仏教についてのひとりごと 22

>>羅什の訳した妙法蓮華経の梵法華経は見つかっていないようです

法華経サンスクリット語原典は存在しています。
もし、羅什がサンスクリット原典から直接翻訳していないのでしたら
原典と大きく違うこともあるということですね。

>>スリランカに伝わる小乗阿含経とて、後世の記述が多いと聞きます

経典の第一回結集は仏陀の死後4ヶ月後といわれています。
原始仏典にも、古層のものと後世のものがあり、現代の文献学によって、
最古層の仏典や後世の仏典が何であるか、かなり明確になってきました。
最古層の仏典がスッタニパータであることは現代の仏教学では確定してます。
法華経原典の成立はどんなに早くても西暦40年以後とのことです。
つまり仏陀が亡くなってから数百年経っています。

>> ところで、仏陀は滅後どうなっていると思われますか

スッタニパータに、仏陀にそれを直接聞いた問答があります。
仏陀の答えは
『たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって火としては数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって数えられないのである。』
『滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。』
と言っています。

後世、想像上の物語は沢山作られましたが、仏陀の答えはこれです。

 

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『たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって火としては数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって数えられないのである。』
『滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。』
というのは、
スッタニパータの文をそのまま転載したもので、そこに私の解釈は何も施していません。

修行者は、この世とかの世とをともに捨て去るーという言葉がスッタニパータには出てきます。

他の箇所で地獄の描写も出てきます。
それを見ても死後の世界があることを仏陀は前提としていたことがわかりますが
仏陀の理想としたところは
『この世とかの世とをともに捨て去る』というところでしょうね。


ところで、あなたは『仏陀は滅後どうなっていると思われますか、あなたは応えられますか? 
それを説いているのが、法華経です。』と書いています。
私はスッタニパータでの仏陀の言葉をそのまま書いて答えました。
次はあなたの解釈を書いてください。

 

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そうですか。ちょっとがっかりしましたね。
ネットのコピーそのままとは。

私は、たまたまからんでこられたので原始仏典の立場で答えていますが
大乗仏典は親しんできましたし法華経も尊重し毎日読誦してますし
日蓮も尊敬してます。
宗派には全くこだわらないので、日本で好きな僧は
空海日蓮白隠法然ですね。
道元明恵は、好きですが、少し神経質すぎますね。
法華経はとにかくありがたいお経と言う言葉がぴったりします。
宇宙の、すべての存在を生かそうとする力を感じます。
どのような存在も救ってやろうという意志を感じます。
ここまでありがたいお経はなかなかないですね。

もし、法華経を語るのであれば借り物ではなく、自分の言葉で語るとばかり思っていました。
『ところで、仏陀は滅後どうなっていると思われますか、あなたは応えられますか? それを説いているのが、法華経です』
と問いかけたのは、あなたです。
あなたは応えられますか?という問いかけをするのですから
ここは自分の言葉で、仏陀の滅後を語ってほしかったですね。

しかし、仕方ないことかもしれません。
宗派に属すると、例えば法華経を読んでもその宗派のフィルターでしか見られなくなります。
いったん捨てた後、読み返して号泣した白隠のような読み方こそが法華経の読み方でしょうね。

私は、今の仏教を全否定した後、全肯定に向かいます。
仏陀の真意から仏教全体を見直していきたいと思っています。

今の仏教には、仏陀の残した筏がないのです。
仏陀の真意から原始仏教大乗仏教も解釈することが理想です。

 

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棒読みにはならないですね。
むしろ、宗派のフィルターや天台の解釈、日蓮の解釈を通さずに読まなければ
本当に読んだことにはならないと思っています。

白隠は、若いころにいったん法華経をくだらないと思って捨てました。
しかし、悟った後に法華経を読んで号泣します。
何のドグマも先入観もなく読んだからこそその真意に到達したのでしょうね。
そのような読み方を理想としてます。

 

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私が考えるところによると、もちろん私だけの考えですが
上座部仏教(あなたのいう小乗仏教)も大乗仏教も彼岸に渡る筏がないのです。

法華経を実践すると言いますが、法華経に説かれている修行とは、『受持・読・誦・解説・書写』ですね。
つまり法華経を受持し、読み、唱え、人に解説し、写経をすることだとしています。
大乗仏教で説かれる修行とは、あくまでも経典を読誦することばかりです。

上座部仏教小乗仏教)のアンチテーゼとして大乗仏教は、仏陀の死後数百年後に生まれました。
上座部仏教も筏を捨てていましたからどこにも行きつかなくなっており
大衆はただ単に僧に対して布施を行うことで善行をしよいところに生まれることを願う、という形態になってしまいました。
そのアンチテーゼとして大乗仏教が生まれました。
それは、大きな意識まで達した覚者群が書いたものなのでしょう。
大いなる意識でしか書けない内容です。
しかし、残念ながら大乗仏典にも筏はなく、とにかく仏典を読誦することが強調されています。

そして大乗仏教の各宗派、特に日蓮系では
法華経のありがたさを説かねば、小乗仏教の阿羅漢と変わらない』といって
他人に法華経こそが最も高く、唯一真実なお経だと布教することが
『娑婆世界で実践』することの最重点となっていきました。

日蓮系の各宗派も日蓮の死後すぐに喧嘩し分裂しはじめました。
そして今も日蓮系の宗派間で憎悪し罵倒しています。

そのようなことの全体を見たほうがいい。
宗派の考えを押し付けることを実践としているから
もう何百年にわたって宗派間の争いが継続しているのです。

そのような、宗教のバカバカしさ、宗派というセクト主義の愚かしさを
もう人類は気づくべきですね。
現代において、その愚かしさが嵩じているからこそ、世界各地でテロが起きています。
イスラム過激派にとってはテロが正義であり、『実践』なのですよ。

>>本当に禅師は悟っている人ばかりだと思いますか?

とんでもないです。悟っている禅師などほとんどいないでしょう。

私は仏陀を仏教の開祖として見るのではなく
歴史上の仏陀が、本当はどのようなことを言いたかったのかに関心があるだけです。

 

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>>これがまずお分かりになっていません。妙法蓮華経の受持なのです。 妙法蓮華経の受持の為に南無し唱題が、私達法華信者の末法での正行で読・誦・解説・書写も、妙法蓮華経の受持の為の助行で、 ようするに受持成仏です。

法華経を何のフィルターも通さずに読んだことはありますか?
『読・誦・解説・書写も、妙法蓮華経の受持の為の助行』というのはどうでしょうか。
『読・誦・解説・書写』はそもそも受持してなければできないものです。
受持が基本、または第一歩で、受持した法華経を『読・誦・解説・書写』というように発展させると考えるのが妥当でしょう。
『受持』を『唱題すること』というのは日蓮独自の解釈で、法華経にそのようなことは書いていません。
一度、法華経を、天台の解釈、日蓮の解釈を通さずに、あるいはどのようなドグマ、教義をも交えずに読んでみてください。
日蓮日蓮で全身全霊で法華経を読み、法華経とは妙法蓮華経の五字の題目だという考えに達しました。
それはそれで尊重します。
仏教は大衆化するために、修行法を極限まで簡素化させていきました。
念仏や唱題というようにです。
念仏も唱題も信者数は膨大になりましたので、それは大成功でした。

しかし、私は、どのようなドグマからも離れ、白紙の状態で経典に向き合いたいのです。
ですから、あなたが日蓮の教えを信じ、日蓮の解釈によって法華経を読むことは自由ですが、私はいかなる宗派にも属さずに、歴史上の仏陀の言いたかったことを究明したい。
歴史上の仏陀が何を言ったかということを知るには、大乗仏典ではなく、最古層の原始仏典に依らなければいけないというのは常識です。

日蓮系の立場からは、法華経の素晴らしさを強調するのは構いませんし
私も法華経は素晴らしいと思っていますが
私の今の関心はもっぱらスッタニパータですね。