仏教についてのひとりごと 33

わかりやすい文章を発見したので引用します。
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 そもそも、世界の宗教や思想の大部分は、検証不能なる様々な神学的・形而上学的及び哲学的見解を土台にして打ち立てられているが、打ち立てられる土台がないものには、それが有っても無くても、そこには依りかかるもの(見解)そのものが無いのだから、その土台は崩れようにも崩れようがない。
 なぜなら、その土台そのものには依拠するもの(思想や見解)が最初から何もないからである。
 つまり、ゴータマ・ブッダがとった手法とは、従来の伝統的なウパニシャッドの根本理念である輪廻転生説とアートマン説に基づく梵我一如説に立脚することもなく、さらには、すべての哲学的・形而上学的見解から離脱したものなのである。
 だから、最初期の仏教においては、「信仰を捨て去れ」などと、平然と言えるのである。
 信仰とは、ある側面から言えば、究極の「こだわり」であり「執着」であるとも言える。
 最初期の仏教では、(仏教修行者に対して)、究極の「こだわり」であり「執着」である信仰さえも捨て去ることを推奨していたのである。
 釈迦のとった手法とは、行き着くところまで徹底している。そこまでしなければ、究極の安らぎは体現できないのだ。

 ところが時の経過と共に、仏教では、そもそもアートマンの存在の有無は「無記」であるはずなのに(「中部経典63」毒矢の譬えの経 参照)、アートマンは存在しない、と解釈する仏教者たちが現われてきたのである。
 アートマン形而上学的な存在論に関して、中村元氏は『中村元選集・第18巻』の中で次のような興味深いことを言っている。
 「仏教は恐らく、我執をなくする方便として説かれた無我説を、理論的な問題として固着しすぎたかたむきがある。」 P.43

 ブッダは「アートマンは無い(存在しない)」とは言っていない。
 実際に、パーリ・ニカーヤの中に「アートマンが存在しない」と明言されている箇所はどこにもない。
(これに疑いを抱く人がいるとすれば、パーリ・ニカーヤをすべて検証されることをお薦めする。文献上にアートマンの非存在説が最初に登場するのは「ミリンダ王の問い」なのではないだろうか。)

 

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仏陀が生まれる前から、輪廻転生の思想はインドにありましたね。
例えば、五火二道説など。
この世において好ましい行いを積むものは、死後好ましい母胎に入る。しかし、汚らわしい行いを積むものは、汚らわしい母胎に、すなわち犬の母胎に、あるいはブタの母胎に、あるいはチャンダーラ(最下層民)の母胎に入るという考え方は、既にあったと思いますが。

また、仏教が誕生する少し前に、インドにはジャイナ教が誕生しました。ジャイナ教は、マハーヴィラという人がはじめた宗教です。
ジャイナ教では、生命は業(カルマ)が原動力となって輪廻転生をしているとみなして、カルマを断ちきることで解脱できると説きます。
ジャイナ教のメインテーマは、まさしく輪廻からの解脱で、そのために苦行をします。

 

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この世で好ましい生活を行っている人びとには、「かれらは好ましい母胎に入るであろう。(すなわち)バラモンの母胎か、あるいはクシャトリヤの母胎か、あるいはヴァイシャの母胎に(入るであろう)」という可能性がある。しかしこの世で悪臭を発する生活を行っている人びとには、「彼らは悪臭を発する母胎に入るであろう。(すなわち)犬の母胎、あうりは豚の母胎、あるいはチャーンダラ(賤民)の母胎かに(入るであろう)という可能性がある。

 しかしながら、これら下等でなんども(この世に)もどってくる生きものは、これら二つの道のいずれをも行かない(通らない)のである。「生まれよ」「死ね」と(いうだけでそうなるのであり、これは)第三(もう一つ別の)状態である。それだから、あの世(死者の世界)が(死者で)いっぱいにならないのである。それであるから、(人は)みずからをしっかりと保(身をつつしむ)のである。したがって、次の詩節が(詠ぜられるので)ある。
 「黄金をぬすむ人、スラー酒をのんでいる人、師の閑房をけがす人、バラモンを殺害する人、これら四種の人びとは(犬やチャンダーラに)墮落する。」
 しかしながら、この五つの火についてこのように知っている人は、かれら(前にのべた悪事を行う人びと)と交わっても悪によって影響が受けることがない。このように知っている者は清浄で、けがれがなく、善い世界に属するものとなる。このように知っている者は(善い世界に属するものとなる)」

『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド


つまり、ここで言われていることは、生前の行為の善し悪しによって
次にはバラモンクシャトリヤ、ヴァイシャに生まれるか
シュードラに生まれるか、人間以外に生まれるか、が決まるということです。
どのような行為をしてもバラモンバラモンに、クシャトリヤクシャトリヤに生まれ変わるというわけではありませんね。

『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』はウパニシャッドの最初期のものの一つで
成立年代はだいたい紀元前 800年~500年です。
つまり、仏陀の生まれる前には、既にそのような思想があったということです。


最古層のスッタニパータを読むとよくわかりますが
バラモン教ジャイナ教独自の用語を使っていることがたびたびで
非常に大きな影響を受けていたと考えられます。

 

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