仏教についてのひとりごと 40

このブログの人が言うように
『唯一完全な形で残っている上座部のパーリ聖典が、実は最初からの、言葉も内容も釈尊が説き残した教えそのものだ』というような
パーリ語経典がすべて第一次結集で確定した内容そのままだとは考えていません。
かといって、
第一次結集の内容がどのパーリ語経典にも残っていないというような極論を取る学者もほとんどいないでしょうね。

要は、同じパーリ語経典でも、第一次結集で確定した内容とほとんど同じものもあれば
後世に教義がいろいろ付け加えられて内容が全く変わってしまったものもあるということです。
ですから、最新の文献学によって、どの経典が仏陀の肉声に最も近いかを探ることが本当に重要になってくるのです。

 

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<<この中、長部、中部、相応部、増支部の四つのグループには、第一結集以後新たな経典は加わっていません。>>

うーん、これは誰が唱えている説ですか?
第一次結集のときに、『長部、中部、相応部、増支部』が成立してそれ以降付け加えられてないというのですか?

とすると、『長部、中部、相応部、増支部』が仏陀の死後数ヶ月で確定、成立したということですか?

 

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パーリ語経典では、小部経典に最も古いものが多いですが
『長部、中部、相応部、増支部』の中では、相応部経典が一番古いでしょうね。

しかし、その相応部経典の中でも、成立した時代はバラバラで
古層に属するものと後世に成立したものとがあります。
第一次結集のときに、4つ全部成立したなんてことはあり得ません。

というか、第一次結集のときからかなり後まで、比丘たちの頭の中で暗唱されていただけでしょうね。
文字に書かれたのは相当後です。

 

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私は『要は、同じパーリ語経典でも、第一次結集で確定した内容とほとんど同じものもあれば
後世に教義がいろいろ付け加えられて内容が全く変わってしまったものもあるということです。
ですから、最新の文献学によって、どの経典が仏陀の肉声に最も近いかを探ることが本当に重要になってくるのです。』と書きました。

どうしてこれが『後世に成立でも仏陀が言われた話が阿含経典ですよね。 それをひていしたら、第一次結集の根拠が無くなりますよ。』となるのですか。
もっと、人の文章の意味をきちんと理解して感情でなく論理的に述べてもらえませんか。

結集をもとに編集されたのが原始仏典です。
原始仏典とされる阿含経典でも、成立が古い層と新しい層があるのも常識です。
最古層と言われるスッタニパータでさえ古い層と新しい層があります。
原始仏典でも古い成立と後世の成立があると言っているのに、あなたは『後世に成立でも仏陀が言われた話が阿含経典ですよね。 それをひていしたら、第一次結集の根拠が無くなりますよ。』と言う。
阿含経典にも古い層と新しい層があるのは仏教学の常識ですよ。
あなたは、自分の説と違うと『それはあなたの見解に過ぎない』と言いますが、このようなことは常識なのでどの仏教学者にでも聞いてください。

それより、あなたの言う『その時には大乗は興っています。滅後200年ぐらいで部派と大衆部にわかれた。』は、大衆部が大乗仏教の源流という前提でしょうけど
今ではほとんどの学者がそれを否定しています。
仏塔を管理していた在家集団が大乗仏教を興したという説が有力ではありますが
実際は、大乗仏教の起源については全くわかっていません。
ただ、大衆部が起源という明治時代に盛んに言われた説は否定的な人が多いですね。

あなたのいう『釈尊は心を大事にした人ですから外見では判断しません。 女性に対して糞味噌ですよね。』の言葉の意味が支離滅裂でわかりません。
外見で判断しないのに、女性に対して糞味噌なのですか?

それよりも、私の質問の①②③④に答えていただけませんか?

 

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おっしゃるように、『大乗仏教は、もともとの釈迦の教えとは別の宗教』のように私も思います。
上座部仏教のアンチテーゼとして大乗仏教は興ったので仕方ないところもありますが
歴史上の仏陀は、想像上の釈迦如来となり
歴史上の仏陀の直弟子たちはからかわれ否定されて、想像上の弟子たち、つまり菩薩たちが大活躍します。
釈迦如来以外にも、阿弥陀如来大日如来など想像上の仏たちが主役となります。

一仏乗は、日本に入ってますます安易な方向に進みます。
その極致が、天台本覚思想や親鸞の教えです。
もともと悟っているのだから修行は必要ない、もう救われているのだから修行などのはからいはしてはいけない、まで行き着きます。

文献学がここまで発達して、今では、歴史上の仏陀の肉声に最も近い経典はどれかもわかってきました。
仏教の宗派の祖師たちはみな、膨大な仏教経典のすべてが仏陀の直説だと思い込んでいました。
ここで、歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのかを探求しないといけないのではないかと思うのです。

 

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