什が別にあった経典を足したようです>>

法華経サンスクリット原典にも、竜女成仏の場面はありますが。
先に書いたように、変成男子の場面で原典では
『女性器が消え、かわりに男性器が生じる』という直接的な描写になっています。
仮に、あなたがいうように鳩摩羅什が別の経典の部分を勝手に法華経に入れたとしたら
とんでもないことですよ。鳩摩羅什の信頼性そのものが揺らぎますね。

<<部派仏教が女人のままでは成仏できない、四向四果 で男子となって生じてこないとだめというような仏陀から外れた教えになっているからでしょうね>>

それは全く何の理由にもなっていません。
もし、女性のままでは成仏できないという間違った説に対抗しようとするなら尚更
変成男子して成仏させてはいけませんでしたね。
女性の身体のままで成仏しなければおかしいですよ。

 

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竜女成仏についての次の指摘に対しての返答がありません。これを質問⑤としておきます。
これを含めて5つの質問に答えていただいていません。
答えていただけないのであれば、今後はこちらも返事は出来ませんのでお答えください。

質問⑤
<<法華経の竜女成仏はどうも鳩摩羅什が別にあった経典を足したようです>>
法華経サンスクリット原典にも、竜女成仏の場面はあります。鳩摩羅什が勝手に付け加えたというあなたの説は正しくないのではないですか?
仮に、あなたがいうように鳩摩羅什が別の経典の部分を勝手に法華経に入れたとしたら
とんでもないことです。鳩摩羅什の信頼性そのものがなくなりますね?。

<<部派仏教が女人のままでは成仏できない、四向四果 で男子となって生じてこないとだめというような仏陀から外れた教えになっているからでしょうね>>
その答えは全く何の理由にもなっていません。
もし、女性のままでは成仏できないという間違った説に対抗しようとするなら尚更
変成男子して成仏させてはいけませんでした。
女性の身体のままで成仏しなければおかしいです。そうは思いませんか?

 

質問① 古層の仏典のほうが仏陀の肉声に近い、というのを否定しますか?
質問② 大乗仏典が歴史上の事実を伝えようとした経典でないことは、
    少し読めばわかりますね?大地が割れて無数の菩薩たちが地中から湧き出たりします。    まさか、それを歴史上の事実と思う人はいないですね?
質問③【バラモン教の教義がなくても清らかになることができる、と説かない。】
    というのはどういう意味か答えてください。
質問④ 中村元は、こう書いています。
    【最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。
     何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。
    「スッタニパータ」の中でも、遅い層になって、
     仏の説いた理法に対する信仰を説くようになった。】
     この、中村元博士の言葉をあなたは間違いだと言うのでしょうか?

 

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あなたが『変成男子となって成仏をみせたのは、部派仏教が女人のままでは成仏できない、四向四果 で男子となって生じてこないとだめというような仏陀から外れた教えになっていたから』と言ったのですよ。
それに、『法華経は声聞、縁覚も菩薩の三乗として同じように受け入れます』といっても、歴史上の仏陀の高弟である声聞縁覚は菩薩の下にしてますね。また、ほかの大乗仏教は『声聞縁覚は悟れない』のところを法華経は『声聞縁覚でさえ悟れる』としただけです。
空想上の菩薩たちを上位に置き、歴史上実在した仏陀の高弟たちをその下にしていることに変わりはありませんね。

それよりも何よりも
質問⑤悟りにおいて男女の差がないのであれば、女性の身体のままで成仏しなければおかしいです。
   そうは思いませんか?
エスかノーでお答えください。

 

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<<釈尊は50年をかけて、人々が自分と同じような大きな心になってほしいと願っているのです。 化導には順序があったという事でしょう。>>
あなたは五時教判を基にした日蓮教学で見ているので、すべての仏教経典が釈迦の直説という立場になっているのですね。
歴史上の事実としては、経典によって、後世に付け加えられたり、脚色されたりしている部分がほとんどを占める経典と、ほぼ仏陀在世の頃のことを伝えている経典があるのです。
歴史上の仏陀の肉声を知りたいのであれば最古層の仏典によるしかないのです。
それさえ、否定しますか?
エスかノーで答えてください。


<<普賢や文殊など多くの述菩薩に任せておいては、本当の人々の救済にはならない、未来を見つめていたという事ですね。仏は全ての人たちを救済したい後世に生じてくるものを特に心配したのでしょう二処三会、過去、現在、未来をという時間と空間を超越した教えです>>
質問の答えになっていません。
大乗仏典は、歴史上の事実を記述した経典ではないですね?と聞いているのです。
エスかノーでお答えください。

私は歴史上の仏陀が事実として何を言ったかを知りたいので、過去も現在も未来も超越しているファンタジー映画のどれが最高傑作かを論議しているわけではありません。


<<自分がわからないなら、こたえてくださいではないよね。 自分がお釈迦様になって、その意味を考えたら理解が進むと思っています。>>
私は、『教義をバラモン教の教義としたら意味が通じない』と書いたとき、あなたが『あなたが通じないだけだよ』と言ったのですよ。
ですから、そうであれば、あなたは通じているのでしょうから
その通じている意味を聞いたのです。
あなたは自分の心がお釈迦様の心と同じになっていると言ってるのですから、答えてくれますか?

<<大方そうでしょうね。 ある程度心が清浄でなければ、自分の深い思いは人々は理解できない。>>
仏教学の権威である中村元博士の説を否定して、あなたは一般人のブログを貼り付けたりしています。
つまり、まずは、自分のドグマが正しいという大前提があって、そのドグマに合っているものであれば素人の説であっても証明に使い、信用のある仏教学者の説でも、自分のドグマと違えば否定しているだけです。


ドグマを主張したいだけの人を相手するのは時間の無駄です。

 

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<<別に原始経典も阿含経などは否定していないよ。していないよね>>
あなたの答えはほとんど質問のはぐらかしです。
私が聞いたのは『歴史上の仏陀の肉声を知りたいのであれば最古層の仏典によるしかない』かどうか、です。
その回答になっていません。
阿含経などの原始仏典でも古層のものと後世に教義が付加され脚色され歴史の事実を伝えていないものがあります。
阿含経を否定するかどうかではなく、歴史上の仏陀が本当に言ったことを検証するには
後世で付け加えられた不純物が最も少ない古層の経典に拠るしかない、という仏教学の基本を聞いています。それを否定するのであれば、話にはならないのです。

別に大乗仏典の宗教的価値を論じているわけではなく
歴史上の仏陀が本当に言ったことを調べるには、仏陀在世当時を記録している経典に拠るしかないですね?と言っているだけです。

 

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あなたは、大乗仏典も原始仏典もすべての経典が歴史上の仏陀の直説だと思っている。
そして、『華厳時 阿含時 方等時 般若時 法華涅槃時』の五時教判が歴史上の事実だと思っている。

だから、あなたは、ほとんどの仏教学者や仏教学の定説や最新の文献学を否定しなければいけなくなるのです。そして、それらの仏教学者の言ったことをネットであら探しして攻撃するようになるのです。
すべての経典が歴史上の仏陀の直説などと言っている仏教学者はいません。
五時教判が歴史上の事実という仏教学者もいません。
いるのであれば名前と典拠を示してください。

阿含経の中にもはるか後世の思想が混ざっているものも多くあります。
ですから原始仏典が全部仏陀の直説でもなく、むしろ後世の不純物が混ざっているものが圧倒的多いのです。
ですから、歴史上の仏陀が本当は何を語ったかを調べるには、後世の不純物の影響が少ない(ないとは言わない)最古層の仏典を調べるしかないのです。

何度も言ってるように、最古層の仏典だから宗教的に優れているとか
後世に創作された経典だから優れていないとかは思っていないですし、それを論じようとしているわけではありませんよ。

法華経は、久遠実成の釈迦如来が説いたものだ、でいいではないですか。宗教なのですから。
それはそれで素晴らしいものです。
それを、仏教学や文献学を無視してあるいは否定してまで、歴史上の仏陀が説いたそのままの言説だと主張するから無理があり、私も反論せざるを得ないのです。

 

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