私は、人間は宗教や宗派に属するべきではない、と思っています。
従属した途端に、束縛され精神の自由が奪われてしまうからです。
世界を見回しても、宗派は対立し、喧嘩し、戦争し、テロを起こしています。
また、宗派に属すと本当の価値はわからなくなる。
あなたが法華経が素晴らしいと思っているのはなぜですか。
それはあなたが信仰する日蓮がそう言ったからですね。
少なくとも、自由な精神で華厳経を読み法華経を読み維摩経を読みスッタニパータを読んで
そのうえで法華経が最も素晴らしいと思ったわけではありませんね。
法華経が最高という教義のフィルターを通して見ているだけです。
私は、全く自由な精神で読まなければ、法華経のすばらしさはわからないと思うし
華厳経の、あるいはその他の大乗仏典の、あるいは原始仏典の素晴らしさはわからないと思っています。
私は仏教には属しないし、その他のどのような宗教宗派にも属さないです。
仏陀を仏教の開祖としては見ておらず、ひとりの覚者、教師として見ています。
>>世界中多くの宗教がある。ようは教えがどれだけ、現代の人たちに正しく利益をもたらすかではないでしょうかね>>
正しい利益とは具体的にはどういうものでしょうか。
私は自分の経営する会社が倒産必死のところまで行きましたが
奇跡的に短期間で無借金経営の優良財務に生まれ変わりました。
そのようなご利益のことでしょうか。
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私は、どの宗派にも宗教にも属しませんが
他の人がどのような主義を持っても、それはそれでいいと思います。
何かの宗教に属している人によくある、
自分の偏狭な知識や信念でドグマを押し付けてきたりするのはわずらわしいことですが
そうでなければ、何を信じようとその人その人の自由です。
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>>人が勝手に経典を解釈したりして、つぎはぎをしたりしているのを知らないで、そういう宗教に縁すると、身だけでなく心まで滅茶苦茶にされ、オームではないが、罪までつくり、あの世でも、地獄に落ちてしまう。 気がついたら、忠告位はしたほうがよいですね>>
そうですか。
頑張ってください。
>>シャンクさんはなぜ宗教のトピにいるのか、 経営者だから、社員家族まで絶対に守るという根性が求められるから、宗教を探しているように思えますが?
もうこのスレで何十回も言っていますから、それでわからないのであれば
ちょっと説明する気は起きません。
あなたは日蓮の教えで人を感化したいようですが
もし実生活で人と対面した時に、そのようなことで大丈夫ですか?
このスレを作った理由は最初からくどく書いています。
ちょっと、人間考察のピントがずれているように感じます。
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あなたは、本気で私と法論する気はありますか?
逃げないで質問に真正面から答えられますか?
それであれば、私がなぜ上座部仏教(小乗仏教)も大乗仏教も仏陀の真意を伝えてないかを指摘することはできます。
私の質問に逃げずに答えられますか?
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>>仏陀はそのあと、梵天の要請で説くのですが、あまりにも世の人が理解する事は難しい、そのため、優しい小学校の教から初転法輪から始まりレベルをあげてゆき、手立ての教えなど説いて往き、法華経を説かれた>>
あなたの言っている、このことは天台の五時教判です。
しかし、歴史上、五時教判は全くのファンタジーであり虚構です。
天台の五時教判は中国でさえ主流ではありませんでしたが
日本では天台宗の比叡山が絶対的な権威を握ったので、主流となりました。
日蓮は比叡山で学僧となりますから、五時教判の影響下で学びました。
それを基に、法華経至上主義を唱えました。
しかし、その基となった五時教判は事実ではないことは現代では明らかです。
もう、ファンタジーである五時教判を基にしてはいけないのです。
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答えになっていません。
>>仏陀はそのあと、梵天の要請で説くのですが、あまりにも世の人が理解する事は難しい、そのため、優しい小学校の教から初転法輪から始まりレベルをあげてゆき、手立ての教えなど説いて往き、法華経を説かれた>>
あなたの言っている、このことは天台の五時教判です。
しかし、歴史上、五時教判は全くのファンタジーであり虚構です。
>>勝手に経文を作ったり、経文に自分の言葉を付け加えようとする人が多くいます。>>
インドでは、それこそ、勝手に経典を作る人たちが出てきました。
仏典がこれほどまでに膨大にあるのはそういうことです。
そうであれば、最古層のスッタニパータだけが信頼できるのではないですか?
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>>スッタニパータを読むと大乗の八正道なんかは見えてくるだろ>>
大乗の八正道などというものはありません。
八正道は四諦のうちの道諦ですが、大乗仏教は四諦を声聞の修行、二乗の修行、小乗の修行として捨て去りましたね。
>> 仏陀滅後に戒律を重んじる上座部が戒律を緩めてもよいという仏陀の教えに対して、逆に女性比丘には厳しくなり女性出家者はいなくなる状態>>
仏陀の在世中に、いとこの提婆達多が、五事戒律(糞掃衣のみ、接待を受けない、魚肉を食べない、など)という厳しい戒律にしようとしてサンガを分裂させました。
また、仏陀は女性の出家についてはなかなか認めようとしなかったのですが
女性の出家希望者や弟子の懇願があって、かなり経ってから仏陀は比丘尼を認めることにしました。
そして、比丘尼には比丘より多くの戒律を定めました。
>>仏様も仏陀以前に目覚めた人は居たとするのが、大乗仏教だよ>>
仏陀は原始仏典の相応部経典で、
『自分は過去の覚者が見つけた古城に至る古道をみつけただけだ。私が存在してもしなくても、古道は厳然として存在する。』と言っています。
仏陀以前に数多くの覚者がいたことは、仏陀も多く言及してます。
>>シャンクさんは戒律とスッタニパータを信じて実践して行かれ>>
スッタニパータには『戒律や道徳によって清らかになることはできない』と書いています。
戒律至上主義は間違いです。
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急に言葉遣いが粗雑、乱暴になりましたね。
自分の好まないことを言われると、人はその本性が出ます。
そのようなことで心を揺らしているということは、実地の修行はできていない、
あるいはその修行は何らあなたの精神を自由にしていない、ということです。
あなたがもし、大乗仏教を奉じているのであれば、大乗仏教の基本的なことは知った方がいいですね。
大乗仏教は上座部仏教のアンチテーゼとして生まれた。
上座部仏教で尊敬されている仏陀の弟子たちを二乗として、二乗不作仏とまでしてしまったのです。
法華経に至って二乗作仏を唱えましたが、その意味はつまり、『二乗でも成仏できる』ということです。
上座部仏教からはあり得ない主張です。
仏陀の直弟子たちを、成仏できるとか成仏できないとか、勝手に論評しているのですから。
あなたは、声聞という言葉の意味を知っていますか?
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『声聞という言葉の意味を知っていますか?』という質問に答えていただけないようですので言いますと、声聞とはもともと、仏陀の声を聞いたものという意味で、仏陀の直弟子を指しました。
しかし、仏陀の死後数百年経って大乗仏典が創られはじめて、大乗仏教では、声聞は二乗の一つとされ、二乗不作仏を唱え始めました。法華経に至って二乗作仏が唱えられて『二乗でも成仏できる』とされました。
それまで仏陀の教えを伝承してきた上座部仏教はカンカンになって怒りました。
伝統仏教の最上位の尊敬の的であった仏陀の十大弟子でさえ、貶されおちょくられる経典がどんどん創作されたからです。
当然、上座部仏教側は大乗仏教に対し『そんなものは仏の教えではない』と強く否定しました。
これが歴史上の事実です。
大乗仏教側は、最初から、仏陀の直弟子などの権威を否定することから始まっています。
そして、四諦の法(この中に道諦として八正道も含む)は、低い価値とされてしまった声聞の修行法と定義づけられます。
当然、四諦の法をかえりみるものなど誰もいなくなりました。
大乗仏教側に立ってその主張をするのは、個人の自由で全く構いませんが
客観的な歴史上の事実は把握しておかないと、
歴史上の仏陀には辿り着かないので、私はなるべくそうするようにしています。
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