煩悩とは何か

仏教なるものは、仏教なるものが確立された時点から今日まで、歴史上の仏陀の真意とはかけ離れ続けていきました。

いま残されて一般にも使われている仏教用語のほとんど全部は本来の意味と全く違うものです。

 

仏教用語に『煩悩』と言う言葉があります。

一般的には、煩悩とは欲望のことだと思われています。

欲望をなるべく少なくしていくこと、足るを知るということが煩悩をなくしていくことだと言う人は多いです。

ところが本能も欲望です。食欲を否定すると死んでしまいますし、性欲を否定すると人類は絶滅します。

だから、欲望はなくならない、煩悩はなくならないものだろうということになっていきました。

もっと時代が下れば、煩悩はあるがままでよい、とか、煩悩がなければ菩提に近づけないとか言われ始め、煩悩即菩提と言う言葉が流行していきます。

 

私は、煩悩とは束縛のことだと考えています。

精神の自由を束縛するもの、

本来の無量の精神を限定させるもの、

これが煩悩の本質です。

精神に苦をもたらすもの、それが煩悩です。

自由をその本質としている精神にとって、束縛は苦なのです。

 

故に、煩悩の別名は、『結』であり『縛』なのです。

 

そして、最も下方(欲界)に結びつける結縛が、五下分結です。

 

五下分結は

有身見

戒禁取

です。

中部経典『五下分結経』によれば、四禅によってこれを捨断するとのことです。

 

とすると、

五蓋と非常に似かよった概念です。

五蓋も、初禅に入る前にこの五蓋を除去することが求められます。

五蓋は、

惛眠

掉悔

です。

 

『結』にせよ『縛』にせよ『蓋』にせよ、煩悩の本質をよく表わしている言葉です。

 

すべて、自由な精神でないようにしているものです。

これこそが、煩悩の本質です。本来の意味です。

 

ですから、後世に流行して、大乗仏教の旗印になった感がある、

『煩悩即菩提』という言葉がいかに煩悩の本質を見失わせてしまったか、です。

                 

 

 

アラシである限り

ある人が『生れ、育ち、風土、環境に依って、私であって、私という個体が危うくなり、私の核(自性)が解体されて行く。すると、自我に固執していた自分への懺悔が起こり、自我が崩壊して行ったんだよ。』と書いていたので、コメントします。

 

私は、宗教やスピリチュアルなど精神世界についての文章を読んできているので、もう口先だけの美辞麗句にはうんざりなのです。

『自分の核(自性)が解体されて自我に固執していた自分への懺悔が起こり、自我が崩壊して行った』という人が、他人が主催する掲示板に投稿し少し気に入らないことを言われた途端、その主催者に対して罵詈雑言を投げかけ続けているのです。

あなたにとって、自我解体も懺悔も自我の崩壊も口先だけの言葉にしか過ぎません。

 

宗教や哲学、スピリチュアルなどをやっている人には、そういう人が非常に多いです。

それは結果がわからないいい加減な世界だからです。

例えば、誰かが『自分は経営の天才だ』と言ったとしても、その人の会社が倒産したらその人は無能だと言うことです。結果は誰の目にも明らかです。

大塚家具の大塚久美子社長がいかに一橋大経済を出ても会社を破綻にまで追い込んだために無能そのものだと見なされてます。ですから、久美子社長が退任するという報道があった途端、大塚家具の株価はストップ高まで急騰したのです。その人の能力は外部からも丸わかりなのです。結果が目に見えますから。

 

しかし、宗教の世界では、『私は悟った』と言う人がいても、それを証明できるものはありませんし、それを否定できるものもありません。外からでは何もわからないのです。

 

ただ、振る舞いを見て、はっきりと『この人は違う』とわかることがあります。

それは、他人に苦痛を与えることをし続けることができる人です。

これは宗教以前に人として終わっています。

 

芳和さん。

ヤフー掲示板の東哲板を最後の1年半くらい見たものとして、あなたたち、アラシの人には共通点があると思っています。

それは自分でスレッドを立ち上げるのですが誰も来ないので、閲覧者の多いスレに居座っては迷惑投稿をし続けることです。

閲覧者の多いスレッドは、そのスレ主が努力しているのです。

スレ主は誰でも自分のスレッドを愛おしく育みたいのです。

そのようなスレッドに土足で入ってきては踏み散らかし続けていたのが、マージャンと呼ばれていた男や和弘と言っていたあなたです。

閲覧者が多く集うスレッドを作り上げた成功体験もないために、そのスレ主がどのような想いで自分のスレを大切にしているか、などわかりもしないのです。

ですから、どの掲示板に行っても自分の迷惑投稿で占領してしまうのです。

それがいかにスレ主にとって迷惑なことかがわからないのです。

芳和さん、あなたは一度仏教の本をすべて捨てて宗教や哲学など全く忘れて、まずコミュニケーションから始めた方がいい。

あなたがアラシである限り、いくら自分で『悟っている』『目覚めている』『懺悔して自我が解体した』などと言っても誰も聞く人はいませんよ。

 

 

 

縁起とは十二縁起のこと

『十二因縁は因・縁・果の時間的連鎖であり、「因縁」と「縁起」は分けるべきである。混同するから、表面的な言語に振り廻されて、群盲のカラ騒ぎとなる。十二縁起ではなく、〈十二因縁〉である。』

などと書いている人がいたので、それについてコメントします。

 

縁起の原語(パーリ語)は、paticca-samppada です。

縁って生起すること、です。

 

因縁の原語(パーリ語)は、hetu-paccaya です。

この場合、因(hetu)も縁(paccaya)も、同じ『原因』という意味です。

 

仏陀の死後、後世において、因を直接的な原因、縁を間接的な原因とする見解が生じました。あるいは、因を原因、縁を条件、という見解が生じてきましたが、そんなことは歴史上の仏陀は一切言っていません。

縁起の意味がどんどんねじ曲げられたため、仏陀の真意は失われていったのです。

 

相応部経典12.1 法説 において

仏陀は、『わたしはいま、なんじらに縁起を説こう』と言って

『比丘たちよ、縁起とは何であろうか。無明に縁りて行があり、行に縁りて識があり、識に縁りて名色があり、名色に縁りて六処があり・・・・・・有に縁りて生があり、生に縁りて老死があり、愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。かかるものが、すべての苦しい人間存在の縁ってなるところである。これを縁によって生起するというのである。』と説いています。(増谷文雄訳)

 

およそ、十二縁起を説くときに、因縁などと言う言葉はどこにも使われていません。

仏陀が説く縁起とは十二縁起のことなのです。

五支縁起や十支縁起など略したものはありますが、縁起とはすべて苦の縁りて生起する原因のことです。

 

前にこう書きました。

 

仏陀が求めたのは、苦の消滅なのです。

苦の消滅のみを求め続けたのです。

そして、仏陀は苦の原因を探求していきました。

これが縁起です。

AがあればBがあり、Aが生じるが故にBが生じる。

AがなければBはなく、Aが滅するが故にBが滅する。

Bをなくすのには、このようなAを見つけ、Aを滅することによってBを滅することができると考えたのです。

つまり、縁起の法とは

Aがあれば苦があり、Aが生じるが故に苦が生じる。

Aがなければ苦はなく、Aが滅するが故に苦が滅する。

このようなAを発見するためのものでした。

 

 

 

AがあればBがあり、Aが生じるが故にBが生じる。

AがなければBはなく、Aが滅するが故にBが滅する。

これが縁起の公式と呼ばれるものです。

これに当てはまらなくては縁起ではないのです。

 

つまり、縁とは間接的な原因などではなくまして条件などでは全くなく

それがないと生じない、それが生じれば生じる、まさに根本的な原因のことです。

 

つまり、後世の縁起、縁の解釈は全くの間違いなのです。

 

 

 

 

三明は仏陀の悟りの核心

またまたある人がマニカナで変なことを書いているので、コメントしておきます。

三明は、仏陀の神格化によってでっちあげられたものではありません。

歴史上の仏陀が自分の修行した経緯と悟りへ至った道筋を語った中で出てくる核心たる智慧のことです。

 

三明は、仏陀の成道のときに、四禅を修した後に生じた智慧であり

これにより悟りを開いたとされる極めて重要なものです。

中部経典 マハーサッチャカ経にあります。

 

 

宿住智

天眼智

漏尽智

の3つです。

実は、この3つの智は、程度の差はあれ、誰にでもあるものだと言えます。

それが四禅の修得によって曇りがなくなり意識が広がっていくと強くなっていくものなのでしょう。

 

宿住智は、過去の自分を見る智慧です。

少しでも瞑想をしたことがある人なら経験があると思いますが、過去の全く忘れている小さな出来事を思い起こすことがあります。瞑想が進むとそれは普段より多くなるでしょう。四禅により曇りがなくなればありありと過去を見通すことになるでしょう。

これは十二縁起の理法にもつながってくる智慧です。

 

天眼智とは、天に眼があるように世界のものごとを俯瞰して見る智慧です。

これによりすべてのものごとの流れがはっきりとわかります。

先見の明があると言われる人は、この智慧が大きいのです。

これも四禅を修して意識が広がっていくと鳥のようにどんどん俯瞰してみることができるのだと思います。

あらゆるものごとの原因と結果を見通したのです。

つまり、想いが因であり、現象が果であるということ。

因果の理法です。

身口意の行い=業=想い・想いに基づく言葉、想いに基づく身体的行為

つまり思いが原因で、結果が生じるという理法です。

善なる想いは善なる結果を生じ、悪なる想いは悪なる結果を生じるということです。

天眼智により、世界のすべて、そしてすべての衆生は、この原因と結果の中で生まれ死にしていることが明らかとなったのです。

 

漏尽智は、四諦を如実に知ることによって、漏(煩悩)を消滅することができる智慧です。

苦という真実、苦の起きた原因、苦の滅と滅に至る道、これをありありと観ずることで漏(煩悩)を消滅させたのです。

 

もちろん、宿住智、天眼智、漏尽智にはレベルがあります。人間であれば誰でも持っておりほんの少しは顕れているのでしょうけどそのほとんどは煩悩に覆われています。覆われているので明るくなく暗いものです。

仏陀成道の時にはその覆いは全くなくなっていますから、明るさはMAXです。無明が明となるのです。

宿住明、天眼明、漏尽明となっています。

 

三明が、仏陀の悟りを考えるうえで、極めて重要であるのはこういうことからです。

 

 

仏教解説書の切り貼りでなく

 

>>『こころは移ろい易きものである。 見落とすことなくその中に居よ』
>>と訳すなんてありえないのです。
>>上の単語のどこをどう訳すとそんなでたらめな訳になるのか、教えてください。

 

このわたしの問いかけに、芳和さんが次のように答えてくれたみたいです。

 

>私はサンスクリット語を知りませんし、信頼する紀野一義先生の訳の文字を評価できません。
>しかし、私は、紀野一義先生を心から信頼しているのですよ。

>で、信用と信頼は違います。
>信用は見返りを求めますが、信頼は「たとえ騙されても」です。
>信頼関係ができたら大切にしたいですね。
>親鸞の、「法然上人にすかされましても」です。
>譬え地獄に落ちてもです。

 

 

仏教学者の紀野一義を、親鸞が法然を見るように帰依しているのですか。驚きです。紀野一義も学者として仏教解説書を出しているだけなのに教祖として帰依されては責任重大ですね。おちおち地獄にも行けません(笑)

前にも書きましたが、芳和さんは、いろいろな仏教学者の仏教解説書を数多く読んで引用をすることがとても多いですが、それはその仏教学者の言葉でしかありません。

芳和さんの言葉で語ることが重要です。

あなた自身の言葉で語ってください。

解説書の引用など何もなりません。するなら仏典の引用だけにするべきです。

いろいろな学者の言葉を切り取り切り取り貼り付けていっても、それはただのガラクタを並べたに過ぎません。

 

 

仏教の解説書なんて、しょせん、映画評論家が書いた映画の解説文のようなものです。その人のサングラスで、フィルターを通して見た感想にしか過ぎません。

映画を見る前に、映画評論家の解説を読んではろくなことになりません。

先入観が入ってしまって全く感動できなくなります。

映画の評論家が感動するところと自分が感動するところはほとんどの場合全く違うものです。

映画は、評論家の解説など読むことなしに直接自分で観るべきです。

大事なのは評論家の感想ではなく、自分の感想です。

 

映画の字幕は英語に非常に堪能なプロが訳したものですが、ひどい誤訳は結構あります。

たとえば、映画『ショーシャンクの空に』の最も大事な最後の部分。

 

I find I'm so excited I can barely sit still or hold a thought in my head.

I think it's the excitement only a free man can feel.

A free man at the start of a long journey whose conclusion is uncertain.

 

これを字幕では、『興奮して、じっとしていられない。自由な人間だけが感じる興奮だ。結末はどうなるかわからない。』と訳していました。

3番目の英文を直訳すれば、『結末が不確定な長旅をスタートさせる自由人』です。

しかし、この映画は『hope』が主題です。

絶望のどん底からhopeを見つけて、そのhopeに興奮している人の独白です。

それを『結末はどうなるかわからない』と不安気に訳したのでは映画が台無しになるのです。

ここは

『興奮してじっとしていられない。どんな(素晴らしい)結末が待ってるかわからない長旅に出る自由人だけが感じることができる興奮なんだと思う。』

あるいは『行き先を決めない長旅に出る自由人だけが感じることができる興奮なんだと思う。』

と訳さなければ、そのときのレッドの『興奮』はわからず、原作者の、そして映画監督の、『真意』はわからないのです。

 

 

司馬遼太郎が『坂の上の雲』で『この日本国の新国民たちの高揚感がわからなければ、この段階の時代(明治時代)はわからない』と言ったのと似ています。

 

それと同じように、歴史上の仏陀の最後の言葉を

こころは移ろい易きものである。 見落とすことなくその中に居よ』などと訳してもらったのでは、仏陀の生涯が台無しになってしまいます。

 

この世は『誤訳』に満ちていることは忘れない方がいいですよ。

 

親鸞についての質問

門前の小僧 (59.166.196.125)    

ショーシャンク様、初めて書き入れます。
 
親鸞について対話がありましたので、感じたことを書かせてもらいます。
親鸞の本覚思想への態度に次のような和讃があります。
『罪業もとより所有なし 妄想顛倒よりおこる 心性みなもときよければ 衆生すなわち仏なり 』(正像末和讃 草稿本) これが「正像末和讃 愚禿悲歎述懐」では 『罪業もとよりかたちなし 妄想顛倒のなせるなり 心性もとよりきよけれど この世はまことのひとぞなき 』 と改訂されています。
衆生は仏、という本覚表現から、現実観から衆生の姿を、まことのひとなし、と言い換えています。なにか本覚思想に躊躇するような素振りです。
『いずれの行もおよびがたき身 』という自覚にある煩悩具足の凡夫にとっては本覚思想とは机上の空論でありましょう。
親鸞は大乗涅槃経から仏の慈悲が衆生に届く姿を教行信証信巻に引用してあります。
 
『『涅槃経』(師子吼菩薩品)に言わく、善男子、大慈大悲を名づけて「仏性」とす。何をもってのゆえに。大慈大悲は常に菩薩に随うこと影の形に随うがごとし。一切衆生畢に定んで当に大慈大悲を得べし。このゆえに説きて「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。大慈大悲は名づけて「仏性」とす。仏性は名づけて「如来」とす。大喜大捨を名づけて「仏性」とす。 』
 
これによれば仏性とは衆生に自ずから備わるものではなく、衆生を救わんとする菩薩の働きが衆生に届いている姿を、仏性としているようです。
自力作善に破れる、つまり煩悩のままに救われるという転換を経るところに凡夫に仏性が与えられるのでしょう。
そしてその仏性は凡夫の念仏成仏によって「悉有仏性」が証せられるのだと思います。そしてそれらの経路は凡夫にはあずかり知られぬことでありますから、他力と言われるのだと思います。
 
法然と親鸞の大きな違いは、ご存じでしょうが、往生が定まる時を臨終に見たのか、他力の信心を獲得の時なのか、だと思います。
 
親鸞は後者です。煩悩のままに、往生が定まり成仏が完全に約束された人生を歩むことに大きな意味を見出したのが親鸞ではないでしょうか。
臨終往生では往生の約束のない煩悩の人生を歩まなければなりません。
親鸞の往生を覚信尼が疑う文言がありますが、それほど従来の往生観が自力作善の完成としての往生であったのでしょう。
現代人にとっても、親鸞の往生観は難解です。
 
また、妻惠信尼が越後に行ったのはやはり家族全員を京都では食べさせられないと考えてのことではないかと推察します。
惠信尼以外も子供たちが越後に同道していますので。
 
 
非僧非俗についてですが、親鸞は沙弥教信の生き様を理想としていたことにショーシャンク様はどうお思いですか。
もっとも教信はお布施ではなく雑用で生きていたようですが。
 
善鸞の事件ですが、歴史学者によっては、史実ではないとする意見もあります。
いっそうの史料批判が待たれます。 不思議なことは覚如による本願寺三代伝持では、親鸞に次いで本願寺二代に善鸞の子、如信が宛てられていることです。
如信は善鸞と関東での行動を共にすることが多かったと言われていますが親鸞への敬慕の念は厚く年に一度は京都の親鸞廟に参詣していました。
義絶された善鸞の子を、善鸞によって惑乱されたという関東在住の門徒が、本願寺二代と認めたことは不思議に思います。
ショーシャンク様のご関心からは周辺のことでありましょうが、ご参考までに書かせてもらいました。

 

 

 

門前の小僧さん、はじめまして。

外部からかじっている人ではなく、本格的な真宗の人にお聞きしたいと思っていました。

はじめに断っておきますが、わたしは親鸞に対して否定的な見方をしていますので、お気を悪くしないでください。浄土門でも法然や一遍は評価しているのですが、親鸞の行ないの矛盾したところを見てしまうので。

それではお聞きします。親鸞に対する疑問です。

 

質問1、非僧非俗について

親鸞は流罪の際に僧籍を剥奪され俗名に戻されます。このときから『非僧非俗』と自称します。しかし、僧籍剥奪俗名になったのですから非僧ではあっても非俗ではなく、明らかに俗人です。しかし剃髪して僧の恰好はしたままです。そして死ぬまで弟子や信者のお布施で生活していました。

もし、沙弥教信が理想像なのであれば、なぜ農業や雑用をして稼がなかったのか、わたしにはいいとこ取りにしか見えないのです。

非僧であるから肉食妻帯はするし、非俗であるから信者のお布施に頼って自分では稼がずに生活できます。

特に浄土門は在家のための教えと言ってもいいくらい、出家と在家を差別することなく、むしろ在家での念仏のほうが尊ばれる考えも主流です。

なぜ、それほどまでに僧の恰好にこだわり、布施で生活していったのか、やはりいいとこ取りに見えます。

 

質問2、善鸞の義絶について

ここは通説通り、善鸞を義絶したと考えます。

親鸞教団では関東の信者が多かったと思いますが、その関東の信者たちが善鸞のせいで混乱しているとの報を受けます。関東の信徒たちが京都にわざわざ来てその混乱ぶりを訴えたのだと思います。

そこで親鸞は、善鸞を呼び戻して事情を聞くわけでもなく、説得するわけでもなく、すぐ義絶状を出して絶縁します。

親鸞の生活は、関東の信徒たちの布施によって成り立っていました。ですから、メインの関東が混乱するのは一大事です。親鸞は息子と話すこともなく義絶します。

しかし、この行動は、親鸞がいつも言っている最も大事な、『摂取不捨』とは真逆です。

親鸞の教えでは、阿弥陀仏は五逆謗法であっても救ってくださると言うことです。摂取不捨からもれてないはずです。

それなのに、なぜ親鸞は息子を義絶したのでしょう。阿弥陀仏が救ってくださるのに、親鸞の勝手な計らいで縁を切るのは矛盾していませんか?

 

また、『親鸞には弟子は一人もいない』とし、親鸞独自の教団はないのが建前でした。しかし、実際上、信徒連中の団体を守るために息子との縁を切っています。これも言ってることと正反対です。

 

質問3、親鸞の子孫の支配

親鸞の子孫、特に直系の子孫はその後教団の法主であり続けました。親鸞の血族だから尊ばれています。

これは仏教ではあり得ない現象です。

仏陀は、『生まれによってバラモンではない』と説きました。

バラモンの子孫がバラモンなのはバラモン教です。

仏陀の教えの根本は、『行ないによって人は尊いのだ』ということです。

親鸞の子孫だから尊ばれ教団のトップに君臨するのはバラモン教ならいざ知らず、仏教の教えからすると大きな矛盾と感じませんか?

 

 

門前の小僧 (59.166.196.125)    

ショーシャンク様、ご質問に見解を述べます。
 
「質問1、非僧非俗について」への見解。
 
親鸞は非僧非俗について詳しく表白していないので、以下は推察にすぎません。 親鸞は僧籍剥奪によって当時の常識として、官許を得た僧ではないから非僧であると自覚したに違いないでしょう。その上で官許に関わらず求道の生活であるから僧と名乗り「非僧」と名乗ったのかもしれません。女犯偈に象徴される精神の遍歴を経て法然門下と成り、破戒の僧との自覚のもとに研鑽を積んだ求道の生活の延長でしょう。 惠信尼と親鸞の結婚は京都時代に成立していたという説も今日有力です。流罪前からの結婚生活が関東時代にも続くことは不自然ではありません。 親鸞は関東時代かなり広範囲に活動していたことが分かっています。沙弥教信のように街道沿いに居住し雑用で生計を立てたり、農業漁業など定住して生計を立てることは、親鸞の求道・聞法生活では現実的ではなかったでしょう。「非僧」として布施を得て活動するほかに親鸞の求道を深める道はなかったと思います。それがいいとこ取りと言えばそうでしょうが、それによって親鸞周囲の人々や後世に残された宗教的遺産は大きなものがあったと思います。 次に、もっと想像をたくましく妄想すれば、非僧非俗は、非ず非ずで、どこかで聞いたことがあるフレーズですね。この世が「聖と俗」からできているならば、非僧非俗とはこの世ならざる境遇で言葉に表せません。まるで「五蘊非我」がこの身の何をとっても非我であって、それが言葉で表すことのできる、真実の「私」という縁起現象である、という言説に牽強付会できますね。親鸞はこの世に非ず場所を自分の居場所としたのかもしれませんね。こんな屁理屈をこねて楽しんでます。 
 
 
「質問2、善鸞の義絶について」への見解。
 
「摂取不捨」は阿弥陀から見れば客観ですが、衆生から見れば主観です。本覚思想のように、はじめから衆生は摂取されている見れば、何をしても助かっているんだと、放逸な「本願ぼこり」が起きましょう。五逆謗法の自己を懺悔するものに摂取不捨の光益と知らされてきます。 善鸞が自身の行いを懺悔し、煩悩深い我が身のすくいを求めたならば善鸞にも摂取の光益の中にある自身の存在を発見することになりましょう。 関東の門徒の組織を守るためとおっしゃいましたが、組織を守ることが第一義ではなく、門徒の疑惑を払さんが為の決断だったと思われます。善鸞に関わる事件は史料が少なくはっきりしたことは申せないと思います。
 
 
「質問3、親鸞の子孫の支配」への見解。
 
これはおっしゃる通りです。本願寺教団以外も、原初は親鸞の弟子が建立した専修寺・仏光寺等大寺院がそれぞれの門徒集団の中心でしたが、時代が下ると本願寺教団とおなじく親子の相続になっていきます。 これは、「法義」と「法義を守る方便」という娑婆の問題でもあります。組織に永続性がなければ、教法も消滅するでしょう。かといって組織の存続を優先すればこれまた教法が組織を永続させる道具と成り、ついには変質してしまうでしょう。 浄土教は仏教かという疑問は、仏教とは何かという問いに等しく、難解で幾多の手続きを重ねなければ答えられませんが、家父長的制度の中で伝えられた真宗の教えが、日本仏教の中で一番変質が少なくまた、多くの在俗の篤信者を生み出してきたのも歴史的な事実です。曹洞宗などは道元以降その娑婆での在り方に大きな変化がありました。浄土宗でも各派の活動中で教えは娑婆寄りに変質していったことは事実でありましょう。 また、道場から寺院化した真宗寺院の存在も真宗の特質でしょう。まさに、個人財産である道場が寺院化していく中では、家父長制的支配の中で寺院が相続されることに違和感が少なかったのかもしれません。これを克服するためでしょうか、蓮如は本願寺を「仏法領」と言う表現をしています。これを欺瞞と言えば欺瞞ですが、本願寺内部からの自己規律がうまれたのも事実です。真宗大谷派では、40年ほど前に所謂「お東騒動」の結果、本願寺住職に関しても宗憲改正があって、従来の能化としての住職識・法主職を廃して、聞法の首座としての法首職を新たに設置しました。教団ももがいております。 笑い話ですが。江戸時代、吉原など遊郭に僧侶取り締まりのため手入れがあった際、逮捕された僧が真宗であれば「宗祖の恩を有り難く思え」といわれて、お解き放ちになっとか。役人も真宗坊主が在家の生活をしていることに違和感はなかったようです。日本人の持つ世俗性曖昧性なのでしょうか。 現実の歴史上に存在する真宗僧は、矛盾を矛盾として自覚し、その矛盾がもたらすものが仏法興隆の基であるときに限って許される矛盾だと自覚するほかないと思います。 ショーシャンク様へ。はじめに書入れした一番の動機は、本覚思想についてのご見解が頂きたかったことによるのですが、それより親鸞そのものにご質問をお持ちとは驚きました。 少し長くなりましたが、管見を述べさせて頂きました。 「宗論はどちらが勝っても釈迦の恥」勝ち負けでない、智慧を持ち寄る対話であってほしいですね。

 

門前の小僧さん、ありがとうございます。

篤信の方に失礼な質問をして申し訳ありません。

私は、今までの仏教解釈の全否定から入っているので、すべての仏教徒の人には無礼極まりないとは自覚しています。

質問に対するご回答につきましては、これからじっくりと考えていきたいと思います。大変参考になりました。ありがとうございます。

 

ご質問の趣旨は天台本覚思想との関連だったのですね。

私は、日本仏教、特に鎌倉仏教における天台本覚思想の影響は甚大だったと考えています。

もともとは、大乗涅槃経の仏性思想や如来蔵思想がどんどん発展していって、なおかつ日本の中で究極の絶対一元論まで行き着いたところが天台本覚思想だったと考えます。

その中で、煩悩即菩提、因果同時(因果倶時、因果一如)などが日本仏教の根幹になっていきます。

歴史上の仏陀の教えに、煩悩即菩提や因果同時はあり得ません。

因⇒果 であることは当然であり、唯一、識と名色に相依性を説かれているものの、因と果には必ず時間が存在します。

因⇒果 であり

修行⇒解脱 です。

煩悩の滅で菩提なのであり、煩悩即菩提はあり得ません。

 

しかし、平安時代の比叡山では、如来蔵思想を究極まで純化させていき、ついに人間はもともと悟っているのであり、修行は必要ない、までになっていきます。

 

これは観念的には究極の哲理とも考えられ、『人間は元々悟っているものなのだ』が仏教の前提になりました。

ですから、鎌倉仏教はすべてそこから出発します。

道元が深く悩んだのは『人間は元々悟っているのになぜ修行しなければならないのか?』です。これを徹底的に探求していきます。

そして、修行して悟るのではない、本証妙修なのだとします。修証一等ともいいます。

 

もちろん、宗祖によって、表現はすべて違います。

修行して悟るのではない。

煩悩はあるままで救われている。

 

ただ、門前の小僧さんがおっしゃるように、親鸞は自分のこころの醜さを見つめ続けた人でした。この一点において、凄みがあります。

この徹底的な慚愧懺悔があるかないかが親鸞とそれ以外の人を区別するものだと思います。

この徹底的な慚愧懺悔は、親鸞にしかできないものではないかと思うのです。

この徹底的な慚愧懺悔がなく、安易に親鸞の教えに従うと、そこには天台本覚思想の退廃がまっています。

私が、親鸞の道は、親鸞にしかできない、難行中の難行だと考えるのはそういうことなのです。

 

 

 

 

 

dipa=島・洲・避難所

Utthanena' ppamadena samyamena damena ca

dipam kayiratha medhavi  yam ogho nabhikirati.

賢い人たちは、暴流に押し流されない  dīpā(洲・島・避難所)を作れ

 

Akincanam anadanam etam dipam anaparam nibbanam

iti nam brumi jaramaccuparikkhayam.

無所有にして、執着なきこと、これが  dīpā(洲・島・避難所)にほかならない。このことをわたしは涅槃という。それは老・死の完全な滅尽である。

 

attadīpā viharatha attasaraṇā anaññasaraṇā,

dhammadīpā dhammasaraṇā anaññasaraṇā.

自らを島とし、自らを依り処として、他の者を依り処とせずに住せよ。

法を島とし、法を依り処として、他のものを依り処とせずにあれ。

 

 

 

仏陀はサンスクリット語を禁じた

マニカナで芳和さんが、私宛に投稿されていますね。

私のこのブログの文章に対してのレスのようです。

私にレスするよりは、石飛先生が芳和さんにレスされているのですから、そちらに返事されたほうがいいと思いますが、少しコメントしますか。

 

 

>ショーシャンクさ~ん。お元気そうでなりよりで~す。(^^)
>ヤフーの掲示板が終わる頃に「仏教ついてのひとりごと」のトピ主さんですね。
>ヤフー掲示板にいらしたようなので“ショーシャンクのブログ”で検索したらすぐ出て>きました。
>ブログをやれているようで、楽しんでください。

 

うーん、この小芝居、ちょっと下手ですね(笑)

今日初めてこのブログを見つけましたか?違いますよね。ずっと前から読み込んでますよね。

 

>失礼なことを言って誠に申し訳ありませんが、蒼龍の窟に下って、嫌われ者になりたいと思います。
>ズバリ申しまして、「ショーシャンクさんも「餓鬼」です。
>ただし、「も」すなわち、「貴方も私も」です。
>貴方が阿修羅なら私も阿修羅――仏の智慧は自他平等ですよね。

 

まあ、そうかもしれませんね。餓鬼界かもしれませんし、阿修羅界かもしれませんね。

 


>「諸行無常」の譬喩として六道輪廻が説かれますが、人の心は激流の如くに六道輪廻をしています。
>六道輪廻の中で、私は阿修羅性を強く、ショーシャンクさんは餓鬼性が強い。
>それは、損するか得するかのビジネスや株の世界に身を挺しているからではないのでしょうか。
>そんな世界におりますと、「もっと得よう」という貪欲に縛られてしまいます。

 

ビジネスも株も自分の利益最優先ですからね。結果が全てです。

いくら寝る間を惜しんで働いても、いくら人格者でも、どんなにいい人だと思われていても、会社を倒産させたら社会に大きな迷惑をかけたただの無能とされます。

株も結果だけが全てです。いくら頭がよくても理論が素晴らしくても、大損をして資産を溶かして無一文になったら無能の烙印が押されます。

いくら菩薩でも自分が経営する会社を倒産させたらその取引先に多大の損害を与えますし従業員は路頭に迷います。会社を倒産させる菩薩は、会社を倒産させない阿修羅・餓鬼に劣るのが現実社会です。

別に阿修羅でも餓鬼でもどちらでもいいですよ。

 

 

>ショーシャンクは、無我や無欲なんか仏教じゃない。
>仏教の中には、自分の欲望を満足させるものがきっとあるに違いない、と思っていませんか。
>涅槃に安住したい。というのも貪欲ですよ。

 

私が目指すのは、精神が無量であること、です。

精神が無量であれば、現象に無量が現れる、と思っています。

私に現れる現象がまだ無量でないということは、精神が無量でないからです。

欠乏感を抱く限り、現象には欠乏が現れます。

欠乏感の固まりが餓鬼界です。

まだ私に現れる現象が無量でないのは、精神が餓鬼界だから、つまり欠乏感を除去できてないからです。中心を持つ限り、限定が生まれ、限定がある限り欠乏感が生じます。無量になれないのです。

無量な状態を涅槃だと思っています。無量の状態に達したいというのが貪欲というのであれば、そういう貪欲ならおおいに起こしたいですね。

 

>テルゼさんの「消える自州」問題で、石飛先生が「中州」と言っていたのはある意味正解です。
>大河の中州で、激流をしっかり見つめて自己を制御する、と意味にもとれるからです

 

この文章を見ると、あなたは自州も中洲も激流も自己も、その意味するところが分かっていないように思えます。

中洲と言ったのは仏陀です。おびただしい水の中で現われている陸地というようなことで、島とも中洲とも訳されてきたのです。

中洲と言っても通常の川の中州のイメージではなく、川が氾濫して洪水になってその中にぽっかりと浮かぶ陸の部分というのが最もイメージに合います。

そして、その中洲とは何を意味しているのか?

激流とは何を意味しているのか?

芳和さんが捉えている意味と私が把握している意味とでは全く違うと感じます。

 

 

さて、「ブッダ最後の言葉」ですね。
ショーシャンクさんご自分の思いに合わない学者さんは信用しないようですが、私の初期仏教の師は
羽矢辰夫先生ですが、その著書『ゴータマ・ブッダ』にこうあります。

「修行僧たちよ。あなたたちよ、あなたたちに告げよう。もろもろの〔自己を〕形成〔する〕力は
無常である。怠ることなく修行を完成しなさい。(『ディーガ・ニカーヤ』2・156ページ)

と一般的な訳を示した上で、5ページにわたり緻密な解説がなされますが、最後がいいですね。

「ゴータマ・ブッダは最後の言葉を残して瞑想に入り、そのまま静かに亡くなったと言われます。
根底のところで転換がなされていたので、生きるも死ぬも同等に受け入れられ、静かに死を迎える
ことができたのです。」

心に染みますね。「生きるも死ぬも同等に受け入れられ」というところが核ではありませんか。
「生」と「死」を差別しない境涯となりなさいということです。
「スタート」と「ゴール」を差別しないということは、真実は始まりと終わりの途中の今にある。
要は、ゴールに多大なご利益があると「お得な彼岸」を目指すと石に躓くということです

 

芳和さんを見ていて思うのですが、芳和さんは、読んだ仏教学者の本の引用ばかりです。それはあなたの言葉ではありません。読んだ本などすべて消化して、自分の言葉で語ることが重要です。

私が食事をしているとします。食べ物を食べている途中でその口を開けてみせたらとても嫌な感じを受けるでしょう。

それと同じです。

その食べ物をのみこんで消化して自分の血肉にしたら、口を開けてもその食べ物はありません。

芳和さんが、仏教学者の解説書を夥しい量読んでいるのはわかります。

それを全部消化して、自分の言葉として語らなければ、口の中の食べ物を見せつけられているような気がします。

その言葉を見る限りでは、私はその羽矢辰夫という学者も凡庸な感じを受けます。

どうしてかというと『生きるも死ぬも同等に受け入れられ』のところです。

このことについてはまた詳しく書きます。

 

サンスクリット語にご堪能のショーシャンク大先生は、
>私が直訳するとしたら『すべてのものごとは衰滅するものである。不放逸によって行じなさい。』です。
とありますが、「行じなさい」というのは、苦集滅道の「八正道」だと思いますので行じて下さい。

 

仏陀最後の言葉

vayadhammā saṅkhārā  appamādena sampādetha

はパーリ語です。サンスクリット語ではありません。

仏陀は、自分の言葉をサンスクリット語にすること、サンスクリット語で説くことを戒律で禁じたのをご存じですか?

私はここにも仏陀の本心を見ます。

なぜ、サンスクリット語を禁じたのか?

ここを参究してみてください。

 

 

>明日の利養を貪らないで「今を真剣にいきよ」ということです。

 

今を真剣に生きる人は、目標や理想に向かっています。

例えば、仏陀は、『苦の消滅』という目標または理想を目指して修行しました。

オリンピックの選手は明日の金メダルを目指して今を真剣に生きています。

明日の理想や目標もなく今を真剣に生きることが果たして可能でしょうか?

苦の消滅も金メダルも自らの利益です。

 

>言葉を変えれば、諸行無常の先端を生きよということでしょうか。

 

諸行無常に先端も末端もありません。

形成されたものは必ず滅するのです。

三界は火宅なのです。

火宅の先端にいようが末端にいようが、どちらも焼け焦げてしまいます。

 

 

>「見落すことなく、その中に居よ」というはそういうことです。

 

紀野一義の訳

「比丘らよ、汝らに告げよう。こころ(サンカーラ・行)は移ろい易きものである。

 見落とすことなくその中に居よ」

 

vayadhammā  saṅkhārā  appamādena sampādetha

 

vayadhammā = 衰滅の法  衰滅の性質を持つ
saṅkhārā = 行  事象  すべてのものごと 
appamādena = 精励  努め励むこと 不放逸
sampādetha  = 行ず  成功する  成就する

 

紀野一義がどのような考えを持とうが何の興味もありません。

ただ、vayadhammā  saṅkhārā  appamādena     sampādetha

『こころは移ろい易きものである。

 見落とすことなくその中に居よ』

と訳すなんてありえないのです。

上の単語のどこをどう訳すとそんなでたらめな訳になるのか、教えてください。

激流の中にいよ??

石飛先生のマニカナホームページで、芳和という人の石飛先生への罵詈雑言が酷くなっていますね。

「お前も阿修羅だ!」というスレッドを立ち上げています。

芳和さんは、『石飛先生のヒステリックな矢島羊吉先生批判に「お前も阿修羅だ!」と直観されました。』と書いてあることから、この『お前』というのは石飛先生のことのようです。

芳和という人、大丈夫なのでしょうか?いろいろ心配になります。

 

その芳和という人が

『紀野一義先生は、「大般涅槃経」の釈尊最後の言葉を「比丘らよ、汝に告げよう。こころ(サンカーラ・行)は移ろい易きものである。見落とすことなく、その中に居よ」と訳します。今思えば「その中に居よ」というのは、「十界に輪廻する自己を、注意深く見つめよ」ということなのでしょう。』

と書いています。

どこかで見たような文章だと思いましたが、これはヤフー掲示板のわたしのスレッドに投稿していた紀野一義のヘンテコな訳ですね。そのときわたしに否定されたので、解釈の結論を少し変えて来ていますが、まだあの仏陀最後の言葉をこういうヘンテコな訳で解釈しているようです。

以下、そのときの投稿を載せます。ピンクの文字が芳和(和弘)さんの文章です。

 

  ⬇⬇⬇⬇⬇

 

仏陀がなぜあれほど『怠るな』と言ったのか、どうしてもわかりませんでしたが
最近、そのわけがはっきりと見えてきたような感じです。

無量の精神がおぼろげながらでも感じられてくると、人間というものが、肉体の感覚、五官によって毎瞬毎瞬、いかに制限され、限定され、欠乏感へと押し流されているかが見えてきます。
それはもの凄い激流であり万力のような強い力であり、引き摺り込まれる汚泥なのです。
今、この瞬間でも、無量のものから引き離そうとする力がいかに強力なものであるか、これを本当に見ると、仏陀の言う言葉の一つ一つが身に沁みてきます。

特に大乗仏教は悟りや救いの大安売りですが、『激流』を見てしまうと、そんな甘いものではないなと思ってしまいます。

 

<<大乗の場合は、「諸行無常に渦中にある自己」を覚る。言い換えれば「激流の渦中の主体」の自覚でしょうか。>>

 

あなたは、『激流』を見ていません。ただ、本の中、掲示板の中の『激流』という言葉を『煩悩』だとか『無常』だとか『自我』だとかいう言葉に置き換えて観念で理解したつもりになっているだけです。

 

<<釈尊の最後の言葉を紀野一義先生は、「比丘らよ、汝らに告げよう。こころ(サンカーラ・行)は移ろい易きものである。見落とすことなくその中に居よ」と訳しましたが、私はそれに賛同しています。>>

 

数々の凡庸な仏教学者が仏教なるものを仏陀の真意からかけ離れた似非仏教に仕立て上げていきました。

紀野一義もそうですね。「比丘らよ、汝らに告げよう。こころ(サンカーラ・行)は移ろい易きものである。見落とすことなくその中に居よ」などとよくそんな馬鹿な訳ができたものです。

サンカーラ=行 を『こころ』と訳すのも大間違いですが、『見落とすことなくその中に居よ』???勘弁してほしいところです。
仏陀が生涯をかけてあれほど『厭離しなさい』と繰り返した意味がまるでわかっていません。

 

さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。
 ⇑⇑⇑
この訳はパーリ語から日本語に直接訳したもので、あなたがいうような『中国人』は関係ないですね。

 

 

<<これを中国人は「怠ることなく精進せよ」と訳したため、「見落とすことなくそのなかに居よ」という忠告を、あきれた努力主義、あわれむべき苦行主義に解して、「根本苦悩からの自由」を遠いものにしてしまったということです>>

 

あなたには仏陀の理解は無理のようです。
龍樹の観念論に心酔して、自分が心で捏ねくりあげた理論を無理やり原始仏典や大乗仏典の解釈に当てはめて独善的な観念を強めているだけだからです。
「怠ることなく精進せよ」をこともあろうに『あきれた努力主義、あわれむべき苦行主義』と言うとは、あなたには仏陀を語る資格もない。


八正道の6番目は正精進です。

仏陀の教えの根本である精進が『あわれむべき苦行主義』???

精進を苦行というとは!!!

あなたの捏ねくりあげた観念論ははっきり言って似非仏教です。

 

 

<<釈尊の最後の言葉を紀野一義先生は、「比丘らよ、汝らに告げよう。こころ(サンカーラ・行)は移ろい易きものである。見落とすことなくその中に居よ」と訳しましたが、私はそれに賛同しています。>>

 

 

さて、問題の仏陀最後の言葉は


vayadhammā saṅkhārā  appamādena sampādetha


です。

 

vayadhammā = 衰滅の法  衰滅の性質を持つ
saṅkhārā = 行  事象  すべてのものごと 
appamādena = 精励  努め励むこと 不放逸
sampādetha  = 行ず  成功する  成就する

 

これを中村元は『 もろもろの事象は過ぎ去るものである。 怠ることなく修行を完成なさい。』と訳しました。

 

私が直訳するとしたら『すべてのものごとは衰滅するものである。不放逸によって行じなさい。』です。

 

このパーリ語の原文から、どうしたら
『こころは移ろい易きものである。見落とすことなくその中に居よ。』になるでしょうか。
絶対になりません。

 

<<中国人って「インドの言葉を中国語に訳して、またそれを日本語に訳した仏道の翻訳家達」の誰かの事だと思う。>>


パーリ語から日本語に直接訳しても、上記の意味です。
紀野一義の訳は全くの間違いです。

 

<<釈尊は、「行」を重んじ、「行」そのものとして生きよ、決して知識としてとらえるな言われたという見解に、私は賛同しています。>>


行じることを重んじたから『 怠ることなく修行を完成なさい』と言ったのです。

 

 

~~~~~~

 

和弘という人も、他のスレッドでやってほしいんですよね。
私のこのスレッドで、仏陀の言葉をトンデモ解説されると、どうしても反論してしまいます。
もう、あまりにも仏陀の真意からかけ離れすぎているので、指摘するのも疲れてきました。

他のスレッドでいくら何を言っても私には何の興味もないですから、他のスレでお願いしたいです。
何度もそう言っているのですが、このスレにトンデモ解説を書き込んでいきます。
何が目的なのかがわかりません。

 

~~~~~~


<<これを中国人は「怠ることなく精進せよ」と訳したため、「見落とすことなくそのなかに居よ」という忠告を、あきれた努力主義、あわれむべき苦行主義に解して、「根本苦悩からの自由」を遠いものにしてしまったということです。釈尊は、「行」を重んじ、「行」そのものとして生きよ、決して知識としてとらえるな言われたという見解に、私は賛同しています。「激流の心を見落とすことなく、注意深く、見落とすことなくそのなかに居よ」あくまで行において、激流の随所においてですが、「今・ここを、深刻にならずに真剣に生きる」ことを心がけたいと思います。〈いのち〉は刹那生滅という、激流の「今・ここ」の連続なのですから、かけがえのない「今・ここ」を大切にしたいものです。>>

 

このように書いているのは、仏陀とは正反対のことです。
激流の中に居よ????ですって?とんでもないことです。

私を含めすべての人類は、激流の中に居て圧倒的な力で押し流されているのです。
だから、仏陀は【自己を島(洲)とせよ。法を島(洲)とせよ。】と教えました。
激流の中に居てはいけない、島を作ってそこに避難しなさい、ということです。

そして、【自己を島(洲)とせよ。法を島(洲)とせよ。】とは何か、と言って
それは四念処観だと示しました。

仏陀はその生涯において、人類に向かって『あなたはいま激流の中に居るんだ。すぐそこから逃げなさい、離れなさい、島を作りなさい、向こう岸に渡りなさい』と言ったのです。
そして怠ることなく、島を作って激流に流されないようにするように言ったのです。

それを、『激流に居なさい』とか『怠るなというのは苦行主義』とかいうのは
仏陀の教えと正反対の妄言だとわかりませんか?

マニカナの閲覧者さんからの質問

くり (58.191.192.212)  

ショーシャンクさま、高原さま 初めまして。
くりと申します。
 
ショーシャンクさまのmanikanaでの石飛先生との真摯な議論をある種の感動を持って読ませていただいた、仏教は初心者の者です。
ショーシャンクさまには改めてお礼申しあげます。
 
高原さまのこのコメントで一つどうしても気になったことがありましたので今回思い切ってコメントされて頂きました。
 
>芳和さんが松原泰道という人の本で読んだという言葉。
>「如来とは、釈尊の語った真理の内容を人格化したもの」
>「菩薩とは、釈尊の修行の内容を人格化したもの」
>これに石飛道子さんも同意の言葉を付けてられます。
 
ここなのですが、この芳和さまという人がmanikanaで立てた「[No.17944] あの世とかの世をともに捨てる――菩薩」というトピのことだと思うのですが、それには誰もレスされておらず、もちろん、石飛先生も何の言葉を発しておられません。
これはどういうわけでしょうか?
お教え頂ければ幸いです。

 

 

くりさん、はじめまして。来ていただいてありがとうございます。

高原さんへのご質問のようですから、高原さんから回答があるかと思います。

そののちにコメントさせていただきます。

これからもよろしくお願いいたします。

 

 

高原 (126.42.33.248)  

くりさん、はじめまして。
石飛道子さんのとこですね、そこ、芳和さんと石飛道子さんのやりとりをずっと追って読んでいたのですが、「如来と菩薩」のとこが気になって、石飛さんも返信をしてらしたような記憶があったんです。
とりあえず、ショーシャンクさんのブログに自分の意見を書かせてもらうとしても、あんまり正確さを欠くことは出来ないと思い、松原泰道さんの言葉の引用まではたどり着いて、とても探すのに時間がかかり、芳和さんのとこは写したのですが、石飛さんのところは最初の記憶だけで書いて、たぶん確認作業は怠っています。
結構、芳和さんのお話に、あとから石飛さんも「そう思います」と書かれている流れが多かったので、ぼくの記憶の中でごっちゃになったのかも知れません。
正確さに欠いたのあれば、ごめんなさい。申し訳ないです。
 
 
 
くり (58.191.192.212)  
高原さま こちらこそ初めまして。
早々にご返答ありがとうございます。
高原さまがその時の様子を詳しく書いていただいたのて、わたしの疑問は霧消いたしました。 お礼申しあげます。
当方、何ごとにおいても未熟な者ですが、これからも宜しくお願いいたします。

 

 

 

マニカナの石飛先生は龍樹の研究家です。

芳和さんという人も、龍樹がメインで唯識、道元などに親しい感じです。

春間さんもまさしく興味分野は芳和さんと全く同じです。

ですから、芳和さんは、マニカナの分野とぴったり一致しているので、今になってはじめて参加するということに驚くばかりです。

私はヤフー掲示板ではもともと株式板ばかりでしたし、東哲板(哲学板)にスレッドを立てたのはヤフー掲示板が廃止される1年半くらい前でした。

ですから、東哲板のそれ以前については全く知りません。

しかし、芳和さんにしても春間さんにしてもかなり前からの東哲板住人だったでしょうから、芳和さんははるか昔にマニカナに参加しているとばかり思っていました。

春間さんの努力によってヤフー掲示板の人が多くマニカナに参加しているようですから。

イストランさんとテルゼさんというのは名前はよく出ていましたが、その文章を見るのは初めてでした。

テルゼさんと石飛先生の間の『消える中洲』論争は非常に面白いですね。

自洲法洲の中洲は消えるものなのか、という論争です。

これは仏陀の法の根幹に関わるものなので、もっと掘り下げてよかったと思います。

テルゼという人は感情が先走りすぎて、せっかくのいい論点がただの口げんかのようになってしまっているのは残念です。

 

『仏教は無我』を標榜する人にとって『自洲法洲』の『自』は難問です。

 

~~~~~

 

芳和さん、投稿されたようですね。

石飛先生は認めることが上手な先生ですから、どんどん投稿されたらいいと思います。

石飛先生、春間さん、芳和さんは、龍樹メインで唯識、道元などに興味範囲が広がっていますのでぴったり一致しています。

有益なものとなるでしょう。

 

わたしは、後世形成された仏教なるものの全否定から入って、仏陀より後世の宗祖たちから見た仏教知識を白紙にして仏陀の真意を探求しようとしてますので、龍樹の解釈から仏教を見ようとする立場とは正反対です。

わたしの場合どうしても正反対の見地から問題提起という形になってしまうので、本当に龍樹を掘り下げるには、龍樹信奉者が集まって掘り下げたほうがいいのは当然です。

賑わいが戻ればいいですね。

 

 

 

~~~~~

 

昨日、上の文章のように書いたのですが、今日(10月13日)のマニカナでの芳和さんの投稿を見てびっくりしました。

懺悔をして自我解体するとさかんに言っていたのに、自分の愛読する著者を少し批判された途端、人格が一変してますね。

  ⬇

※※※※※

 [No.18025] Re:相対性理論と「 縁起 」投稿者:芳和   投稿日:2020/10/13(Tue) 12:59:38

――龍樹を踏み台にする石飛先生――

ふ・ふ・ふ……。
「空の成立する人には一切が成立し、空の成立しない人には一切が成立しない」
矢島先生を排除しようとする石飛先生には、「一切の成立」がないということです。
矢島先生は、一切が成立した上でのご発言です。

>いいかえれば、『中論頌』を自分の踏み台にしている。仕方ない人だなあ、って思います。

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」と言いますが、墓穴を掘りましたね。
「一切の見解を捨てること」の「一切」とは「何から何まで」。ご自分の見解を含めてです。
そこで、「自我の解体」という無我が立ち現れますが、石飛先生にはそれがありませんから、
学者という名利から離れならず、矢島羊吉先生を邪魔ものとして排除しようとします。
商売に支障を来すので恐いですか

 

名利のために、龍樹を踏み台にしているのは石飛先生、貴女です。

 

仏教学者以外の方の方が空の正見ができるのかも知れません。

そいうことで、石飛先生においては、空の成立が成されていないことが判明したようです。
まあ、そういう方々には仏性はあるといいますから、空の成立することを祈っています。

『中論頌』は、縁起の否定、自己否定です。

※※※※※

 

わたしは龍樹には興味がないので、どちらがどうという感想は全くありませんが、芳和さんはほんの2週間前にマナカナに初めて来たときには『自己の見解を主張し過ぎて、相手を追い詰めてしまう阿修羅性の心癖を懺悔する者として、自己の見解に固執しないという「空」を今更ながらに頷きます。』と殊勝なことを書いてたのに、結局、ヤフー掲示板のときと何も変わってないですね。

自分の愛読している著者を少し批判されただけで、ここまで石飛先生を罵倒するとは。

いままで言い続けてきた『懺悔』や『自我の解体』や『無我』はどこに行ってしまったのでしょう。

口で言ってることと実際の振る舞いが違います。

まあ、『自分はいつも目覚めている』という人で、『犯罪者でも誰でも、すべては縁起や因果で、その人はそういう行動をするしかなかったので責めても仕方ない』をどこでも主張している人が、ブログで無駄話している人を見つけては血相変えて飛んでいって責めることを延々繰り返しているとか、口で言ってることと振る舞いが全く違う人はいますけど(笑) 殺人犯した人も縁起や因果でそういう行動をするしかないと思うのであれば、ネットで無駄話している人を自分のホームページでもないのにいちいちチェックして血相変えて責めに行くのはどう見てもおかしいと、自分で気がつかないようです。そういう人は多いですね。

芳和さんももう少し大人になっているかと思いましたが。

 

石飛先生と春間さんと芳和さんという龍樹信奉者が三人集まったのですから仲良く深い話が展開すると期待していたのに、残念です。

 

芳和さんは、論争をしないようにというスッタニパータの言葉を引いていますが、そもそも龍樹その人が説一切有部との論争に明け暮れていた人ですからね。

それも非常に攻撃的です。

ですから、多くの人に恨まれていたみたいで、小乗の僧に向かって『お前はわたしが長生きするのはうれしくないだろう』と聞いて『その通りだ』という答えを受け取った後、部屋に閉じこもって死んでいきます。これで龍樹は自殺したと考える人もいるようです。

 

その人生を見てもなんとも破天荒で攻撃的です。

なぜ龍樹が大乗仏教の祖といわれるようになったかについてはわたしの考えがあるのですがここでは伏せます。

 

龍樹の本のレビューにこのようなことを書いていた人がいました。

◆決定的な問題点: 

●悟りも救いも得られません。

●そもそも仏教は生きることが苦しみであるとしそこから救われる事が目的であり、空思想はその手段です。

●しかし本書で空思想を理解しても、何も楽になりません。救われません。他者を救えません。空思想と現実生活をつなぐものが何も示されていません。

●2章8節『否定の論理の実践』に期待しましたが、上記の疑問とは別の議論がされています。

それどころか徹底した否定の論理は『ニルヴァーナは存在しない』と結論します。

そして同節1項の最後の2行、中村先生の言葉で『各人の体験を通して理解するよりほかに仕方ない』と突き放されて終わりです。

●おそらく現存する龍樹の著作には、答えが無いのでしょう。

本書では竜樹の活動が論敵・説一切有部との論戦である事を示し、その議論に基づいて空思想が説明されています

 

さて、どうなのでしょうか。

 

~~~~~

 

 

 

 

マニカナに投稿したわたしの文章を載せておきます。

対話形式なので、わたしの文章だけをピックアップすると前後わかりづらいとは思いますが、あえてわたしの部分だけ載せます。

 

~~~

 

石飛先生は
『心臓の中にある光明を、ヤージュニャヴァルキヤは「プルシャ」とも呼び、「アートマン」とも呼びました。
心臓の中に「人」の形をしたプルシャがあるのだ、ということもいわれます。いつでも、「人」を離れられないのが、
ヤージュニャヴァルキヤなのか。相対的な考え方から離れられないことになってしまうような気がしてなりません。
ヤージュニャヴァルキヤは、肯定と否定、能動と受動など、いつもこの相対的な判断から離れません』
と書かれていました。

確かにヤージュニャヴァルキヤは自己(アートマン)を心臓の中の虚空に横たわっているという言い方をしている箇所があり、
ここは残念なところです。

しかし、私は、仏陀(ゴータマ・シッダッタ)が最も影響を受けたのはヤージュニャヴァルキヤだと考えます。
仏陀の教えの骨格はヤージュニャヴァルキヤにあるように思えます。

自己(アートマン)を『~に非ず ~に非ず』としたこと。
行為(業)によって輪廻転生すること。
妻を捨てて出家するという生き方。

これらを見ると、青年期のゴータマ・シッダッタはヤージュニャヴァルキヤの教えに甚大な影響を受けて出家し
行為や欲望を滅して不生に到達しようとしますがかなわず
ついに、行為や欲望のもっと元に、真の原因たる無明(苦を知らないこと)があることを発見し(四諦十二縁起)
独自のやり方で成道したのではないかと思えるのです。

ですから、仏陀は独自にそれまでにないやり方で無上の悟りを開いたのですから天上天下唯我独尊であることは確かですが
それに至るまでにヤージュニャヴァルキヤの影響は非常に大きいものがあると思っています。

 

~~~

 

仏陀が言った『私には師はない』ということと
仏陀はヤージュニャヴァルキヤの影響を受けているということとは
別に矛盾しません。

師弟というのは双方向で、教え教えられの関係です。
本だけを読んでその人から直接教えを受けていないのであれば
師弟関係とは言いません。

青年期の仏陀が、インドの聖典を読んだこともなく影響を全く受けてないと思う方が現実的ではありません。
『ヴェーダの達人』とも呼ばれていますから、かなりインドの聖典には精通していたはずです。

これは、イエス・キリストが旧約聖書に詳しくて、人々が驚いたという記述を思い出させます。

イエス・キリストがそれまでの聖書(旧約聖書)を飛び越えたように
仏陀もヤージュニャヴァルキヤの教えを飛び越えて、全くそれまで到達したことのないところまで行ったと考えます。
無明=苦を知らないこと という発見はその最たるものでしょう。

 

~~~

 

自己を『~に非ず』としか言えないとした点と
祭祀で自己に到達するのではないとした点、
ここにヤージュニャヴァルキヤの影響を見ているのです。



シュラマナですね。
ただ、シュラマナは、釈尊の時代以前から伝統的であったわけではなく、釈尊の自由思想家の時代になって流行したものです。

シュラマナでなくバラモンの出家はそれ以前にもあったと思いますが、名前が残っているもので最初はヤージュニャヴァルキヤです。

特にヤージュニャヴァルキヤの、妻を捨てて出家するという生き方は、
青年期のゴータマ・シッダッタの出家の決断に大きく影響を与えたのではないかと思っています。


このように、私は、ゴータマ・シッダッタの考えや生き方にヤージュニャヴァルキヤは大きく影響を与えたと思っているのです。

影響を受けた可能性について述べているだけですから、
もし何でもかんでも否定したいのであれば、ちゃんとした根拠を示してください。

むしろ、古代のインドにおいて、悟りを求めている青年が、インドの聖典を読み影響を受けたと考えるのは自然だと思いますよ。

 

~~~

 

私が、仏陀がヤージュニャヴァルキヤの影響を強く受けたと思っているのは、
出家の動機からスジャーターが差し出した乳粥を受け取って飲んだときまでだと思います。


ある音楽評論家が、ベートーヴェン交響曲3番『英雄』を『これから先、ベートーヴェン』と評したことがありますが
乳粥を飲んだときから、『これから先、ゴータマ・シッダッタ』なのだろうと思います。
それまでは、ヤージュニャヴァルキヤを頂点としたヴェーダ宗教の影響下だと考えます。

出家の決断に関しても、ヤージュニャヴァルキヤが妻を捨てて出家したエピソードはかなり強く後押ししたはずです。
2人の仙人に、無所有定、非想非非想定を習ったのも、それを捨てて断食行に入ったのも
それまでの伝統的な考えの影響下でしょう。

 

~~~

 

現代の日本では、それは成り立つと思います。
『仏陀は私の心の師だ』と言って何の違和感もありません。
本で読んだ哲学者を師とするのはよくあることです。

しかし、ミラレパがマルパに弟子入りしたときや、慧可が達磨に弟子入りしたときのことを思うと
特にそれ以前の古代インドにおいて、弟子入りして師弟関係を結ぶというのは少なくとも師がその人を弟子と認めることが必要ではなかったでしょうか。
そういう意味の双方向です。
仏陀そしてその後の仏教であれば、師が弟子に戒を授けるということが必須だったと思います。
ですから、仏陀がヤージュニャヴァルキヤに影響を受けていたとしても『私には師はない』ということは矛盾しないと思います。

 

~~~

 

六師外道というのはひとつのキーポイントだと思います。
私が注目するのは、六師外道が、六師ともいわゆるバラモン教でないことです。
六師とも仏陀と同じ自由思想家です。
なぜ、それを『外道』の代表としたのか、そこに興味があります。
仏陀は『ヴェーダの達人』と呼ばれていました。
石飛先生によると、仏陀自身が『私はヴェーダの達人だよ』と言ったとのことです。

このことから、仏陀自身は、自身をヴェーダの流れにあるものという認識だったのではないかと考えます。

仏陀が、バラモン教を全否定したというイメージは弟子たちによって作られたものではないかと思うのです。

イエス・キリストが、ファリサイ人やその律法学者ばかりを攻撃したように記述されていてユダヤ教を否定したように思う人がいるように。

これも、どうしてサドカイ派でなくファリサイ派ばかり?と疑問に思っています。

 

 

~~~

 

私も、仏陀がヴェーダをそのまま受け継いだとは思っていません。
ヴェーダを土壌としつつ、それをはるかに超えた法に至ったと思っています。

ただ、今までの仏教解釈では、ヴェーダ、いわゆるバラモン教を仏陀が全否定したということが強固に信じられていますから
それでは本当の仏陀の真意はわからないと思っているところです。

ユダヤ教を知らないとイエス・キリストは分からないように。

 

~~~

 

イエス在世時は、サドカイ派も存在し、サドカイ派の方が権力に入り込んでいましたし、イエスの教えに反しているのはサドカイ派の考えで
ファリサイ派はイエスの考えに近いですし庶民派でもあります。
当然、イエスはサドカイ派の方を攻撃してもおかしくないですが、なぜか、ファリサイ派とその律法学者ばかり攻撃してます。
ここが不思議で仕方ないです。

ということは、神殿破壊でサドカイ派が消滅してから、ユダヤ教=ファリサイ派となりましたので
神殿破壊後に、弟子が記述したことから、ファリサイ派を攻撃している場面を選んだのではないかと思います。
ユダヤ教=ファリサイ派をイエスは否定したという印象をつけたかったのではないかと思うのです。

それと同じことが、仏陀の弟子にもあって、仏陀の死後、バラモン教の否定ということが強調されたと見ています。

 

 

 

~~~

 

 

例えば、イスラム教の聖典コーランを読んでも、規律や規則、礼拝の仕方などばかりで砂をかむような思いがします。
そういうイスラム教の中でもスーフィズムが生まれてる。
魂の救済や神と一つになろうとする姿勢があって、潤いを感じるのです。
規則規律ばかりの外面的なものばかりでなく、内面を掘り下げようとするところがあることに
ホッとするのです。

 

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例えば、スーフィーの詩にこういうのがあります。

※※※※※

「神化」

蠅が蜜に落ちる。
体のどこもかしこも、部位の別なく
蜜に絡めとられて動かなくなる。

「イスティグラーク」、すなわち
忘我の境地というのは、このような状態を指す。
自意識を消滅せしめ主導権の全てを放棄した者。

その者より生じるいかなるものも、
全てその原因はその者には属さない。

水に溺れてもがいている者、あがいている者、
「溺れてしまう、沈んでしまう」と助けを求めて叫ぶ者、
そうした者は未だ「イスティグラーク」に至ってはいない。

『アナー・アル・ハック』

すなわち「われは真理(神)なり」という言は、
この境地を象徴するのにまさしく的を射ている。

人びとは考える、何という暴言、何という傲慢、と。
人びとは考える、『アナー・アル・アブド』、
すなわち「われは神のしもべなり」、
という言こそ真の謙譲を表わすのにふさわしい、と。

断じて違う。

『アナー・アル・ハック』

「われは真理なり(神なり)」こそが、
真の謙譲を表わす言である。

『アナー・アル・アブド』

「われは神のしもべなり」と言うとき、
その者は未だふたつ以上の存在を認めているのである。
しもべ、などと上辺では卑しみつつも、
しもべたる自己と神とが同等に存在する、と主張しているのである。
自己などというものを、未だ捨て切れずにいるのである。

『アナー・アル・ハック』

「われは真理なり(神なり)」と言うとき、
その者は自己を消滅し尽くしている。
そのとき、そこに自己などというものは存在しない。
ただ神のみが存在する。

これこそが真の謙譲、最大の奉仕である。

※※※※※

なんか、こういう詩が、あのイスラム教から生まれたというのが奇跡的な気がします。
砂漠の中のオアシスのような気がします。

 

~~~

 

キリスト教を知らない日本人がよく間違うことですが
旧約聖書、新約聖書を、旧訳聖書、新訳聖書と思っている人が多いのです。
どのように訳したか、どのように解釈したか、ではないのです。

約というのが契約のこと、それも神との契約のことだと知らないのです。

契約にどのように読むかの問題は起きません。

シナイ契約が旧約聖書での神と人との契約です。石の板に書いた契約です。

そして、新しい契約は、心の中に書かれ、完全な罪の赦しがもたらされます。
最後の晩餐のときに聖杯によって契約されました。
これが新しい契約です。 

 

~~~

 

あなたに提案ですが、条件反射のように反応せずに、
指し示す文献を確かめてから否定なり反応すればいいのではないですか?
特にこのような仏教やキリスト教のことを言っているときは、
文献を確かめていないときには否定も判断もするべきではないでしょうね。

指摘しているのは非常に重要な場面です。


【マタイ福音書】

『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』



【マルコ福音書】

『これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』

 


【ルカ福音書】 

『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。』

 

 

 

~~~

 

 

ただ、一点だけ非常に紛らわしいのでお聞きします。

バラモンは
『あなたのようなヴェーダの達人にお会いできたのですから、わが供物は真実の供物であれかし。
梵天こそ証人としてみそなわせ。先生! ねがわくはわたくしから受けてください。
先生、ねがわくはわがお供えの菓子を召し上がってください。』
と仏陀に懇願します。

それに対しての仏陀の答えが
『詩を唱えて得たものを、わたくしは食うてはならない。
バラモンよ、これは正しく見る人々(目ざめた人々、諸仏)のなすきまりではない。
詩を唱えて得たものを目ざめた人々(諸仏)は斥けたもう。
バラモンよ。このきまりが存するのであるから、これが(目ざめた人々、諸仏の)行いのしかた(実践法)である。』
と言います。

それに続けて
『全き者である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し悪行による悔恨の消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。
けだしそれは功徳を積もうと望む者(福)田であるからである。』
と言います。

この対話を見ると、
『お供えの菓子を召し上がってください』という願いに対し
『詩を唱えて得たものを、わたくしは食うてはならない。』と拒否して
さらに
『他の飲食をささげよ。』と言っています。

これを素直に読めば、
つまり、お供えの菓子を『詩を唱えて得たもの』(確かに祭祀のときにヴェーダの詩句を唱えます)と考えて拒否したと受け取れる記述です。
祭祀のお供えの菓子ではない、他の飲食をささげよ、と言っているように見えます。

ここの記述がどうしてもつながらないのです。

 

 

~~~

 

 

あれから、中村元の註を読んでみましたら、どうも中村元も私と同じように読み違えているようです。

『詩を唱えて得たもの』というのを、バラモンがヴェーダの詩句を唱えて布施を得ていたことの否定だと書いていました。

しかし、これは中村元の方の間違いですね。

「田を耕すバーラドヴァージャ」経を読んでみますと、田を耕すバラモンの差し出す乳粥も拒否しています。
このバラモンはヴェーダの詩句を唱えてこの乳粥を得たわけではないのに拒否してます。
この場面でも、仏陀は詩を唱えています。

ですから、石飛先生が言われるように、これは仏陀が詩を唱えた対価として受け取ることを拒否したということだとわかりました。


ただ、少し釈然としないのは
そうであれば『他の飲食をささげよ』の『他の飲食』となぜ言ったのか?ということと
この乳粥がなぜ『如来とその弟子以外は食べることが出来ない』のか?
ここを少し自分で考えてみます。

 

 

~~~

 

 

スッタニパータは本当に難しいですね。
どうしても矛盾点が出てきます。

「田を耕すバーラドヴァージャ」経で考えてみますと、

まず中村元の説で検証してみます。
バラモンはヴェーダの詩句を唱えて布施をもらっているので、
バラモンから回ってきたものはすべて『詩句を唱えて得たもの』だから諸仏はそれを食べてはいけない、
と解釈する説です。

しかし、「田を耕すバーラドヴァージャ」経では、仏陀自らがこのバラモンから食を受けるために立っていたとあります。
これだと受け取ってはいけないのを知りながら受けようとしたことになりますから、矛盾します。

また、諸仏は食べてはいけない習わしでも、他の大多数の人たちは食べていいはずです。
なのに、この乳粥は如来と弟子以外は消化できないことになっています。これも矛盾です。

次に、石飛先生の説です。
仏陀が詩句を唱えたので、その対価としては布施は受け取ってはいけない、という解釈です。
しかし、それであればその食べ物(ここでは乳粥)には何の落ち度もないはずです。
仏陀が詩句を唱えなければ、その乳粥をもらうことはいいはずです。
しかし、『他の飲食をささげよ』と言います。
これは矛盾です。
また、この乳粥はなぜか如来とその弟子しか消化できないことになっています。
これも理由が見当たりません。


考えてみましたが、どう解釈しても、矛盾が起きます。

 

~~~

 

> 『スッタニパータ』は、バラモン文化にもある程度の関心をもっている必要がありますね。

これは本当にそう感じます。現代の日本の視点では絶対に分からないのではないかと思います。
その時代のインドに降り立った視点が必要となるのでしょう。
ですから、スッタニパータは難解です。


> この田を耕すバーラドヴァージャは、農家の中ではかなり豊かな方ではないかと思います。


はい。非常に裕福なバラモンだったと思います。
『500挺の鋤を牛に結び付けた』とあります。
さすがに1頭の牛に500挺の鋤は結びつけませんから何百頭もの牛を所有していたということです。
牛はこの時代のインドでは資産の中でも最も価値があるものだったと思います。
非常な資産家ですね。

> バラモンとはいえ、職業として農業も営む人もいました。

> 祭式だけで食べていける人は、そう多くはなかったため、実際はいろいろな職業についていたことも考えられます。

確かにそうなのでしょうね。日本の神社の神主さんのようなものだったと思います。
祭祀だけで食べていけない人もいたでしょう。
ただ、このバラモンは非常に裕福です。これだけ資産があれば何もしなくても食べていける立場だったかもしれません。
このバラモンが田を耕しているのは、自分の信念からだと思います。
ですから、労働もせずに乞食している仏陀をたしなめたのでしょう。

たぶん、所有する牛は乳牛でも最も価値が高い若い牝牛だったのでしょう。
田でつくっていたのは米でしょう。
そこから穫れる大量の米と牛乳で乳粥を作り、多くの人に施していたのでしょう。



> そうなると、その食べ物は、もはやただの乳がゆを超えていると、考えられることになるのではないかと思います。

> 貧しい人が、心を込めて捧げた粗末な食べ物に、ブッダのような聖者は非常に価値を見いだします。心を込めたお布施というのが大事になってくると考えられます。
> ですから、ブッダに捧げたものは、ブッダが受け取らないなら、もはや、それは行き場を失ってしまうということではないでしょうか。

よくわかりました。
おっしゃる通りだと思います。
ありがとうございます。

今回、石飛先生の解説によって
仏陀とは福田であり続けることなのだとわかりました。
そして仏陀に捧げたことで価値の変換をもたらすのだとわかりました。

大学の先生は授業によって、学生に知識を与え、その対価として報酬をもらいます。
私などは、商品をお客に売って、その対価としてお金をもらいます。

しかし、出家者はそういう対価での取引でなく、すべての人にとっての福田でなければならないのですね。
その福田に種を蒔いた人(お布施をあげた人)が、多くの収穫、多くの功徳が得られるような良き田でなくてはいけない、
ここのあり方が実感としてわかった気がします。  

 

~~~

 

仏陀は、衆生にとっての福田であるということ。衆生に功徳をもたらす良き田であること。
出家者、修行者は、福田になるように精進し、衆生は大きな功徳をもたらす福田を選んで種をまく(供養をする)のだと。

そして、バーラドヴァージャの乳がゆはすでに、バーラドヴァージャの感銘とともに、心を込めてブッダに捧げられているので
仏陀以外には消化できないものとなり、チッチタ、チッチタと音を立てて、大いに湯煙を出したという解釈です。

それであれば
「乳粥の熱」が、「この私が、自分の所有している物を、与えてやったのだ」という自己へのこだわりで、逆に我執を強めて善行の底にも潜む末那識という燃えるような我執によるもの、
燃える我執によってチッチタ、チッチタと音を立てて、大いに湯煙を出したという解釈とは正反対です。
これだと、我執による布施である乳粥に落ち度があることになります。


どういう解釈をしてもそれは自由です。
ただ、『その解釈は解釈でわかるけど、自分の解釈とは違うものだ』ということははっきりさせないと
道に真摯ではないということになります。


実際、自分の功徳を求めないお布施などあり得ないのです。
仏陀は、むしろ、自分の功徳を積むことを奨励し、その最も大きな功徳が仏への供養としました。
それで仏教システムは今日まで東南アジアでは存続しています。
大パリニッバーナ経にも、
『悪い行いをする者には、5つの禍いがふりかかる。
まず、財産を失う。次に、悪い評判が広まる。それから、人と会えばおどおどしてしまい不安が離れず、死ぬ時には恐怖で精神が錯乱する。そして、死後は地獄に堕ちる。
これが、悪い行いをする者にふりかかる5つの禍いである。それとは反対に、善い行いをする者には5つの善果がもたらされる。
まず、品行が善いことで富を得る。次に、善い評判が広まる。それから、どのような人と会っても堂々としていて、
死ぬときも恐怖にのたうちまわることがない。そして、死後は天にのぼる。』
と言っており、自分に利益があるから善行をしろと言っています。そんな我欲で布施をするなとは言っていません。

我執が少しでもあるお布施が、誰も消化できないものになるのであれば、今もさかんに行われている仏教のお布施はすべて
チッチタ、チッチタと音を立てて湯煙を出してしまうことになります。

 

~~~

 

石飛先生の解説によってはっきりわかったことは、
仏陀とは、福田、よき田であることです。
衆生が布施をするのは、田に種を蒔くこと。
大きな収穫が得られる田がよき田であり、福田です。
この場合の収穫とは功徳のことです。

故に出家者は、良き田になるべく精進しなければならないし
衆生は多くの功徳をもたらす出家者を選んでお布施をする、というシステムなのだということです。

ここにおいて、お布施をする衆生は大きな功徳を求めてするのです。
なぜ功徳を求めるかというとそれが良い生、今世か来世か、どちらにしてもその人が望む良い生を願っているからです。

仏陀は『悪い行いをする者には、5つの禍いがふりかかる。まず、財産を失う。次に、悪い評判が広まる。それから、人と会えばおどおどしてしまい不安が離れず、死ぬ時には恐怖で精神が錯乱する。そして、死後は地獄に堕ちる。
これが、悪い行いをする者にふりかかる5つの禍いである。それとは反対に、善い行いをする者には5つの善果がもたらされる。
まず、品行が善いことで富を得る。次に、善い評判が広まる。それから、どのような人と会っても堂々としていて、
死ぬときも恐怖にのたうちまわることがない。そして、死後は天にのぼる。』と言っており
自分に利益があるから善行をしなさいと説いています。
自分の利益を考えるのは我執だから駄目だということはありませんでした。

同じ大パリニッバーナ経には、遊女と貴公子が、仏陀への食事の供養を自分にやらせてくれと譲る譲らないで争う場面があります。
争ってまで、『自分が』仏陀に食事を提供しようとしているのです。
それは、遊女も貴公子も同じく良き生(今世か来世かはわかりませんが)を望み供養をしようとしているのです。
それは我執と言えば我執でしょう。
我執が全くないなら、他の人が仏陀に供養してもいいはずですから。

自分や自分のものという見解をすっかり滅ぼした人はすでに解脱しているのです。
その人そのものが『福田』『良き田』になっているのです。
それはもう供養される側、応供となっています。
ですから、そこまで解脱することをお布施をする側には求めていません。
仏陀は、お布施をする人の中の『自分のものを差し上げたい』そして『大きな功徳を得たい』という心を咎めたりしてません。
むしろ奨励したからこそ、このシステムは今も仏教を支えているのだと、石飛先生の解説で気づきました。

 

~~~

 

どこを目指しているとか、そういうことを言っているのではありません。


なぜ乳粥が、湯煙を上げて仏陀以外には食べられないものとなったのか?について話し合っています。

石飛先生の解説では、
仏陀が詩句を唱えたので受け取らなかった、
そして、乳がゆはすでに、バラモンであるバーラドヴァージャの感銘とともに、心を込めてブッダに捧げられているので、
本来であれば、仏陀が食べるべきものとなっており、そのために仏陀以外は消化できないものとなった、
つまり仏陀以外には捧げられないほど崇高なものとなった、ということでした。
崇高という言葉は私が勝手につけたのですが、つまりは、ブッダにささげられて特定され特別なものとなった、みたいな感じです。

芳和さんの説では
布施をしたバーラドヴァージャに『自分がした』という我執があったので、その我執(エゴ)の熱により
乳粥は湯煙を上げ食べられないものとなった、ということでした。

この2つの説はまさしく正反対なので、その違いについて語れば新たな気づきもあると思います。
正反対の解釈なので、『正しく見ている』のはどちらか、が知りたいのです。


もし、自分の功徳を求めてお布施をすることが我執であり、
そういう我執が少しでもあれば湯煙を立てて食べられなくなるのであれば
いま特に東南アジアで行なわれているお布施などは、すべて湯煙を立ててしまう、と書いたのです。

お布施に自分の功徳などは求めないことが本当で心の底にでもそんなことがあると
食べられなくなるほど駄目なものだ、という結論は、仏陀が在家に説いた教えの数々からするとあり得ないような気がします。
現実の世界を見ない空論のように思えるのです。

よって、湯煙を立てたのは、石飛先生の解説の『ブッダに捧げられたものだから』というのが正しいように思えたのですが
どうでしょうか、と問題提起してみたのです。

 

~~~

 

芳和さん

そうですか。わかりました。前と同じスタンスですね。
大乗仏教や唯識論の理論をもって、『スッタニパータ』などの古層の原始仏典を解釈するというスタンスです。

原始仏典の中でも『スッタニパータ』は非常に難解です。
その難解さは、まだ理論が整っていない最初期の段階の仏教が生々しく描かれているからだと思います。
歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのかを探求している私にとっては、そういう難解さは貴重です。
まだ後世の手があまり入っていないからです。

何度も言いますように
『スッタニパータ』にしても『法華経』にしても、百人いれば百通りの読み方があっていいと思っていますよ。

ただ、単純にパーリ語の読み間違いなどで私自身、全く違った解釈をしていることはままありますから
いろいろな人の意見を聞くのは非常に参考になることだと感じています。

ヤフー掲示板の『東哲板』には私はヤフー掲示板が終了する直前の1年半くらい前にはじめて自分のスレッドを立てました。
それまでは、ヤフー掲示板の株式板と映画板に長く自分のスレッドを持っていました。
哲学カテゴリーにいたことは1年あまりの短期間でしたが、いろいろな人が私のスレッドに来てくれました。

その中で、人の話は聞かずに、自分の理論だけ滔々と投稿する人も何人かいました。

異なった意見でもいろいろやりとりしていれば非常に参考になるのにもったいないことだと思っていました。


『この経典にはこうあるから、仏陀はこう考えたのではないか』というようなやりとりができれば面白いと思っていましたが
そういう場でないのかもしれませんね。

 

~~~

 

芳和さん、はじめまして。
といっても、はじめましてではないですね。
ヤフー掲示板のとき、よく私のスレッドに来られていましたよね。
春間さんもよく来られて、ジャンヌダルクのことなどで言い合ったりしました。
春間さんも芳和さんもご自分の理論を披露することが多かったので
それほど会話はなかったかもしれませんが。

乳粥が湯気を出した件については、私は中村元の説の通りと思っていました。
バラモンは詩句を唱えて布施をもらうので、バラモンからは受け取らないのだという説です。

しかし、石飛先生は、そうではなく、
仏陀が詩句を唱えたので受け取らなかった、
そして、乳がゆはすでに、バラモンであるバーラドヴァージャの感銘とともに、心を込めてブッダに捧げられているので、
本来であれば、仏陀が食べるべきものとなっており、そのために仏陀以外は消化できないものとなった、
つまり仏陀以外には捧げられないほど崇高なものとなった、
と言う解釈なのです。

たぶん、この石飛先生の解釈を芳和さんも、春間さんもあまり読んでなく、
この説と正反対の、
バーラドヴァージャの我執(エゴ)の熱により、この乳粥は湯気が出て食べられないものになったということを
書かれました。

スッタニパータを読んでも法華経を読んでも解釈は百人いれば百通りあっていいと思います。
私は元々、中村元の説と思っていましたから、どちらでもこだわりはないのです。

ただ、石飛先生が、中村元先生の説を否定しても自分はこう思うと言われたのですから
『芳和さんの解釈はそうなのですね。私の解釈はこうです。』と
きちんと説明されるのが、自分の思うところに真摯であるということではないかと思ったので書きました。

自説と違うことを隠すよりも、違う点をいろいろ話したほうが、より理解も深まるでしょうし
止揚することができるかもしれませんから。

 

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芳和さんは、完璧主義のように思えます。
無我という完璧な状態を観念で想定して、その状態にない自分を追い詰める傾向にありませんか?
『自分の』功徳という、その言葉に拒絶反応してしまうところはありませんか?

こういうエピソードをご存じでしょう。
お釈迦様の十大弟子のひとり、阿那律尊者は目が見えなくなっていました。
ある時に、衣の修繕をしようとして針の穴に糸を通すのに苦心していた尊者は、
「誰か功徳を積もうと思う者はいないか?目の見えない私のためにこの針に糸を通してもらえないか」
と言いました。
すると、釈尊が真っ先に歩み寄り、「私が功徳を積ませていただきましょう」と言われたそうです。
驚いた阿那律尊者は、「道を極め覚者となった釈尊には、もう功徳を積む必要はないのではないでしょうか」と言いました。
すると釈尊は、「世間の中で私ほど功徳を求めている者はいない。」と言われました。


前にも書きましたが、
自分と自分のものという見解を滅している人はすでに解脱しています。
『自分』や『自分のもの』や『自分の功徳』ということから全く離れている人は
もうその人自身が福田になっています。
応供、つまり供養を受けるに相応しい人=仏 です。

布施をする人、供養をする人が、少しでも『自分のもの』というような考えを持っていたら
供養した食べ物がチッチタ、チッチタと音を立てて湯煙を出し誰も食べることができなくなるのであれば
世界中で布施をしたものすべて煙を出してしまうことになります。

 

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法華経は読めば読むほど、凄いお経、ありがたいお経というのがわかります。
そして、大乗仏典の誕生の謎の解明に大きなヒントを与えてくれるお経なのかもしれません。



> じみに羅什の『妙法蓮華経』を読んでいるのですが、最初の三乗方便一乗真実の話は、もろに『スッタニパータ』第四章の「八偈品」から来ていますね。
> 『『スッタニパータ』と大乗への道』でも書いたのですが、後半、第14経、第15経、第16経が、それぞれ菩薩・独覚(仏)・声聞の道に対応していると読めるので、三乗が説かれています。


声聞・縁覚・菩薩の三乗ですが、私はどうしても、大乗仏教が3つに分類したと考えていましたが
先生は、すでにスッタニパータにそのような分類があったと考えられているのですね。

法華経はかなり寛容ですが、他の大乗仏典では、声聞・縁覚の二乗はかなりボロクソに書かれています。
二乗は仏になれないというのが多く、法華経でやっと、「二乗でも仏になれる」とされました。

声聞の本来の意味は、釈尊の肉声を直接聞いた弟子のことですし、
縁覚は師を持たずに悟った人のことです。
ですから、本来の意味からすると、釈尊も縁覚です。

その二乗をなぜあそこまで貶さなければいけなかったのか、
そこに大乗仏教誕生の秘密があるのかもしれません。

さて、先生の言われる、14経、15経、16経ですが、
14経が菩薩、15経が縁覚、16経が声聞、に対応しているということで
もう一度読んでみましたが、よく分かりませんでした。

この中で15経は、本当に釈尊の肉声を聞いているような気持ちになる経典ですね。
多分、すべての仏典の中でも最も古いのは、この15経ではないでしょうか。
この15経には、釈尊の真意を解き明かす鍵がありそうです。

14経は、法華経で言えば、安楽行品の基になったような気がします。
偶然、第14も同じですが。
逆に言えば、影響を受けすぎて、あまり大乗仏典のようでないところが安楽行品にはあるような気がします。

16経に関しては、題も声聞の代表のサーリプッタですから、声聞の道と言うことでしょうか。


ただ、法華経などでは、声聞は四諦の法を修行、縁覚は十二縁起の法を修行、菩薩は六波羅蜜を修行というように書かれますが
14,15,16にはその記述がなく、やはり、先生の言われる「対応している」ということがわかりませんでした。
よろしければ教えてください。




> 大乗は、その内容としては、後代勝手に生まれてきている訳ではなくて、確実に原始仏典などに説かれるところで、未検討の内容や関心の高いところ、大きな問題をはらむところが、経典として作られているのだと思います。
> 「如是我聞」であることは、間違いないことです。いかに真剣に仏法を受けとってきたかということが、よくよく分かります。
> 大乗は非仏説だという意見があるのは、受けとる側に問題意識がないため気づけないということだろうと思っています。


法華経の中に、こういう言葉があります。
「外道の論議を説き、自ら経典を作って世間の人を誑惑す」と罵詈し
「塔寺を遠離」せん、と。

このように迫害を受けている様子が書かれています。

それまでの仏教徒からこのように罵詈雑言を投げつけられても新しい経典を作っていったのは
並大抵のモチベーションではありません。

私には、どうしても、その熱意の源は、
部派仏教が仏陀の真意を伝えていないという、強烈な不満、憤りがあって
「こんなものは仏陀の真意ではない。仏陀の説いた大法ではない。」と叫んだからだとしか思えないのです。

 

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> ショーシャンクさまも、そのようにお感じになりますか。
> わたしも、おっしゃるとおりにすごいお経だなと思うのですが、確かに、その反面、声聞乗などの比丘たちに、

>反発されそうな物言いをしているところが、少し気になります。
>言いたいことは分かるとしても、もう少し配慮してもよかったかなと思わないではありません。個人的な希望ですが。


法華経というのは不思議なお経です。
そして、その真価を知るのにこれほど難しいお経はないように思えます。

多くの人がなぜ法華経を尊重しているかというと、そう言い伝えられているからです。
中でも、天台が言ったから、日蓮が言ったから、道元が言ったから、という理由が大多数を占めているでしょう。

しかし、偉人バイアスや宗祖バイアスを外してみたときに、法華経はどこがそんなに凄いお経なのか、全く分からないはずです。

私も、法華経が経王と呼ばれている理由がずっと分かりませんでした。
最高の真理が説かれているお経と言うことで、誰しもワクワクしながら読むでしょう。
序品では、仏陀の眉間から光が放たれます。文殊菩薩はこれは大法が説かれる瑞だと言います。
そして、方便品では、ついにその大法が説かれます。
『諸仏は、衆生に仏知見を開き、示し、悟らせ、入らせるために世に出現した』

えっ?これだけ?
ってなりますよね。
その仏知見が何かなども全く説かれませんし、ただ一大事因縁のために世に出現したというだけです。

私は哲学的には華厳経のほうがよほど上だとずっと思っていました。

もちろん、宗祖バイアスを持ってすれば、どこかの宗祖が『法華経が最高』と言っているから
何が何でも有り難がろうという人がすこぶる多いのは知っています。
そしてそういう人は不幸だなと思います。
ただの『法華経最高サングラス』をかけて見ているだけですから。
誰かの考えを投影して見ているだけです。

白隠も、若いときに、法華経を読んで、『こんな例え話しか書いてなくて肝心の真理がちっともない』と思って捨てたそうです。
しかし、40過ぎて悟ってから何気に法華経を読んでみると、その意味がありありと分かって号泣したそうです。

これが本当の法華経の読み方だと思います。

先生も、二乗に対する物言いが気になるということで、それはバイアスがかかっていない読み方だと思います。



> > 声聞・縁覚・菩薩の三乗ですが、私はどうしても、大乗仏教が3つに分類したと考えていましたが
> > 先生は、すでにスッタニパータにそのような分類があったと考えられているのですね。
> そうです。何か、どこかで読んだ経典の匂いがするような。。と思っていましたら、
>第15経で「わたし」とブッダが語り出しているのを読んで、これが独覚の悟りを示すのではないかと思いました。


この文章に続く、先生の詳しいご説明で、先生が、スッタニパータの14,15,16経が三乗思想に対応していると思われている理由が分かりました。
ご説明、ありがとうございました。
私としては三乗に分ける考え方が好きでないので、できれば三乗は方便で、先生の結論たる、二乗にエールを送るという意味での設定に過ぎず
本心は一仏乗だというのがすっきりします。

最近、原始大乗と言う言葉を知りました。
初期大乗の前、菩薩乗という概念を生み出した勢力があったようです。経典はほとんど失われているようですが。
初期大乗である法華経は、そのような菩薩乗と二乗を包み込んで引き上げる一仏乗というものを説いたのかもしれません。

ただ、私としては、三乗思想はなかった方がよかったと思っています。
最初から一仏乗だけでよかったのではないかと思います。
仏陀の真意は一仏乗にあったと思います。
仏陀は四念処を一乗道と言っていますし、在家であってもそれで解脱できると考えていたからです。

三乗思想ができあがったために
声聞は四諦の法を修行、縁覚は十二縁起の法を修行、菩薩は六波羅蜜を修行となっていますから
四諦十二縁起という仏陀の最も重要な筏が、二乗の修行法と言うことになってしまい
誰もかえりみる者がいなくなりました。

大乗仏教は仏陀の真意の復興運動だと思っていますが、同時に、あまりにもそれまでの仏教そのものである部派仏教を
貶めてしまったので、仏陀の筏の四諦十二縁起も捨て去られてしまうことになりました。




> 最初、「序品」で、ブッダが法華経を話出そうとすると、五千人の比丘や在家信者たちが、立ち上がってブッダに礼をして出て行ってしまうシーンがありますね。
> あれなども、すでにそうなることが見えているような書き方にも見えます。
> 実際体験もしたかもしれませんが、そうでなくても、日頃の行いからも考えて、こうなるだろうという予測のもとに書かれたようでもあります。わたしには、そんな風にも見えます。
> ですから、迫害されるのも、予測はしているような感じもして来るのです。それでも、法華経を残すのですから、やはり二乗の人たちに一緒にブッダになりましょう、と言いたかったのではないでしょうか。
> 二乗の人にも等しく無上正等覚者の道は説かれているのだ、という思いから著されたのが法華経のような気がします。


法華経の前にも、大乗仏典はできていたと思います。
部派のサンガの中で、ひそかに、大乗仏典を創作していたグループはいたと思います。

そのような人たちが部派の人たちからは
『お前たちの言ってることは外道の論議だ』『勝手に経典を作って人を迷わしている』と糾弾されて
サンガを追い出されていったと思います。
その様子が法華経に書かれているのではないでしょうか。

グレゴリー・ショペンの、ずいぶん後になるまで、大乗教団は存在せず、大乗仏典だけが作られていった、と言う説は
かなり史実に近い気がしています。

ところで、方便品の5000人の退出が気になります。
例えば、500羅漢という言葉は、第一結集の500人の直弟子から来ているのかもしれませんし
方便品の5000人にも何か史実が隠されていそうです。
提婆達多に従った人数なのかもと思ったこともありますが、いまだに分かりません。

 

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> > 『諸仏は、衆生に仏知見を開き、示し、悟らせ、入らせるために世に出現した』
> > えっ?これだけ?

> > ってなりますよね。


このことの重大さに気づいたのは、かなり後になってから、原始仏典を調べはじめてからです。
大乗仏教の国日本で生まれ、大乗仏教の本や環境に囲まれて生活している私たちは
仏様が衆生を救うためにこの世に生まれるということは、まあ、そんなに違和感ないですよね。

しかし、歴史上の仏陀は、人間がこの世に生まれるのは渇愛または無明が原因としました。
ですから、原始仏典の決まり文句は
『生存はすでに尽きた。再び生を受けることはないだろう。』です。

法華経が作られた時点において、『一大事因縁のために世に出現した』という宣言はまさしく驚天動地のことです。

映画の始まりのテーマソングが異様に長い昔の映画のように、さんざん盛り上げたあとに
『仏は衆生に教えるために生まれた』と当たり前のことだけ言ったと思って『?』でしたが、
原始仏典の流れが分かるようになると、これは時代を画する宣言だったと思います。




ひとつ、先生のお考えをお聞きしたいのですが
譬喩品に、三車の喩えがあります。
玩好の具の羊車、鹿車、牛車をもって、それぞれ声聞、縁覚、菩薩に与えると言って火宅から逃がします。
しかし、火宅から出たあとは、その三車は『下劣の小車』だから与えず、大白牛車を与えます。

ここで疑問なのは、譬喩品では、三乗を、声聞乗、辟支仏乗、大乗(または仏乗)と書かれていることです。

菩薩乗を大乗、仏乗としてしまっては、三車が下劣の小車という記述と矛盾します。

つまり、牛車と大白牛車との違いがわからなくなります。

 

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三乗思想は、私は好きではない考えです。
部派仏教(いうか、それまでの仏教そのもの)の使徒を証文・縁覚という二乗と決めつけ
自分たちは大乗の道を歩む菩薩だと優位に置く考えは好きにはなれませんし
何より、この思想のせいで、仏陀の筏たる四諦十二縁起が埋もれてしまったのが残念でなりません。

仏教は、かなりジャイナ教の用語を流用しています。
声聞、縁覚(辟支仏)もジャイナ教の用語なので、その使用方法もまちまちで
無理やり仏教に当てはめた感があります。

仏陀の真意は一仏乗、一乗法だと考えます。
究極には、『生じる性質のものは、すべて滅する性質を持つ』の一言だけであり
それから四念処も三法印も派生したと考えています。

法華経は、一仏乗を高く掲げており、やはり仏陀の真意を復興しようとしたと思います。

 

~~~

 

まず『ブッダ』という呼称について。
ジャイナ教の始祖、マハーヴィーラがブッダと呼ばれたことは、
マハーヴィーラの伝記のカルパスートラにも出てくるようです。

牟尼=muni は、ジャイナ教では、修行者一般を指す言葉だったようです。

『仏教の開祖ゴータマの死後、やがて仏教徒がゴータマを神格化し、ゴータマ個人にブッダの尊称を与えるまでの段階において
ジャイナ教徒も、修行を完成し解脱した人にブッダの尊称を用いていたのである。
したがって、これらジャイナ古層の聖典は仏教においてブッダがゴータマの尊称として確立する以前のものといえよう。』
                           (『ジャイナ古層聖典におけるブッダの概念』より)

声聞も独覚もジャイナ教で使われていた用語です。

声聞、独覚に関しては、ジャイナ教と仏教のどちらが先かはわかりませんが、共通していることは確かです。

 

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『ニルヴァーナは最高のものであると、もろもろのブッダは説きたまう。』(ダンマパダ)

目覚めた人は過去にも、現在にも、未来にも無数にいるでしょう。
ブッダはバラモン教にもジャイナ教にも数多くいる。
それが、仏陀の真意だと私は思っている。

歴史上の仏陀は、数多くの人を悟りに導いた人として、世界最大の教師のひとりだと思っていますが
しかし、覚者はバラモン教にもジャイナ教にもたくさんいます。

釈尊の死後、仏教なるものが確立していく過程で、バラモン教やジャイナ教の排斥が起こってきました。
仏教の優越性、独自性ばかりが強調され、その根底にある共通性はどんどん切り捨てられていきました。

それが、仏陀の真意がねじ曲げられていった大きな原因のひとつだと思っています。

 

~~~

 

法華経譬喩品にこうあります。

『もし衆生ありて、仏世尊より法を聞いて信受し、自然慧を求め、独善寂をねがい、深く諸法の因縁を知る、これを辟支仏乗と名づく』

これによれば、声聞と同じく、縁覚も仏世尊から法を聞いているのです。

よく考えれば、二乗は仏陀の弟子のはずです。
ですから、縁覚を師なくして悟ったという決めつけは無理があります。

ひょっとすると、声聞はサンガの中でも、修行仲間といっしょに精舎などで暮らしていた人、
縁覚は、サンガに属してはいるものの群れずに、厳格に山林で一瞑想修行をしていた人かなとも思えます。

 

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>一体大乗仏教の真義はどこにあるのか、シャーシャンク氏に聞きたいところである。
とspinobuddhistさんに言われましたので、書いていこうと思います。


仏陀の死後、仏教はその教説の独自性、優越性を強調する方向に行きました。
これは、どの宗教でも見られることで、自分が信じる宗祖の教えが他の教えより優れていることを強調したいというのは
その弟子たちにありがちなことです。
仏教も、どんどん、その方向に進んでいきました。
特に、その時代の精神フィールドそのものだったバラモン教との差別化や優越性の強調は大きくなっていきました。
例えば、最古層の仏典では、ゴータマ・シッダッタを『バラモン』とか『ヴェーダの達人』とか呼ぶ場面は多いですが
時を経るにつれ呼称はは『尊師』などとなっていきました。

諸法非我についても、『我』がバラモン教のアートマン思想と見なされ、アートマン否定、バラモン教否定という意味での
諸法無我に意味が変わっていきました。

ブラフマンもアートマンも存在の根源という意味合いが強く、それを否定していったために
灰身滅智の方向へと仏教は傾いていきました。
根本分裂以降、部派仏教の時代になると、無我であれば因果の果を何が受けるのかという根本命題が出てきて、
それに対して煩瑣な理論ばかり盛んになっていきました。

仏陀の在世中には、無量心はbrahmam vihara という究極の境地だったと思いますが、
後世の仏教はブラフマンを宇宙の根源ではなく、色界最下層の梵天にまで貶めたため
無量心も色界最下層の境地とされ、解脱には至らないとされました。

このような状況の時に、『こんなものは仏陀の説かれた法ではない』『仏陀はもっと大いなる法を説いたのだ』と主張していったのが
大乗仏教運動だと考えています。
それは僧院の中で反骨的な僧が新たに大乗仏典を書いていったところから始まり、
それが徐々に広がっていきましたが、教団ができるのは5世紀以降です。
法華経にあるように、僧院を追い出されたりした『法師』という人たちが中心に小さな教団ができていったと考えます。
それより前に大乗仏典は中国に渡り、インドよりも中国で流行り出します。


このように、私は、大乗仏教は、灰身滅智に傾き、煩瑣な理論にふけっていた部派仏教のアンチテーゼ、
仏陀の真意の復興運動として起こったと考えます。

 

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石飛先生、おはようございます。

私は、歴史上の仏陀以外の宗祖の解釈に依らずに仏陀の真意を解釈したいと思っていますので
仏陀の言葉を龍樹の論理で見ることもしません。

ですから、スッタニパータ1042の仏陀の言葉の中の
『両極端』と言う言葉も、抽象的なことを指しているのではなく
『苦行の道』と『快楽の道』を指しているのだと考えています。

『苦行の道』も『快楽の道』も離れて『中道』を行く、と仏陀が宣言しましたので
そうすると多くの人はその両極端の中間のことだろうと考えています。

しかし、仏陀が言ったのは、苦行と快楽の中間、つまりほどほど苦行、ほどほど快楽、などではない
と、このスッタニパータの言葉は言っているように聞こえます。

苦行も快楽も身体の道であり、その中間も身体の道です。

しかし、仏陀の言う『中道』は『八正道』のことであり
身体の道ではなく、智慧の道なのだと私は解釈しています。

歴史上の仏陀の顕著な特徴は、決して抽象論を説かなかった、観念論を説かなかったことだと思います。
非常に具体的なこと(生じるものは必ず滅する、など)から説いて、抽象論に陥ることを排除したと考えています。

よって、『両極端』と言う言葉も、抽象語ではなく具体的な『極端』を指し示していると考えます。

 

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> >苦行も快楽も身体の道であり、その中間も身体の道です。
>そこに「身体」と限定することばが必要かどうか、なぜそう言うのか、説明してもらえますか?


苦行は身体的な苦行のことであり、快楽は身体の快楽のことだからです。
苦行の道と快楽の道は正反対のように思えますが、結局身体に関わるものであり、智慧と違うもの、
よって、仏陀は苦行で身体を痛めつけても悟れることはないと思ったのだと考えます。
もちろん、私の解釈にしか過ぎません。


>カッチャー(ヤ)ナ に語った「有る」と「無い」に関する中道です。
 ここは、問題にしないのですか。
 しないのであれば、なぜか、お聞きしたいです。


苦行と快楽に関しては、仏陀が二辺(と言う極端)を離れ『中道』を行くと宣言し、その中道とは八正道のことだと言っています。

有無に関しては、私は仏陀が『生じるものだから無とはいえない。滅するものだから有とはいえない。』と言ったことは知っていますが
そのときに、『有でもない、無でもない、中道を行く』とは言ってないように思えます。

 

~~~

 

先生の指摘を受けて、両極端と中道について、調べてみました。

苦行と快楽に関しては、仏陀が最初に宣言した言葉としても有名ですし、中道という言葉を使っています。
そして、中道とは八正道と言っています。

断見と常見に関しては、
『苦は自作であるという説は常見に陥る』『苦は他作であるという説は断見に陥る』として
如来は中によって法を説くとして、十二縁起を説いています。

有と無に関しては
『一切があるというのは一つの極端である。一切がないというのは第二の極端である。
これら両極端を離れて如来は中によって法を説く』とあって
これも十二縁起だけが説かれています。


ということは、中道である八正道が説かれているのは、苦行と快楽に関してだけのような気がします。

 

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先生の『スッタニパータと大乗への道』では、visama を『不平等』と訳されています。中村元訳では『不正』です。
パーリ語辞典ではどちらの意味もあるようです。
熟語にしても、visamacariya は『非正道行』、visama parisaは『不等衆会』とやはり2つの意味に分かれています。
前後の文脈から探るしかないようです。

774は中村元訳では
【かれらは欲望を貪り、熱中し、溺れて、吝嗇で、不正になずんでいるが、
(死時には)苦しみにおそわれて悲嘆する、──「ここで死んでから、われわれはどうなるのだろうか」と。】
なっています。

この場合、【欲望を貪り】⇒【欲望に熱中し】⇒【欲望に溺れて】⇒【欲望を囲い込んで独り占めし】⇒【欲望のためにあくどい不正までするようになる】
と、どんどん深みにはまっていく段階が具体的に説かれているようで頭に入りやすいのですが
vimasaを不平等と訳すと、わからなくはないのですが唐突感があるような気がします。
先生は、『欲望によって優劣がついてきて不平等が生じる』と書かれていますね。
ちょっと哲学的になりすぎるような気がするのですが。

私は、774のvisama は、778に書かれている【自責の念にかられるような悪い行い】のことのような気がするのです。

文脈からして、この場合、visamaを【邪なる】とか『非正道』ではなく『不平等』と訳されたのはどのような理由からでしょうか。

あと、中村元訳でも、778で『両極端』という言葉が出てきて、801でも出てくるのですが、
例えば、ubho は辞書で見ると『両者』とか『2つ』とかしかなく、両極端に匹敵する原語がわかりません。
私は、778は、中村元の『両極端に対する欲望を制し』ではなく『2つの欲望を制し』であって
それは先生の言われる『前の欲望』『後の欲望』のことではないかと思っています。

つまり、欲望とは、過去の快楽の記憶を反芻することとその快楽の記憶を現在から未来にかけて繰り返さんとするものであるので
欲望を前と後とに分けて、『両者』『2つ』と言ったのかなと思ったのです。

 

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私も、最古層の仏典には一切智があると思っています。

仏陀には握り拳はないですから。
しかし、龍樹研究者の先生がそう思われているというのは意外に思いました。うれしいことですが。

ただ、そうなると、根本的な問いが生まれてきます。
スッタニパータなどの古層の仏典にすべての法があるとすれば、
何故、仏陀の死後500年も経って大乗仏典を創作していかなければならなかったのか、ということです。

第一結集で確定した教えをサンガ内で比丘たちが口承で伝えていきました。
仏陀の死後100年経って、根本分裂が起きましたが、これは経典ではなく戒律の問題でした。
具体的には、金銭でお布施を受け取る比丘たちが現れたことが最大の問題でした。
戒律の問題で大きく2つに分かれ、それが細かに分かれていきますが
部派仏教の時代になっても、仏典はサンガで伝えられてきたものでした。
ですから、仏典の問題は起こりませんでした。

スッタニパータなどの古層の仏典に一切智を見出していった人たちがいれば
スッタニパータを所依の経典として、部派仏教でひとつの学派とすればいいのだと思いますが
なぜ、第一結集によらない経典を新しく膨大に作り出したのか、
ここが大きな疑問となります。

何か、部派仏教の解釈で、『これは仏陀の真意ではない』と叫んだ人たちがいるのではないか、
そしてそれを解明することによって
原始仏典の真価、そして大乗仏典の真価が浮かび上がるのではないかと思っています。

 

~~~

 


> 【石飛訳】
> 919. (第十四経第5偈)
> 比丘は、内に寂静でありなさい。他のものに、寂静を求めてはなりません。内に寂静となったものにとっては、自己はありません。そうなら、どうして、自己を欠くもの(=自己ではないもの)があるでしょうか。
>
> 【中村訳】
> 919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない(n'atthi attA)。どうして捨てられるものがあろうか(kuto nirattaM)。
>
>
> ここは、先ほどの、「法を捨てられるかどうか」というところにもつながるかもしれないです。
> 中村先生は、無我(=自己がない)ではなく、非我(=自己でない)という教えをブッダは説いたと考えていたようですので、「自己はない」という訳が出てこなかったのかもしれません。(中村先生にも、捨てられないものがあったということも言えます。)
> そのため、次の「nirattaM (自己を欠く)」という訳にも支障が出ることになりました。



niratta  には、辞書で見ますと、1、我でない・非我の  2、捨てられた・排除された
この2つの意味があるようですね。

atta  にも、1、我・自己・我体   2、得た・取った
という2つの意味があるようです。


中村元訳では、平安に達した人には、取るということがないのだから、捨てるということもない、
とまあ、平凡な意味になります。

石飛先生の訳では、『寂静に達した者は、自己がないのだから自己ならざるものもなくすべてが自己』と
いきなり禅の極致のような言説となります。



>「法を捨てる」のも、実は、ブッダの教えなのです。

仏陀が言った中でも、筏の喩えは素晴らしいと思います。非常に柔軟ですね。自分の説いた教えにさえも囚われるなということですね。


>しかし、部派も、阿羅漢になると、もはや教団にも所属せず、一人で行く道を歩んでいきます。サンガには所属しません。
>ですから、阿羅漢のその後は、ほとんどの人が知りません。
>マハーカッサパ、マハーカッチャー(ヤ)ナ、アーナンダなどなど、かれらは、知る人ぞ知る聖者として、残りの人生を送ったのでしょう。


阿羅漢になるとサンガに所属しないというのは今まで知りませんでした。
遊行することが多くても、サンガには属していると思っていました。


>一番難しいのが、「彼岸道品」にも出てきますが、ピンギヤに語る「法を捨てる」という部分です

仏陀が捨てろと言った『saddha』を辞書で見ますと、信・信仰・信心・信用とあります。
中村元氏は、バラモン教の信仰を捨てよ、と言う意味に解しています。
しかし、バラモン教の信仰を捨てて仏陀の教えを信仰しろというのでは、全く仏陀らしくありません。
先生がおっしゃるように、仏陀の法をも捨てるということかもしれません。
あるいは、どんな教えも信仰にはするな、ありのままをとらわれなく見なさい、という意味かもしれません。

 

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 浄土教が仏陀本来の教えではなく、バラモン教(ヒンドゥー教)から来たと私が考える理由につきましては
ヤフー掲示板の自分のスレッドに投稿し、いま自分のブログに格納してますので、それを載せます。

※※※※※
特に浄土教の教えはゴータマ・シッダッタの教え本来のものではなく、ヒンズー教から来たものですね。
ゴータマ・シッダッタは、想像上の神仏への信仰などは一切説きませんでしたし
なにより自燈明を説いたので他力を説いたことはありませんでした。

歴史上の仏陀が説いたことと違うから正しいとか間違ってると言ってるわけではありません。
それが事実だから言っています。

阿弥陀仏の師はヒンズー教のシヴァ神ですから、浄土教がいかにヒンズー教の影響を強く受けて誕生したかがわかりますね。
私はヒンズー教にもジャイナ教にも偏見はありませんから影響を受けたからと言って貶しているわけではありません。

大無量寿経では、法蔵菩薩は世自在王仏(ローケーシュヴァラ・ラージャ如来)について修行する。その結果法蔵菩薩は阿弥陀如来になった。

サンスクリット名ローケーシュヴァラ・ラージャとはシヴァ神の別名である。

また、法蔵菩薩の第二六願にナーラーヤナ神のような力をえたいと発願しているが、このナーラーヤナ神とはヴィシュヌ神の別名である。

浄土教徒の人もこういう記事を書いてますね。
 
【私は浄土教徒なので、阿弥陀如来の話から始めたい。
阿弥陀仏は古くから仏教と習合された仏様(神様?)の一人で、アーキタイプはゾロアスター教の光明神アフラ・マズダとも、
さらに古いミスラ神とも言われる。
浄土三部経のうち『無量寿経』によると、往古、阿弥陀仏は法蔵菩薩という名の修行者で、
世自在王(ローケーシヴァラ・ラージャ)如来という仏さまを師匠として修業していたという。
浄土真宗で読誦される「正信偈」の初めの方に、次のような箇所がある。
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
この世自在王如来というのが、実はヒンズー教の破壊神シヴァなのだという。
ガネーシャの首を吹っ飛ばした物騒きわまりないお父さんである。
中村・早島・紀野訳註『浄土三部経〈上〉無量寿経 (岩波文庫)』P252の「ロケーシヴァラ・ラージャ」に対する訳注には、
次のようなことが書かれている。
ローケーシヴァラ・ラージャ ― Lokeśvararāja. 「世自在王仏〔せじざいおうぶつ〕」と訳され、
無量寿仏の師として重要である。この仏に対する信仰も独立に行われていたもののごとく、
『ローケーシヴァラ讃』(Lokeśvarastava)という書も残っている。
また碑文にはローケーシヴァラがアヴァローキテーシヴァラ(観世音菩薩)を意味して使われている例もある。
しかしローケーシヴァラとはヒンドゥー教ではシヴァ神の別名であるから、
この点で何らかの連絡があるのかもしれない。】





歴史上の仏陀(ゴータマ・シッダッタ)は、その長い生涯で、阿弥陀仏について言及したことは一度もありません。
他力信心を説いたことも一切ありませんでした。
自燈明を説いた仏陀において、他力を頼むという考えはまさしく真逆なものでした。

いま、大乗仏教がどうして興ったかを調べています。
大乗仏教は仏陀の真意の復興運動だったと思い始めていますが
浄土教だけは仏陀の教えと異質な、むしろ真逆なものなので疑問に思っていました。
浄土教は仏陀発祥ではなく、ヒンドゥー教のバクティ、シヴァ神信仰、ヴィシュヌ神信仰が仏教に取り入れられたものだと知ったので長年の疑問が解けました。

浄土教が発生する前から、インドでは神の名前を繰り返し唱え続ければ死後よいところに生まれるという信仰が民衆の間に熱狂的に広まり流行っていました。
そのような民衆に圧倒的な支持を受けている考えが仏教に入ってきたのは必然とも言えるでしょうね。

大無量寿経によると、法蔵菩薩は、世自在王仏(ローケーシヴァラ)を師として阿弥陀仏となりました。
ローケーシヴァラとはヒンドゥー教のシヴァ神の別名です。

これを見ても、浄土教がヒンドゥー教発祥であることは明白です

 

~~~

 

> > 一体大乗仏教の真義はどこにあるのか、シャーシャンク氏に聞きたいところである。
>

> 法然は読んだことがないので私にはよくわからないが、ショーシャンク氏が評価するということから、法然が民衆の救済を第一に考え、そこに大乗の真義を見ていたのではないかと考えたまでである。この観点からいえば、悪人正機とか愚禿とかいうアイデアからして、親鸞は民衆そのものではなく、民衆に布教する側の人間に動機付けを与えたように思える。知識人の倒錯的優越感を刺激し、それを布教のエネルギーに変えている、とでもいおうか。一次的な民衆の救済よりも、救済する側の支配層に動機を与え、権力装置を強固なものにした、そんな印象を持つのである。


spinobuddhistさん、こんにちは。
大乗仏教が何故興ったのかというテーマに関しては、書こうと思いましたがかなり長くなりますので
いくつかに分けて書かせてください。

法然と親鸞に関しては、どちらも浄土教の人で、私は浄土教は仏陀の教えとは性質が異なると思っていますので
あまり詳しくは知らないのですが、ただ、法然の人柄が好きなのです。

法然は、現代では親鸞が目立ちすぎてすっかりその陰に隠れている印象がありますが、本当に革新的なのは法然でしょう。

私は親鸞に関しては、現代人がこぞって褒めちぎるような素晴らしい人とはどうしても思えません。
法然は命をかけていましたが、親鸞にはそのようなところがありません。
どうして、親鸞ばかりを高く評価するのか、親鸞をよく出す春間さんに聞いているのですが答えがありません。

質問としては、
1、法然と親鸞の教えの違いについてどう思うか
2,阿弥陀仏は摂取不捨なのに、親鸞は何故息子を義絶したのか
3,妻の恵心尼を京に連れて帰らなかったのは何故か
4,非僧非俗と言いながら、いいとこ取りしていたのは何故か

このようなものです。
親鸞は本当に救われたのか、と言う根本的なところまで疑問に思っています。

 

~~~

 

1,親鸞は、阿弥陀仏はどのような謗法の者でも摂取不捨と説きました。
  阿弥陀仏が許しておられるのに、親鸞が許さずに義絶するのは人間のはからいではないですか?
2,義絶とは世間のことと言いますが、なぜ、あなたは世間と非世間の2つに分けるのですか?
  行(行為)に世間も非世間もありません。親鸞の行為があるだけです。
3,親鸞は非僧非俗と自ら言ってます。出世間ではないということではないですか?
  親子が起きるから義絶が起きると言いますが、親子であっても義絶する親子などほとんどいません。
  自らの意思で義絶したのは親鸞です。
4,親鸞は、自らは弟子を一人も持たないと言いました。
  それは、自分の計らいなど何もない、阿弥陀仏の計らいによるからです。
  自分の弟子でもない、阿弥陀仏の弟子なのに、自分の判断で切り捨てるのは言っていることと矛盾しますね?
5,絶対に救われるのであれば、わざわざ義絶する必要などないではないですか。
6,人を排除する、切り捨てる、というのは、あなたのよく言う『至道無難 唯嫌揀択』の揀択ではないですか?

結局、自分は弟子を一人も持たないなどといいながら、自分の教団が乱されると考えれば切り捨てるということですね。
弟子がいないのであれば自分の教団などあるはずがないですね?


~~~

 

> 親鸞が 人であるということ は いけないことですか ?  

そんなこと、一言も言っていません。
むしろ、私は、親鸞を権威と考えることに疑問を持っています。
そんなにすごい人物ではなかったと思っていますよ。

> 善い・悪い  の 揀択は 誰に起き、 どうして起きるのですか ?

親鸞が、揀択を起こし息子を義絶するという判断を下したのです。

> 善いことを する( 教える )  のが 仏( 教 ) ですが
> 何を根拠に あなたの 商量 は 起されていますか ?

私の根拠は私しかありません。

> 親鸞が 親子であることを 捨てたのですか ?
> ( 親子 であることを 捨てることはできますか ? )

それが義絶です。捨てないのであれば、義絶などしなければいいではないですか。


> 出家  とは  親子 を 出ることです

親鸞は、出家ではないですよ。還俗させられた後、自ら非僧非俗と言っています。
いいとこどりですね。
僧でないのに、髪をそり袈裟を着て僧の格好をし、弟子たちに食わせてもらっていました。
僧でないなら、魚屋でも八百屋でもして働いて自分で食って行けばいいのです。
俗でないと言っているのに、妻帯してます。
非僧非俗などいいとこどりの逃げですね。
妻帯しても僧ではないと言い逃れでき、信者に食わせてもらっても俗ではないと言い逃れできますね。


> 親鸞に 教団 など ありません

口ではそう言っています。
親鸞はひとりの弟子も持たない。念仏を唱えて救われるのも阿弥陀仏の計らいであるから、と。
それなら、阿弥陀仏は摂取不捨なのに、親鸞が義絶し排除するのは矛盾しますね。
教団などないのであればなぜわざわざ義絶しなければいけないのですか?

私は口で言うのと実際の行ないが違う人間は信用しないのです。
口では悟りすましたことはいくらでもいえるのです。

 

~~~

 

> 日本だからこそ親鸞聖人を生んだのでしょうか。
>

> 日本で一番信者さんを得ているのは、日本人が非僧非俗の「愚禿」の道にあっているからかな、などと思ってもいますが、本当のところはよく分かりません。
>
> 私は、親鸞聖人のような生き方は、絶対できないだろうと思うので、どんなに尊敬しても尊敬したりないと、思っています。特別な人です。


親鸞が大変お好きなのですね。
嵐の大ファンに嵐の悪口を述べ立てるようで、居心地の悪さを感じますが(笑)

日本のインテリはこぞって親鸞が好きですね。太宰治が好きな心理と似通っているのかもしれません。
『私はだめな人間です。どうしようもない人間です。』と告白する人に共感を覚えるのでしょうか。

ただ、日本で一番信者が多いのは、すべて蓮如のおかげでしょう。それまでは零細教団だったと思います。
曹洞宗も大きくなったのは、瑩山のおかげですね。
ストレートのウィスキーは飲める人は少なく、大量の水で割って飲みやすいようにしたところが信者が増えた理由でしょう。
大量の水と、いろいろな風味を付加していって大衆の口に合うようにする人が要ると言うことだと思います。


非僧非俗は、私は中道すなわち八正道ではなく、たんに中途半端ないいとこ取りだと思っています。
もともと、浄土門は、出家優先の道ではなく、在家中心の教えでした。
出家で念仏するより在家で念仏する方が優れているという考えもあるくらいです。

そうであれば、還俗させられたのですから、俗として、殺生し女犯しても阿弥陀仏に救われるということを示せばよかったと思います。
漁師でもして、殺生しながらでも救いの道を探求していけばよかったのではないでしょうか。


>私は、だからこそ、親鸞は息子さんをほんとに心配していたんだなあと思うわけなのです。


それはちょっとあばたもえくぼっぽい気がします。。
親鸞が、息子を京に戻してその事情を聞いた上、とことん話したのであればそうかもしれませんが
関東の信者たちの訴えによって、会うこともなく義絶状を送っています。
やはり、教団の混乱を避けたいのが一番の動機だと思います。

 

~~~

 

親鸞は、還俗させられても、庶民にはならず僧であることを選択しました。
ただ、僧でありながら堂々と妻帯する勇気もなかったので僧とは名乗らず非僧非俗と言って
しかし僧の恰好をして信者に食わしてもらえる特権階級に居続けたと考えます。

親鸞を見て最も残念なのは
法然が開いた易行道を難行中の難行にしてしまったことです。

法然は、命を懸けて徹底的に無知な衆生が救われる道を探しました。
そして善導の文に出会って、口称念仏にその道を見出しました。

念仏には、上中下があり、上の念仏は真理そのものを観想すること。中の念仏は仏の姿をありありと観じること。でした。

しかし、そのような観念的なことは無知な衆生には無理な道でした。

そこで法然は観念的に真理を観想することができない衆生のために、口で声を出して南無阿弥陀仏と唱えることだけでいい、
むしろ末法においてはそれだけが正行なのだと主張したのです。
とにかく四六時中唱えられる時間はすべて念仏を唱えること、としました。

声に出して念仏を唱えることは誰にでもできるので、それは瞬く間に民衆に広まっていきました。

ところが、親鸞は、そのような法然の苦労を全部駄目にしてしまった。
はからいを捨てて絶対他力に任せる、その信心こそが大事で、南無阿弥陀仏は救われていることへの感謝だと説きました。

インテリからすると、念仏の数にこだわる法然より、信心という普遍的なものを掲げる親鸞は、徹底した思想家だと受けがいいです。

しかし、口称念仏という誰でもできる道を、絶対他力への信心という非常に難しいものに変えてしまったのです。

親鸞の頭にあるのは自分の救いだけです。
法然の無知な衆生を救いたいという想いを壊してしまったと考えています。

 

~~~

 

> 漁師の才能はないと思いますね。山で暮らしてきた人ですし。
> ショーシャンクさまがおっしゃるようには、親鸞はできないでしょう。それができたら、もっと早く悟るか、あるいは世俗の道を上手に生きていったのではないかと思います。

> 「還俗させられたんだから、世俗で生きてやるぅぅぅ~」、ということも出来ないからこそ、かれは、親鸞やってますから。
> なんて不器用なんだ、と思いますが、こんなダメな親鸞だからこそ阿弥陀さまは救ってくださる、っていう、この理屈が、いいです。
> 私は、親鸞が好きなのか、親鸞の考える理屈が好きなのか、よく分かりません。
> 書いてあることに無理もなく無駄もなくムラもない、不器用に縁起だけでいく、縁起の論理を駆使して語るところが、圧倒的だと思います。


なるほど。そう言われると嵐のファンになってしまいそうになります(笑)
確かに不器用な気もしますが、太宰治が派手に鉄棒を失敗したようなところはないでしょうか。
妻の恵信尼を京に連れて戻らなかったのは、京で堂々と妻帯しては比叡山から訴えられるというような保身がなかったでしょうか。
そのような臆病さも不器用、人間の弱さと見て、親鸞らしいと言われればそうも言えますが。
少なくとも、後世の、『親鸞は僧でありながら堂々と肉食妻帯した』というイメージは全く違う気がしてます。
そのような弱さやずるさもえくぼになってしまうキャラではありますね。


> 阿弥陀仏にすがると言うけれど、本気ですがろうと思うのは、現実には難しいのです。

それは本当にそうだと思います。
ですから、法然は、空念仏でもいいから声に出して念仏を唱えることを教えました。
本気の精神をまず求めてしまうと、ほとんどの人はできません。
声に出して唱えること、それが阿弥陀仏を意識することなんだと法然は言っていると思います。
それは、前提として悟りの精神を要求しないので易行道です。
親鸞は、計らいを捨てて絶対他力を信じ念仏は救われていることへの感謝だと言いました。
教理的には法然より徹底していて、インテリは大好きですが、
現実問題としては、親鸞の教えは難行中の難行です。
自らの心の醜さを徹底洞察し続けた親鸞だからできた道です。
この人は、自分の救いのみを求め続けた気がします。
法然は自らは救われていて、衆生を救う道を命がけで求めたと思います。


> 誰でも、自分は、それなりだと思っています。どんなに口では卑下していても、そこそこの人物だと誰もが思うのです。比べて、上中下をつけるのが、人間です。
> いくらブッダが戒めても、そこはなかなか直らないのです。
> そういう意味では、親鸞のもとに集まって来た人たちも同じだったかもしれません。
> だからこそ、ショーシャンクさまも、難行中の難行になってしまったとおっしゃるのではないでしょうか。
> 龍樹が、難行と易行に分けたとき、教えの難しさを身にしみて実感していたと思います。
> 衆生たちが法を手にして混乱しまくるのを見ていたことでしょう。
> 龍樹も、ゴータマに帰依しています。等覚者に帰依しています。
> だからこそ、阿弥陀仏の念仏を易行として勧めていると思います。


そう思いますし、法然は無智な衆生が観念的なことから入るのは無理だと知っていました。


> ショーシャンクさまは、ブッダは比丘たちに自力で行く道を説いて、大乗のような他力の道は説かなかった、ということをおっしゃっていませんでしたか。

大乗のような、というより、浄土門のような、ということです。
想像上の神仏を信仰するという道は説かなかったと思います。
他力をたのむということはなかったように思います。


> わたしは、実は、そうでもないと思っています。
> 『スッタニパータ』「犀経」の中に、たった一つ、こういう詩があるのをご存じないですか。
> 45 もし、智慧ある者で、共に行を行い、善く住する、賢明なる者を友としたならば、あらゆる危難に打ち勝って、心に満足をもって、気づきをそなえて、かれとともに行じなさい。
> また、アーナンダがブッダに「善い友も持つことは、道の半ばに到達したに等しいのではありませんか」とたずねると、「いや、そうではない、道の全部だよ」と答えたと、経典にあります。
> ブッダがいた頃は、阿羅漢はたくさん生まれました。善き友ブッダを得て、比丘たちは、覚っていったのだと思います。
> 阿弥陀仏を善友とする者たちも、また、そういう道を行くのだと思っています。
> 「或るは勤行精進するあり。或るは信方便を以て易行にして疾く阿惟越致に至る者あり」と『十住毘婆沙論』にも、菩薩たちの行く道を説いています。

確かに、賢明なる友と修行せよ、ということは頻繁に出てきますね。
一人で修行せよということも多いですが、あるときからよき修行仲間と修行することを推奨するようになります。
サンガの発展段階かも知れません。
ただ、修行仲間と修行にいそしむことと、自分以外の神仏(他力)を信仰したりたよることは違うのではないでしょうか。

浄土門は阿弥陀仏を修行仲間と捉えているわけではなく
特に親鸞は、自分をゼロ、阿弥陀仏を100%とする信仰の道、絶対他力の道です。
自らを島とする仏陀の教えとは異質な気がしています。

 

~~~

 

> > 妻の恵信尼を京に連れて戻らなかったのは、京で堂々と妻帯しては比叡山から訴えられるというような保身がなかったでしょうか。
>

> そんなことを考えていたとは?! 夢にも思いつきませんでした。
> 京都のお坊さんたちも、なんだのかんだの、ブツブツ。。今さら、ブツブツ。。

親鸞が妻の恵信尼を京に連れて帰らなかったのは何故か、は歴史上の謎とされています。
恵信尼が実家の資産の管理をしなければいけないので越後に帰ったという説もありますが
恵信尼消息ではかなり経済的に困窮していますので、どう考えても一緒に住んだ方がいいのです。
偉人バイアス、宗祖バイアスがかかるとどうしても解けない謎ですが
私は何のバイアスも持っていないですから、京で妻帯することによる迫害を避けたとしか考えられません。
他の合理的な理由が何か考えられるでしょうか。



> 親鸞以後、あらゆる宗派が妻帯してしまう点について、どうお感じになりますか。



かろうじて残っていた形も崩壊してしまったなと思っています。
瀬戸内寂聴が言っていましたが、中国かどこかでアジアの僧侶が集まった会議があったそうです。
そこで日本の若い坊さんが自己紹介で『私の父も僧侶です』と言ったところ、
誰もその意味が分からなかったそうです。寂聴は恥ずかしかったと書いています。

日本は仏教伝来の時から、僧侶が公務員だったりして、出家というより文化人待遇で
サンガの体をなしていないまま来ました。
当然、戒律を裏で破る人も多かったですね。
しかし、公然と破るのとは意味合いが違います。

自動車の制限速度より速いスピードを出したことのある人は多くいます。
だからと言って、制限速度をなくしてしまったら何でもありになってしまいます。

キリスト教の神父が独身であることとは意味が違います。
イエス・キリストは、結婚を禁じませんでした。
しかし、仏陀は、比丘の性交を禁じました。
出家したために子孫が絶えることを嘆いて母親が泣いて頼んでために(元)妻と性交した比丘を
仏陀は追い出しました。
親鸞もどうしても女犯したいのであれば、在家で職をもって生活すればよかったと思います。
校則で私服が禁じられている高校があってどうしてもその校則を守れないとわかっているのであれば
その高校に入らなければいいだけです。



> 二人のお坊さんが川を渡ろうとしていたら、女の人が川を渡れず困っていた。
 その女の人は、二人に「私を渡してもらえないか」と頼んだが、
 若いお坊さんは「女性に触れてはならない」という戒律を思い出してためらっていた。
 すると、もう一人の年配のお坊さんが、ひょいと女性を担いで川を渡ってしまった。
 女性は礼を言って立ち去った。が、若いお坊さんは、何か釈然としない。
 しばらく二人で歩いていたが、とうとう我慢できなくなって「さっき女性を担いだのは…」とか言いかけると、
 年配のお坊さんが「おまえはいつまで女を担いでいるのだ」と言ったとか。何で読んだのか忘れました。

禅でよく引用されるエピソードですね。
これは私もこの通りだと思います。
戒律は動機を見るべきで、仏陀も、性交したから全員破門という形のことではなく、
レイプされたりした人は自らの意志でないので破門させられたりはしなかったと思います。
親が子孫を望んで仕方なく元の妻と性交した比丘は、快楽のためという動機ではなかったですが破門しました。
出家とはこの世の縁、鎖を全部放棄するということだからだと思います。

実際、親鸞が妻帯して子孫を残したために、親鸞の子孫というだけで特権階級になっています。
骨肉相争う事態にもなってしまいました。
修行ができた弟子に法を継がせるという禅の歴史とは全く違うことになってしまいました。



> 自力念仏しても自然と真如の門に入るとも、説いています。
>
> 定散自力の称名は
> 果遂のちかひに帰してこそ
> おしへざれども自然に
> 真如の門に転入する(「浄土和讃」66、岩波文庫)


確かにそうですね。
ただ、その後、

安楽浄土をねがひつつ
他力の信をえぬひとは
仏智不思議をうたがひて
辺地・懈慢にとまるなり

とあって、絶対他力への信が前提になっているようには見えます。

法然は念仏を筏と考えていたところがあり、どんな無知な人でも行ける易行道を切り開いたと思いますが
親鸞は非常に道を高度で難しいものにしてしまった感はあります
親鸞の本質は天台本覚思想ではないかという気もします。

 

~~~

 

> 親鸞は、易行道の論理を極めたと思います。


天台本覚思想が哲理を極めているのと同じですね。
もともと悟っている、もともと救われている、
修行して悟るわけではなく、念仏して救われるわけではない
すでに救われているのが真理だ。

親鸞の教えは天台本覚思想のようにある意味究極です。
私は天台本覚思想に惹かれていたときがありました。

しかし、仏陀のいう『激流』の正体をありありと見た時に
天台本覚思想は全くの間違いだと悟りました。

天台本覚思想は恐るべき退廃をもたらせました。

親鸞の教えもそうです。
非僧非俗のいいとこ取りで
修行も全くせず、信者の布施で愛人を囲っている、
浄土真宗の坊さんの退廃を見ると、天台本覚思想と同じにおいがします。

 

~~~

 

> > 天台本覚思想が哲理を極めているのと同じですね。

> 似てないと思いますが、どんな風に同じなのでしょう。

> 正直に言うと、天台本覚思想は、巷で言われていることしか知りません。


もともと、仏教は、
煩悩の滅⇒涅槃
修行⇒悟り
因⇒果
です。
しかし、大乗仏教が起こり、その哲理は絶対一元論の天台本覚思想へと進化していきました。
世界の絶対肯定です。
この世界は仏のあらわれそのままであり排斥するものなどない、ということです。

天台本覚思想に至って、煩悩即菩提 が強調されました。
煩悩の絶対肯定です。
すべては仏のあらわれという絶対一元論は非常に魅力的です。
学生の時や定年後の、現実社会と対峙することがないときは、
そのような絶対一元の観念にふけることはできますし幸せなことだろうと思います。

ある意味究極とは、現実から遊離した観念のお遊びとしては絶対一元論は究極なのだと言うことです。

天台本覚思想によれば、すべては仏のあらわれ、すべてはもともとから悟っている、ということですから
そして煩悩も即菩提ですから、修行は必要ないということです。
煩悩を滅して菩提でもなく、修行をして涅槃でもないのです。

親鸞によれば、法蔵菩薩が阿弥陀仏になったときに、
『すべての衆生が救われなければ仏とならない』という本願が成就していて仏となったのですから
すべての衆生はすでに救われているのです。
修行をして救われるわけではなく、善行をして救われるわけでもなく
念仏をしたから救われるのでもなく、何をしなくてもすでに救われているそのことへの感謝としての念仏だとしました。

天台本覚思想そのままだと思います。

実際、天台本覚思想の日本仏教への影響力は甚大です。

道元も、『衆生本来仏。人は元々悟っているのになぜ修行しなければならないのか。』がどうしてもわからず必死に探求していきました。
その結論が、本証妙修でした。



> たえず勉強していないと、修行していないと、「仏教は腐りやすい」というのが、わたしの考えです。
> 常に精進しないと、すぐ腐っていきます。


その通りだと思います。
仏陀はずっと『怠るな』と言ってきました。
気を少し離すと激流に巻き込まれていくからです。

ゆえに、自らの意思や自力を否定していくことは恐るべき退廃を招いてしまうのです。

 

~~~

 

> まず『すべての衆生が救われなければ仏とならない』という本願にも、
> ちょっと文句を言いたくなりますが、まあ、認めることにしましょう、太っ腹です、わたし(笑)



先生が太っ腹なんで助かります(笑)

大無量寿経の経文では十八願は、
『設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念
  若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法』
ですね。
訳としては
『わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、
 わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
 ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。』

十回の念仏で極楽浄土に生まれるのですから、やはり阿弥陀仏の方が太っ腹ですね。


> 結果を先に持ってきて、「救われているのなら、念仏は感謝の意味しかないだろう」というのは親鸞の説く説き方ではありません。
> 「後のものを先に持ってくる」と言う顛倒が起こっています。
> かれは、そうは言わなかった。

そうですか?報恩感謝の念仏が親鸞の念仏の本質だと思いますが。

「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなりと 信じて念仏申さんと思いたつ心のおこるとき、
すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」

念仏をしたから助けられるのではなく、念仏しようと思い立ったときにはすでに助けられているということですよね。
そうして助けられていることへの報恩感謝が念仏として自然に出てくると言うことだろうと思います。
通常とは逆ですね。



> 当然、『無量寿経』などチェックします。48願一つずつ読んで、ほんとか嘘か調べるでしょう。

そんな人は少ないでしょう。
ヤフー掲示板で、浄土真宗の寺の長男でしかし僧ではなく寺を手伝っていた人がよく来ていましたが
その人は無量寿経の「唯除の文」を知りませんでした。

もし、無量寿経を本当にそのまま信じるのであれば
念仏は10回で極楽浄土に生まれるわけですし
唯除五逆誹謗正法 のはずです。

しかし、親鸞は、五逆誹謗正法も摂取不捨から外れないとしました。

このように日本仏教特に鎌倉新仏教においては、宗祖が絶対であり
経典は二の次、歴史上の仏陀の言ったことなどは三の次でも四の次でもなく、考慮もされません。

浄土真宗の寺のその一人息子でさえ、親鸞に関するものでも歎異抄をさらっと読んだだけくらいです。
経典までチェックしている人はごく少数でしょう。
先生のようなインテリくらいです。


>誤解を恐れずに言うなら、自らの意思や自力を否定していくことは、ブッダの教えならばないと思います。
自己を洲とせよ、というのが教えでもあります。


そうなのです。仏陀(ゴータマ・シッダッタ)の教えには、自力否定なんてありません。
他力を頼むという考えもありません。自らを洲とせよ島とせよ、ですから。
絶対他力の親鸞の浄土門は、やはり仏陀から来たものではなく、仏教以外から来たと思っています。


>また、逆に聖道門に行った人たちが、自力だけしか使わないかと言うと、そうではない。

聖道門は、大乗を浄土門と聖道門に分けたものであって、聖道門が仏陀の教えそのままでは無いと思います。
仏陀が直接説いた教えでは、他力という考えはないと思っています。

 

~~~

 

>そこが、ショーシャンクさまの「こだわり」なのですね。
> なるほど。。そういうことか。

>絶対「絶対他力」の「絶対」は、取り除かないぞ、という固い決意が見えます。


それほど固い決意ではありません(笑)
絶対他力の『絶対』は別に取り除いて『他力』だけでもかまいません。

私の言いたいのは、浄土教は仏陀本来の教えとは異質なものと言うことです。
仏陀は、想像上の神仏の信仰を説くことはありませんでした。
他力を説くこともありませんでした。

その考えはバラモン教(ヒンズー教)から来ているのだろうということです。
それは別に貶しているわけではなく、歴史的な事実としてそうではないかということです。

そして、それだから浄土教がいいとか悪いとか正しいとか間違っているとは思いません。
ただ、仏陀の教えとは違うものだ、ということ、
そして私は仏陀の教えが本当は何だったかを探求しているのです。
しかし私のレスに春間さんがことあるごとに親鸞を出してくるので、
『浄土教は仏陀本来の教えとは違うものなので私には興味ありません』と言いたいだけです。

浄土教で救われる人は、妙好人など数多くいると思いますよ。
私がよく知っている人でも、毎年、本願寺に家族で奉仕に行っている人を2人知っていますし
どちらもいい人ですよ。

ただ、歴史上の仏陀の言っていることを、親鸞の言葉を引用して解釈するのは間違いだとは思います。


歴史上の人物を見る場合も、その人の行ないを見て判断するのです。

親鸞は、自分の息子を関東に布教に行かせましたが、息子はとんでもないことを言い出します。
親鸞の見る目がなかったというか、息子にさえちゃんと自分の教えをわからせることができなかったということです。
そして、関東の信者から苦情が来ると、息子に会うことも話すこともなく、義絶状を送りつけます。
本当に摂取不捨なのであれば、自分の計らいで切り捨てるのは口で言ってることと実際が違うと思います。

娘の覚信尼も親鸞の死に様を見て本当に浄土にいけたのか非常に不安になっている様子です。

ですから、わたしはあまり親鸞を評価しないというだけですので
好き嫌いは平行線になるだけでしょう。

 

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今こそ、仏陀の本当の法を

高原 (126.42.33.248)    

ショーシャンクさん、こんにちは。
芳話さんの記事を取り上げてらっしゃったので、読んでみて、気になることがあったので上げてみます。
芳和さんが松原泰道という人の本で読んだという言葉。
「如来とは、釈尊の語った真理の内容を人格化したもの」
「菩薩とは、釈尊の修行の内容を人格化したもの」
これに石飛道子さんも同意の言葉を付けてられます。
「内容を人格化したもの」とは人が作ったという意味です。
つまり、絵空事の作り話であること。
小説であること。
現実には、如来も菩薩も存在してないことを承知でお経を信じているという愚かさ、要は、何もないことを承知で何もないものを信じている振りをしてるという大人の対応(が宗教)というやつでしょうか。
だとすると、大乗仏教とは詐欺と同じではないでしょうか?
ないものをあると言ってる「原地商法」みたいな感じでしょうか?
現実に、有名なかたで被害者もおられます。
聖徳太子です。聖徳太子は仏教を信心し、日本で最初に本気で菩薩になろうと試みた人です。
維摩経義琉の中で「(救おうとしても)どうしても救えない人たちがいる」と深く絶望しています。
お経の菩薩を信じ(菩薩になれなくて)苦しむ人に対し「聖徳太子さん、菩薩はお経の中にしかいないんだよ。それを真に受けて、本気で菩薩になろうなんて、あんた、頭悪いよ」と言ってあげれるでしょうか?
 

 

高原さん、こんばんは。

 

そうですね。今までの仏教特に日本の仏教の根本問題がそこにはありますね。

どこまでいっても実体がないことになってしまった。

実体がないこと=空 ということにしてしまいました。

虚無論が蔓延ることになっています。

仏陀は、実体があるとかないとかの論議はしませんでした。

仏陀の言う空とは、生じれば滅するという意味です。

業やカルマ、因果についても、過去に犯した罪のようなおどろおどろしいものになっていきました。

仏陀の言うカルマ、業とは、行い、行為のこと、身口意の行い、すなわち、想いと想いによる言葉と想いによる身体的な行為のことです。

つまり、想いのことです。

仏陀は、想いによって人生はどのようにでも変えられると説きました。

身口意の行為によってバラモンになれると説いたのです。

想いの大切さを仏陀ほど説いた人はいません。

しかし、後世の仏教なるものは、想いをどんどんなくしていく方向ばかりになりました。

禅定至上主義です。

仏陀は出家してすぐ、禅定の最高峰である非想非非想定と無所有定を習得するために弟子入りしました。どちらの禅定もすぐに到達しましたが、『このようなものは智慧に導かず、覚に導かず、涅槃に導かない』として捨てて去ります。

それから6年間も、断食行や止息行の苦行に打ち込みます。

禅定にしても断食行や止息行の苦行にしても、思考、想い、身体の欲望をなくしてしまおうとする努力です。

しかし、そのようなことは無駄だと悟り、乳粥を食べて菩提樹下で徹底的な瞑想に入ります。

それで目覚め、7日間解脱の楽しみに住したあと十二縁起を徹底瞑想し、ついに『すべての疑惑をなくし』『悪魔の軍勢を破って立つ』ことができたのです。

 

ここのところを理解しなければ、仏陀の真意はわかりません。

仏陀が出家の直後に、禅定を2人の仙人に弟子入りして習ったように、定(サマディ)はバラモン教のものです。具体的には『ヨガ・スートラ』から拝借したものです。

仏陀が『このようなものは智慧に導かず、覚に導かず、涅槃に導かない』として捨てたものです。

 

しかしなぜか、仏教なるものは仏陀の死後、禅定至上主義になっていきます。

 

仏陀が説いた法は、今の仏教のような、実体もない、主体もない、主体性もない、自由意思もない、空論、虚無論では絶対にありません。

真逆です。

想いがすべてを作る、現象は影なのです。

 

 

ものごとは、心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。

もしも、汚れた心で話したり、行なったりするならば、苦しみはその人に付き従う。

まるで、車を引く牛の足跡に、牛車の車輪が、ついていくように。



 ものごとは、心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。

もしも、清らかな心で話したり、行なったりするならば、福楽はその人に付き従う。

まるで、影がその身体から離れないように。

 

 

しかし、今の仏教はぐったりと死んだものになり果てています。

仏陀はそんなものではない、真逆の、生き生きとした教えを説いているのです。

 

 

怨みをいだいている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは大いに楽しく生きよう。
怨みをもっている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは暮らしていこう。

 

悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。

悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮そう。

 

貪っている人々のあいだにあって、患い無く、大いに楽しく生きよう。

貪っている人々のあいだにあって、むさぼらないで暮らそう。

 

 われわれは一物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。

光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう。

 

 

今こそ、仏陀の本当の法を蘇らせなければいけないと思っています。

 

 

 

 

 

違う地平へ

koboyuki (27.82.211.253)  

ショーシャンクさんこんばんは。ショーシャンクさんは大変仏教について詳しく、私はお恥ずかしいですがショーシャンクさんのおっしゃっていることの半分も解りませんが、具体的にどういった修行をどこまで実践し、その結果、どう実感し、今の見解に至ったのか詳しく聞きたいです。  

 

koboyukiさん、おはようございます。

 

まず、言っておきたいのは、私は今までされてきた仏教解釈を白紙にして、歴史上の仏陀は本当は何を言ったのか、言いたかったのか、を探求しているということです。そしていまも探求の途中です。

ですから、達成したものなど何もありません。

ただ、今までの仏教解釈、上座部仏教(部派仏教)とも大乗仏教とも全く違った解釈で進んでいます。

大乗仏教の修行は、経典読誦や口称念仏や題目を唱える、いわゆる読誦が中心です。私も経典読誦はしますが、修行としてではなく、気持ちいいからしています。ですからセクトに囚われず好きな仏典を読誦しています。

上座部仏教の修行は、いまはマインドフルネス、ヴィパッサナーばかりがすべてのようになっていますね。

私は、satiを『気づき』と訳してなく、『記憶』『憶念』と訳しています。

想念に気づいているだけということがもてはやされていますが、いくら想念に気づいていても、無思考型の瞑想と同じく雑念が少なくはなりますが、その想念の元である我塊=記憶の束はそのままです。

部屋の真ん中に腐ったものを置いたようなもので、そこから腐った臭いが出続けていて、その臭いに常に気づいて臭いを団扇で払い続けても、中心に腐ったものがある限り臭いは出続けます。

 

私は、中心を取り除くには、徹底思考型の瞑想、自己洞察型の瞑想こそが必要であり、それこそ仏陀が説いた筏だと思っています。

具体的には、四諦十二縁起や四念処を瞑想しています。

自己洞察している過程で慚愧懺悔が生じます。

マインドフルネス、ヴィパッサナー、黙照禅などの無思考型瞑想では、慚愧懺悔は生じません。

慚愧懺悔が生じなければ観の一大転回、180度転回は起きません。

 

それを瞑想していくと、不思議なことに、大乗仏典が本当にわかるようになってきます。読誦してもとても気持ちのいいものになってきます。

 

このことからも、仏陀の真意がわからなければ、大乗仏典の真意は絶対にわからないと思っています。

大乗仏教運動とは、失われた仏陀の真意の復興運動であったと思うに至っているからです。

 

いまは、スッタニパータにしても大乗仏典にしても、毎日新しい発見がある感じです。

ですから、もう少ししないとまとまったものは書けません。

自費出版の原稿にとりかかれないのは、そういう事情があり、数か月前と今とは違う地平が見えている感じです。

死ぬ一日前までには原稿を書けたらいいと思うようになりました。

新たな発見があるうちはこの流れに従おうと思っています。

無上最大の法輪

法華経譬喩品に

仏は昔、波羅奈において、初めて法輪を転じ

今すなわちまた、無上最大の法輪を転じたまう

とあります。

初転法輪で説かれたのは、四諦と中道である八正道ですが、

それでは、法華経で説かれた無上最大の法輪とは何でしょうか。

 

譬喩品にこうあります。

 

我は悉く邪見を除いて、空法において証を得たり

そのとき心に自ら思いき 滅度に至ることを得たりと

しかるに今すなわち自ら覚りぬ これ実の滅度に非ず

 

『我が法は、よく生老病死を離れて、涅槃を究竟す』

この学無学の人もまたおのおの自ら我見及び有無の見等を離れたるをもって涅槃を得たりと思えり

 

この人は何においてか、しかも解脱を得る

ただ虚妄を離れるを 名付けて解脱となす

それ実には未だ一切の解脱を得ず

仏はこの人は未だ実に滅度せずと説きたまう

この人は未だ無上道を得ざるが故に

 

 

つまり、

空法を悟っただけではだめだ

生老病死を離れただけではだめだ

我見を離れただけではだめだ

有無の見を離れただけではだめだ

虚妄を離れただけではだめだ

と言っています。

 

法華経を代表とする大乗仏典は、何を言いたかったのでしょうか。

何をもって仏陀の真意と言いたかったのでしょうか。

 

空だ、無我だ、非我だ、だけではだめなんだと言っているのです。

 

それは如来秘密神通之力です。

一大事因縁です。

如来神力です。

彼観音力です。

 

 

譬喩品

マニカナに芳和さんという人が『忍辱波羅蜜を兼ねて乗り込んできた』ということみたいで、興味深い話題を提供してくれていますので考察します。(仏教や哲学をしている人が変な人が多いということの例で挙げるのでは絶対にありませんから念のため(笑))

過去ログも示していて、これによってわたしはテルゼさんという人の文章をはじめて読みました。とにかく面白い。頭の切れのいい人みたいです。大爆笑させていただきました。リアルで話してみたかったですね。

石飛先生、すみません。マニカナの過去ログの文章の一部を勝手に引用します。

 

芳和さんから春間さんに宛てた文章

           [No.17993] ――大妄語坊主―― 投稿者:芳和   投稿日:2020/10/08(Thu) 21:33:39

>救われている人なら、
>( 救われてはいないと知って )
>気を付けて、 言葉を使ってください
>( 気を付けなくとも 救われている 立場 )

このように、悟ってもいないのに悟り面している坊主を、大妄語戒という波羅夷罪を犯した追放されるべき者というのです。大妄語坊主の貴方を阿修羅などと善趣にしましたが、実は地獄の住人なのですね。

貴方がどんな方かと過去ログを拝見させていただきました。
私、あのテルゼさんと、亡くなられたイストランさんとは、共に勉学に励みながら戦ってまいりました。お二人は、真摯に勉学をされていたのです。そうして真摯の求道者に貴方がお叱りを受けるのは当然です。
イストランさんが貴方に宛てた過去レスを転載してみましょう。

  (この後、過去ログの引用がありますが、これは春間さんが指摘するように、

   春間さんでない他の人に宛てた文章を勘違いしています)

これも同感です。大妄語戒を犯しているのに、まだまだ情け深いではありませんか。
貴方は嘘つきという大妄語戒を犯しているのです。例えばこれです。

>経(真理)は、深い智慧を持つものに語られます
>浅識の人は、真理(経)を聞いて、
>かえって、迷いの中に入り、遠のいてしまうからです
>(法華経比喩品)

こんなのが『法華経』譬喩品にありますか。ありません。
「五千人帰去」は方便品です。
“しかも、迷いの中に入り”ではなくて、貴方のような僧上慢の帰去ですが、貴方のように大妄語戒は犯していません。波羅夷罪の貴方は、自ら去る僧ではなく、追放されるべき坊主なのです。貴方は法華経を読んだことがありますか――読んでいませんね。
文献坊主というのはテルゼさんの御慈悲で、貴方はつまみ食いの大妄語坊主です。

※※※※※

 

芳和さんはこう言っていますが、しかしこれは春間さんの方が正しいですね。

法華経譬喩品第三には

『この法華経は、深智の為に説く。浅識はこれを聞いて迷惑して解せず。』

とあります。

また

『凡夫は浅識にして深く五欲に著し、聞くとも解すること能わじ。

 亦た、為に説くことなかれ。

 若し、人は信じずして、この経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん。

 あるいはまた疑惑を懐かん。』

とありますので、

春間さんが言う『浅識の人は、真理(経)を聞いて、かえって、迷いの中に入り、遠のいてしまうからです』という言葉はまさしく譬喩品にあるのです。

 

法華経を表面だけで捉える人は、譬喩品というと三界火宅の譬喩だけを説いたと考えがちですが、そうではありません。

わたしが見るところでは、方便品と譬喩品に、『なぜ大乗仏典は作られていったのか?』という仏教の大きな謎を解き明かす鍵があります。

 

我見や有無の見を離れたところが涅槃だと思っているけどそうではないのだよ、無上道があるのだ、今こそ無上の大法輪を転じるのだ、という宣言なのです。

その秘密が明かされるのが如来寿量品です。

如来秘密神通之力の全貌が、如来寿量品以降の各品によって顕われます。

 

 

また、芳和さんは

『悟ってもいないのに悟り面している坊主を、大妄語戒という波羅夷罪を犯した
追放されるべき者というのです。』

と書いていますが、悟ってもないのに悟ったと思い込むことは修行者にはよくあることで、これだけでサンガを破門させられる波羅夷罪にはなりません。

波羅夷罪となるためには、自分が悟ってないと自分で知りつつ『故意に』だますことが必要です。

春間さんは勘違いはあっても故意に騙そうと言うことはないでしょう。

余談ですが。

 

まのあたり即時に実現される、時を要しない法

仏陀の説いた法は『まのあたり即時に実現される、時を要しない法』(スッタニパータ)です。

即時に実現される法でなければならないのです。

いま、伝わってきている仏教なるものにそのような法はあるでしょうか。

残念ながらありません。

部派は説一切有部を中心に『無我』というところから起きた当然の疑問、『我がないのであれば善因善果悪因悪果の果を受けるのは何か?』という難問に答えを出すため煩瑣な理論に没頭していきました。

それに対して、『そんなものは仏陀の真意ではない』と叫んで現れたのが大乗仏教です。しかし、『小乗、小乗』と部派攻撃をするときに、四諦十二縁起という仏陀が残してくれた筏も捨ててしまいました。

かといって、それに代わる筏などありません。

仏塔を拝むか大乗仏典をひたすら読誦することが修行の主なものになっていきました。

一応、声聞縁覚に対して菩薩を上位に持ってくる三乗思想ができあがり、四諦の法を修行する声聞、十二縁起を修行する縁覚にたいし、六波羅蜜を修行する菩薩というようにしました。

しかし、六波羅蜜は具体性がなく、それまでの徳目を並べたものでした。

六波羅蜜をどう修行するのか仏陀が説いたことがあるでしょうか。

 

『まのあたり即時に実現される、時を要しない法』は、生滅の法です。

                     

大乗仏典は、仏陀の真意を表現しようとしたものです。

説一切有部のように灰身滅智が理想ではない、大いなるものがあるのだということを主張していきました。

しかし、残念ながら筏はありません。

 

グレゴリー・ショペンがいうように、大乗仏教はひたすら大乗仏典だけがひそかに作られていったのであり、インドで大乗教団はありませんでした。

ゆえに、あくまでも修行というのは大乗経典を読誦することが主なものになっています。

大乗仏典があまりにも長すぎるので、それを読誦することなく同じ功徳をもたらすものとして口称念仏などがもてはやされました。

 

しかし、経典の読誦やそれに替わる口称念仏を唱えることでは、慚愧懺悔は生じず、我塊はそのままです。

やはり、仏陀の残した筏をいま甦らせないといけません。

筏がないというのは、どこにも行き着かないということです。